Monday, September 21, 2009

 

女房の怪我




今、テレビで「ニュージーランドギネス」という番組を見ていて思いついたのですが、われわれの造っているカタマランもヒョットしたらギネスになるのでは?なぜならば、このカタマランはまったく二人で造っているのです。

敷地内の急な土地をスコップと一輪車で切り開き、工場の代わりに大きなテント小屋を建て造り始めたのです。この時期1日だけ手伝ってくれた人がいました。でもこの時期の春の嵐でこのテント小屋は潰されやっと造り始めた簡単な型となる原型を壊されてしまい、また一から出直したのです。
初期の頃は春の嵐にやられたのは1回きりではありません。テント小屋を建てては壊され、また作り直す。

考えて見ますと船体のターンオーバーも二人で滑車を使いひっくり返したのです。この仕事は一般的にはクレーン車を頼み裏返してもらう仕事です。

我々のカタマランがいかに軽く造れているかの証拠でもあります。すべてのパーツはガレージで作り、二人で運べる重さに計画して作業場に運んだのです。

こんなことを思い出すと、もし今まで3年間の証明が出来たら、これはギネスブックに載ってもいいことでは?、などとテレビ番組を見ながら話しています。

ギネスの話はどちらでもいいとして、それ以来コツコツと毎日のように働き続け3年が経ちました。この間に思い出した話があります。

あるとき女房が真剣な顔をして私に言いました。「アンタ私は子宮癌になったみたい。それも末期のようだ」と言い出したのです。「だからカタマランはあなた一人で造り続けて頂戴」こんなことを真剣な日ごろ見たことのない顔で言われるとさすがの私もちょっと青ざめた顔をして、「いったいどうしたのだ!」

女房が言うには下半身に痛みがあり、下着に血がつくというのです。これは子宮がんの末期の症状だと、それを聞いた私は、なんと慰めればいいのかうろたえてしまい何も言葉が出ない、という雰囲気の中、少しでも私は慰めたいとの考えからまさか?子宮がんじゃ~ないと思うよ。
と言う。キット怪我デモしたんだと慰める。しかし女房はまだ真剣な顔をして「末期だからもうだめだ」と将来のことを話し出す。

私はなんとも信じがたく「キットたいしたことじゃ~ないよ」と言うだけである。そのときフット思いついたことがある。カタマラン造りのために建てたテント小屋のテントのフレームに使っていたパイプが壊されたのでその代わり2x4の材木でフレームを作りテント地を張り小屋としていたのです。

そのときこのフレームに梯子を架け船体を作っていたので何かの拍子で女房はすべり落ち、股を引っ掻いたのです。このときの股の痛みと引っ掻いた傷からの血がついたのでした。この話を女房にしてみると、子宮がんと思い込み青ざめていた女房の顔が赤みをさし、心当たりがあると見え照れた顔に変わった。

突然、二人は大笑い、~~~~~~~~これで女房の子宮がんは一件落着。

これ以後も無事にカタマランを二人で造り続けています。

先日カタマラン造りの写真集をユーチューブに載せたところ、一通のコメントがスペイン語で入りました。PCの世界はすごいものですね~。このスペイン語をグーグルで訳してみましたところ日本語では良くわからなかったので、

英語に訳すと[FXX YOU] でした。心無いいたずらだったのです。キット 世の中にはいい人も多いと思うのに悪戯を書いて喜ぶ人も必ずいるのに感心します?。でも世界の人が見てくれるなんて面白いな~とも感じます。


検索はーーー google  の you tube  を出し、 homemade catamaran yoshi48 で検索してください。

Friday, September 11, 2009

 

雨の日のカタマラン




雨の日を利用してペイントの下準備のためカタマランを洗うことにしました。
野外工場なので風に運ばれた埃や土を洗い流すと、風呂上りのようなすっきりとしたヨットになりました。

