Sunday, May 25, 2008

 

アーチ作り


アーチ作り

秋晴れの日が続き明日から雨になるとの予報だったので、雨でも出来るガレージでの仕事と思いアーチを完成させる事にしたのです。
ところが見事に天気予報がはずれ好天が続いています。

アーチ作りは極端に傾けないように設計し、昨年の冬にパーツを作って置いたのだが、イザ繋ぎ合わそうとしたら意外に難しい。
アーチは少し後ろと内側に傾けるが、横に繋がる上部は船体に対して平行でなければいけない。
野外工場ではどうしてもこれらの角度を出してゆけないので、もう一度ガレージに運び込み繋ぎ合わすことにしたのです。

ガレージで船体の位置を想定して線を引き角度を出し上端と下端を切る、これを仮に繋ぎ合わせ出来具合を見る。
一日置いて固まった時、アーチが完成してもガレージから出す事が出来るのか?と心配になった。
試しに出してみようと二人で担ぎ動かす。突然「バキッ」と音がする。仮に繋いだところが折れてしまった。

これで昨日の仕事はパーである。
仕方無くまた一からガレージに書いた線に合わせアーチを繋ぐ。
この後、出来る限り繋いだところがスムース見えるように出っ張ったところは削り取り、凹んでいる所は材料を切り出し詰め、形を作り、これをフィラーで貼り付け、
乾いたらまたフィラーを塗り形を整えてゆく。

この後、乾いたところをまた磨き出し、スムースにしてグラスを張り強度を出す。これが乾くとアーチは一体化するので動かしても問題は起こらない。

今度はこれにまたフェアリングをして見栄えを良くし、その後太陽光線からアーチを守る為のペイントを船体と同時にする。

こんな細かい仕事なので毎日2時間ぐらいで仕事が終わってしまう。雨の日にはもってこいだと思っていたら天気は晴れている。
それではと、余った時間にぶどう畑作りを始めた。

日当たりの良い場所をスコップで掘り返しブドウ畑にして行く。
我々の土地は坂が多いので使い道に困っていたが、自家製のワイン造りが気に入っておりもっと畑を増やそうと考え付く。
ぶどうが出来るのは何年も先になるが、もしこの家を買う人が現れたら喜ぶのではないか?との考えと、ニュージーランドの経済が大変悪くなってきており最悪な場合このままカタマランが造れずにこの土地に生活し続ける事になった時、自家製のワインでも飲んでハッピーに過すことが出来るのではと考えている。

人生先の事はわからないのでいつもハッピーで過せる道を考えています。

Thursday, May 08, 2008

 

夢の楽園

今造っているカタマランが出来たらヨットに移り住みこれからの老後をどうして過そうか?と毎日のように考えているのです。
私が何故か憧れている生活は狩猟採集です。
毎日働き食い扶持を稼ぎスーパーで食糧を買って生活する。この様な生活を止め、自然の中から食材を得てそれを食べる。畑を耕し作物を得る生活ではなく自然から得たいのです。

作物を作る生活は結構厳しい労働を伴い、時期によって取れる作物は同じ物ばかりなので結局小規模でやってゆくには、取れた野菜を売りスーパーで買い物をするような生活になってしまう。
今の時代工業製品は有り余るほど手に入れることが出来、必要とするから買っているけど、半分娯楽としてショッピングしているような生活になっている。私の生活を見直してそう思う。

ヨットで生活をするようになったら、このような俗人的な生活から離れもっと憧れの狩猟採集の生活がしたいと望んでいる。
現実にはまだまだスーパーやディスカウントストアーのお世話にならないといけないとは思うが、今よりパーセンテージを落としたいと願う。

以前、フランス領ポリネシアの小さな島をヨットで訪れた事があります。サンゴ礁の島に椰子を植えただけの島で、管理人兼酋長?のようなミッシェルと下働きの夫婦が普段はいるだけ。我々が訪れた時は流れ者の二組のカップルが加わっており、合計7人の島民が生活していた。
この島には一ヵ月に一回ほど漁船が、この島で獲れる魚やロブスターを買い付けに来る。これらはタヒチの観光客に売られるそうだ。

