Monday, December 31, 2007

 

2008年明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

新年のニュージーランドです。新年と言えどもこちらは夏ですので若者はビーチでドンちゃん騒ぎをするのがこちらの新年と言えるでしょう。
夜中にビーチで上げる花火の音がうるさかったのを覚えておりますが、眠いのが先にたち見る気もしなかった。

今家の窓から今年初めて昇る朝日が見えます。今年も一年目的を持った年にしたいと祈ろうと思います。
今年の目標は、魅力的な年寄りになりたいと願うのです。若者に媚を売らずに、自分の意見を言える、若い人達に慕われるような生き方が出来る年寄りになりたいと思っています。

小さな箱に入れられ周りの人に燃やされるのではなく、自分で燃え尽きてしまうような生き方が出来る年寄りになりたいと願っています。
「ただ生きているだけ」と言われるような年寄りにはならないように皆様と一緒に頑張りましょうね。

Thursday, December 27, 2007

 

クリスマス真っ最中


クリスマス真っ最中

12月に入って雨模様の日が続き野外での作業が途切れがちとなっていたが、ココ何日か晴れた日が続いたので今までやれなかった船内の底をグラスで固める仕事をやってしまった。
前の日から船内の湿気を取り除き出来る限り底を乾かし晴れ間を狙ってグラスを張り終えたのです。

今、船内は雨が降るとプールに変るほど水がたまり、小降りになると二人で水をかい出してはふき取り乾かす、その後又雨が降ると言うイタチゴッコであったため仕事がはかどらず悩み多き年老いた青春でしたがここでヤット底が張れ、これで雨が降っても水をかい出せば済むという状態になった。

野外でヨットを造るという事は大変な事だと思い知らされているのだが、水が船内に溜まれば船底がもれてはいないか?と言うテストになり、船底を丹念に調べたが異常の無い事がわかり安心している。これで底から海水が入ってくる事はないだろう。
本来この船底を調べるのは夜の暗闇の中で船内をライトで照らし一人が外から明かりが漏れているところはないか?と調べるが、我々は直接船内に水を入れて調べた訳である。

小雨であってもレジンが水に当たるとレジンの固まり方が悪くなり出来上がったものの硬さが出なくなるため、野外での作業が難しいのである。
屋内で作れば解決するのだが、カタマランのようなでかい船を屋内で作るのはかなり大きな建物が必要になり、借りるにしてもかなりの出費が必要となってくるのでたとえ時間が余分に掛かっても自分の敷地でゆっくりと晴れ間を見計らって作れば経済的に楽である。

雨だからといって何も出来ない事はつらいのでまたガレージで作れそうな小物を平行して作っている。
小物と言っても作業時間が大変かかる為、いまダビットとラットとアーチを一度に造っているのです。
ダビットと言うのはディンギー(日本ではテンダーと呼ぶのかな~?)をカタマランの後ろに吊って走る為のもの。実際にセーリングをするとこのディンギーを置く所が以外に無いことがわかる。
ヨットを造る時点でディンギーを置くところまでデザインしてある船はよほどの大きさが必要となるため、デッキの上に縛りつけておくぐらいしかない。
カタマランの場合、前にネットがありここにおいておけばよい様に思うが、前は波に持ち上げられたり、かぶったりするため流されやすく船のどこかにぶつかったりするのでスペースがあってもあまり物を置かない方がよい場所である。

そこでディンギーを後ろに吊るすか、又はコックピットに縛り付けるしか場所が無い。ダビットはこの時ディンギーを後ろに吊るすクレーンのアームのようなものである。
その横に取り付けるアーチ。これはカタマランの船体を後ろの方で支える仕事を兼ねており、このアーチに例えばレーダーやGPSのレシーバーやウインドジェネレーターなどを取り付けるのである。

これはカタマランの容姿にも影響しているため出来るだけカッコよく見える工夫が必要だと思っている。チョッと下カーブを取り入れることによりかっこよくなるのだが、このカーブを造るのに時間が掛かるのが難点でもある。
ラットは写真で見てもらえば良いがカタマランの両サイドに二個取り付ける予定のため二個作っているのだが、一つにフラフープを利用して造ってみた。
もう一つは船材と同じマテリアルを使い造ってみたのだがフラフープの方は少し重たくなってしまった。