話は変わりますが、

今まで撮りためた写真をまとめ * You Tube * に載せました。 開けてみてください。

検索ーーーーー google  の You Tube  を出し、 homemade catamaran yoshi48 で検索してください。

Friday, September 04, 2009

 

カタマランの進行状況




 今年の冬は雨が多く温度も例年より低く、カタマラン造りは進まずおまけに腎臓関係の病院通いや何かで忙しくブログは書いていませんでした。
おまけにPCがバグにやられたらしく動かなくなり新しいPCが入ったので久しぶりに自分のブログ覗いて見ますと、応援してくださる人がいてサボらずブログを書かないといけないな~と書いています。

女房は自分のことをほめられたので「何かブログを書いて」とせかす。わが女房はヨットなど造るという私に{文句を言いつつそれでも協力してくれ}感謝をしていますが、できることなら文句を言わずに協力してほしいところです。
ヨット界で私の知るところでは丹羽さんの奥さんの徳子さんが内助の功でよく旦那さんに尽くしていた人だと思います。世の女性は見習ってほしいものです。

今日はニュージーランドの腎臓移植のことを書いてみたいと思います。カタマラン造りが原因で腎臓が悪くなったとは思いませんが、腎臓が悪くなって以来腹膜透析をやりながら時間を見つけてはカタマランを造り続けています。
腹膜透析というのは簡単に言いますと砂糖水のようなものを腹にいれ{腹膜}それを一日に四回{一回2~2.5リッター}を腹に通した管から取り替える。健康な人は腎臓がやってくれる水分の排泄と体内の毒素の排出をこの水を取り替えることにより行うのです。

これをやることにより普段の健康を保つのです。腹膜透析をやり始め6ヶ月近くになりますが体調は大変よくなっています。以前よりよくなったようです。
このままでもヨットを造ったりテニスをやったり歩き回ったりと普通の人のように暮らせますが、でも一日四回の透析液を替える仕事からは逃れることができません。

ヨットが完成してもこれから逃れることができないので、{ワンチャンス}腎臓移植を申請しました。この移植をするには試験があり、まず肺の検査から始まり血液検査、心臓の検査などが終わると内科医、外科医、移植コーディネーターなどの面接があり、その後これらの人が移植の決断を下せばパスします。

私は今この試験にパスしたところです。これから細胞の種類を検査して毎月血液検査をしながら腎臓の提供を待つのです。今腎臓の提供を待っている人は450人ぐらいいるそうです。この中で血液型と細胞?の一致した人から腎臓移植ができるのです。ですから、突然病院から呼び出しが来て病院に駆けつけることになります。

早ければすぐですが遅ければ2年ぐらい待つようです。私の気持ちとしては今の体調がよいので二年ぐらい腎臓移植が遅くなった方がよいのではと思っていますが、どうなるか?は、わからないといったところです。
病院から呼び出しの電話がかかると、18時間以内には病院にたどり着かなければいけないのです。それからまたこの時点での腎臓の状態を調べ問題がなければすぐに移植手術に入ります。なぜこのように忙しいか?といいますと、私の腎臓の提供は脳死などで死んだ人のまだ使えそうないい腎臓ならば移植することができるのです。

考えると気持ちがよくありませんが仕方がありません。この後5日間入院して近くの宿に移り毎日病院通いを行い血液検査をします。腎臓移植すると体内に拒絶反応が起こります。これを血液検査で調べながら移植の結果を見張るのです。
通院が少しずつ少なくなり移植の結果がよければ6週間ぐらいで退院します。その後も1年ぐらい月に一回は通院して様子を見るのです。

この後ならばカタマランが完成すれば、セーリングができるかもしれません。だからまだまだ長い長い夢を見ながらぼちぼちとカタマランを造っているのです。
それでもこのカタマランを造りながら船内で将来できるかもしれないセーリングの夢を女房と話していると女房もすぐにでも行ってみたい気になっています、が、家に戻ると家に住む生活もいい~な~と両方取りたそうな現実の生活に戻る毎日です。

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