初めての南太平洋での秘境の島の事、チャートも無くサンゴ礁の島の外でどうしたら中に入れるのかと二日ぐらい揺られて思案していると、島民が小さなボートでやってきて今なら中に入れると誘導してくれやっと入れたのです。
揺れる外洋で過した何日間から静かなサンゴ礁の中に入ると、其処は夢の国のように水は澄み大きなサンゴの塊の合間に白い砂が敷き詰められ、鮫の子供達が集団で回遊している様な島だった。

この島には何人かの人々が生活してゆくには不自由が無いぐらい自然からの恵みがある。
ミッシェルに連れられ島を案内してもらう。ミッシェルは突然椰子の林の根元にかがみ、そこに巣くっている海鳥を追い出しその巣から卵を取り出す。
海水にその卵を浸けて沈む卵だけを集め、浮く卵は雛が孵る前なので海鳥の巣に戻す。卵は今日の食事にするのだと言う。

椰子の林に踏み入ると若木をマチュテで切り倒し皮を剥き器用に椰子の木の「白いしん」を取り出し、『かじれ』と言って渡してくれる。みずみずしくかすかに椰子の香りがした大変美味い南国のサラダだった。
椰子の木の根っ子に穴がありその穴を棒で突付いて行くとミッシェルが『ここにいる』と言う。其処はヤシガニの寝床で夜活躍するヤシガニが昼間は寝ている。細い棒を突っ込むとヤシガニが「うるさい」とその棒をつかむため引っ張り出すことが出来る。
紫色のような色をしたヤシガニが出てきた。大きな爪に挟まれ無いように椰子の葉で縛って持ち帰る。ヤシガニは湯がくと赤い色に変りこくのある大変美味いロブスターと言った味だった。

島民の誕生日があった時島で獲れる獲物が総て集まった。一番大きな獲物は海亀だろう。海亀を裏返して解体し、バーべキューにする。山ほどの肉が取れる。バーベキューに向かない部位は煮込みにされた。海亀の煮込みは、以前小笠原でも食べた事が有るが、やはりこれはチョッと私の口には合わなかった。
海亀は、世界七大珍味の一つと言われている。
海鳥のバーベキューもあった。いつも卵を採る海鳥を今日は料理したのだ。これもなかなか美味かった。たれを何もつけて居なかったように思うが生の味がして旨かったのだろう。
無論、島で獲れる魚もある。これはチキンのような味がする。島のサンゴ礁の浅瀬にいる。平たい口のとんがった魚だった。タヒチの海は何故か汚れており魚が食べられない。
こんなことを知らない時、モーレヤ島で魚を獲り食べて烈しい腹痛に襲われひどい目にあった経験があり、タヒチの魚は食傷気味だったのだが、ここの魚は味があり身のしまった魚だった。この魚をタヒチの漁船が買いに来るのだ。

勿論ロブスターもたくさんいる。慣れた島民ならば簡単に摑まえる。タヒチの漁船が買いに来る前の日にミッシェルと獲りに行った事がある。夜にサンゴ礁から餌を求めて現れるロブスターにライトを当て見つけたところを足で軽く押さえつける。我々は夜のサンゴ礁をこわごわ歩くだけでやっとなのにミッシェルはどんどんロブスターを摑まえて麻袋に入れてゆく。

サンゴの島には赤目金時のような魚がいっぱいいる。これは昼間島民が潜ってヤスで突く。突いた魚の血をかぎつけてやってくる鮫たちをヤスの棒で追い返しながら魚を突いてゆく。島民は慣れたもので鮫など恐れていない。
サンゴ礁の海に住む鮫は背中のヒレ先が黒い鮫でこの鮫はめったに人を襲わないらしいがやはり大きな鮫に変わりはなく、我々は恐る恐る眺めているだけで島民の真似をする気持ちになれない。

海亀もサンゴの島に産卵にやってくる。卵はあまり採らないと言っていたが特別な日には海亀を食べるのだ。島の入り口近くにやってきた海亀を小船から飛びつき捕まえ縛り、食べる日まで飼って置く。
そう言えば、何かの塩辛らしき物もあった。珍しいので食べてみようとしたら強烈な鼻を突く臭いがした。島民が笑いながら『食べない方がいい』と言うので食べなかったが、あれは何だったのだろう。

日常品は結構何でもこの島の裏側に流れ着きこれを上手く使っている。自然から取れる食料は豊富と言っても限られており、小数の島民ならば不自由無いのだが乱獲したり自然を壊すと簡単に無くなってしまうと島民も心得ていた。

こんな生活がこのニュージーランドでも出来そうだと私は思っている。この国の多くの人達は、今、先進国に追いつけ追い越せと「物に溢れた豊かさ」を追い求めており、自分達の直ぐ近くにある「自然が与える豊かさ」に目を向けずにいるのでこれは穴場ではないか?と思っているのです。
きっと幸せは無くさないと気がつかないのでしょうね。

Saturday, May 03, 2008

 

カタマランの製作状況




昨日シャワーに入った時湯が少しぬるいと感じた『また湯沸かし器が故障したな~」と思っていた。仕方無く今朝調べたのだがサーモが故障しているのを発見。新しいサーモを買わなければ完全には直らないのだが、とにかく今日は温かいシャワーが使えるように直して置き、さぁ~今日もカタマラン造りを始めようと思って用意していると雨が降りだした。

出端をくじかれてしまったので今日は昨日の成果を観察して仕事はお休みとする。
湯沸かし器の調子を見るとうまく行っているようなので早速風呂に入ってみる。ニュージーランドは日本と違い乾燥気味のためか?フロに毎日入る気がしない。
多くの家庭ではシャワーだけで済ましているようだ。我々もたまに風呂に浸かるのだがたいがいはシャワーで済ましている。

ところでカタマラン造りはデッキが大まかに終わり、ベッドルームが出来上がり、今エンジンルーム作りをしているところです。
主にコックピット周りの仕事をしています。
毎日少しずつ、一歩ずつ、「アリさんアリさん」「尺取虫さん」のように作っているとカタマランらしくなってきました。

最近はこのカタマランが完成したらどんな生活をしようか?と考えることが多くなりました。今はカタマランを造っていることが楽しく、嬉しく、毎日が充実している生活ですが、「カタマランが出来てしまうと何をしよう?」、完成するともっとセーリングがしたくなると思うのですが、そのセーリングに何を目的として加えて行こうか。
勿論、釣りはしたいが毎日毎日釣りばかりするわけにも行かない。

このカタマランで世界一周でもしたいか?と自分に問うと、過去に世界を見て回ったこともあり食欲が出ない。南太平洋にセーリングに出掛けたいか?と言っても、やはり20年前にやってしまったのでイマイチ燃えない。
何かセーリングに目的を加えたいと思い出している。

海でこれからの老後の一時期を過すのだから、海の生物や自然の勉強を今まで以上にしてただ海を「ボ~ッ」と見ているのではなく、海にモット興味を持ったり海藻に興味を持ったりと海の生活を面白くする努力をしたい。
海はまだまだ未知の世界である。陸上のわずらわしい生活を離れもっと自然と共に暮らしたいと考えている。

カタマランが完成したらいま住んでいる家を売り払い身軽になってヨットに住み、残り少なくなった人生を気楽に楽しく過そうと計画している。
無論、陸のフライフィッシングも捨てきれないので時々やりたい。
コンナ事を色々考えながらカタマランを造っているので、ここをこうした方がいいのでは?と最初の案が少しずつ変ってくる。
我々はクルージングを中心に考えているため、居住性を一番に考えている。

初めは46フィートで設計したのだが50フィートにしょうじゃ~ないか?と変って来た。居住性を考えて設計したので46フィートにしては太り気味の船になってきておりもう少し長くした方がバランス的に良く見えるだろうというのが考え方の始まりである。

何故か?ヨットは大きさでどうのこうのという風潮が有るが、ヨットはヨットであるので大きさで考えるのは間違いだろうが、大きくなると居心地がいいのとカタマランの場合は安全性がよくなると思っている。
しかしデメリットもある。金が掛かる、マリーナが見つけにくい、取り扱いが大変になってくる。メンテナンスが多くなる。
それでも自分でカタマランを造っていると46フィートと50フィートの大きさの違いは材料と仕事が少し多くなるぐらいですのでこの際50フィートにしようかな~と考えているところです。

無論どうして海に降ろすのか?と言う大きな問題は残されていますが。(笑い) 不可能は何も無いと信じて居ます。

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