アメリカスカップのレース艇はカーボンでラットを造るそうだが、ラットだけで1千万円も掛かるそうだ。我々は二万円ぐらいかな~?見た目は多少いびつに出来上がってはいるが
手作りの味が出ていてなかなか味があると思いませんか?(何~思わない~)
この間マリーナに止まっていた自作のカタマランでは自転車のタイヤを使っていた。少し離れたところから見るとまさか自転車のタイヤと車輪とは見えずなかなかカッコよかったので思わずほめたのだが、よく見ると自転車の車輪だったのには驚いたがこんな発想でカタマランが造れることに嬉しく思った。

船はどうしたらかっこよく豪華に見えるのか?とマリーナでじっくり眺めたことがあるのだが、解った事は光り物がどのくらい光っているか?と要所要所に光り物を多く取り付けてあればかなり良い船に見えてしまうことを発見する。
しかしこれらの船は性能よりステータスとしての乗り物として使われている事も解る。
レーサーなどを見ると光るものはあまり取り付けて無いように見える。これは重たくなる為であり性能が落ちないことや速く走ることを目的にしてある為である。

我々はクルージング艇なのだから、どのぐらい豪華さを取り入れ、どのぐらい実用的に造るか?と考えているのだが問題は予算次第と言う答えが出てくるのが現実です。

Monday, December 24, 2007

 

後悔しない人のための航海

後悔しない人のための航海

今の時期クルージング艇の多くが南太平洋からニュージーランドに向かって下りて来るのです。台風時期を避けるために高緯度地域に戻ってきます。
冬の間は南太平洋は居心地がいいのですが、これからは暑すぎる上に台風が来るため南太平洋から逃げ出した方が無難です。

少し前こんなヨットの一艘が遭難騒ぎを起こしていました。大きなスクーナーということですので心配はしていませんでしたが、その時は予定より5日ぐらい遅れていて連絡も無かったのです。
捜索の飛行機が出て探した結果700マイルぐらい北で見付かり全員無事でした。

最近は航海機器が良くなっており簡単に現在位置や連絡、天気が読めますので比較的安全に航海できますが、たまにノンビリセーリングをしていると嵐に捕まってしまう場合があります。
最近は長期の航海をしている人の間では風の無い時にどうするか?と言う事が問題になっているほど航海機器が発展しています。本来危険から逃れるために航海機器を多用しますが慣れてくると良い天気ばかり選んでしまうため風が無い事になってしまう。

現実にエンジンばかりで走っているヨットもあります。これではセールなどいらないのでは?と思ったりしています。
おまけに航海機器が多く積み込んであり、自動操縦が働き便利この上ですが、今度は電気が足りなくなってきます。
ヨットの故障で一番多いのは電気系統です。潮風のため故障が多くなります。

こんな便利な航海計器であっても電気や故障のため使い物にならないことがあり、こんな時は昔ながらの基本が必要になってきます。
そして嵐に捕まる事もあるのです。
嵐のことを書くと読み物としては面白いのですが最近の航海では非現実的でありめったに嵐に遭うことも無くなりました、が、やはり「嵐に遭ったらどうしょう」と用意だけはしていなければいけないと思っています。

簡単に言いますと「嵐に遭ったら急がずその場で嵐が行き過ぎるのを待つ」事が一番大事だと思います。
言うのは易いのですが荒れる海で其処に居座るのは大変な勇気が必要です。
この場合基本的には風に逆らわないことであると思うのです。

我々が昔タヒチに向かった時毎日が嵐のようなセーリングでした。ヨットの後ろから大きな壁のような波が崩れ落ち、はじめは生きた心地がしませんでしたが、慣れと言うのは恐ろしいと言うか?だんだんこんなものだと思うようになってきます。
我々はこの大波の被害を受けないように風下に斜めに走りました。波と共に船が速すぎず、遅すぎず、目的の方向にはなかなか行けませんでしたが、この時点では崩れ波に潰されないように走れる方向に走るだけでした。

セールはストームにナンバー3ポイント、これで二日南に走ったと思うと今度は北に方向を変え二日と言ったセーリングです。問題はこの方向を変えるタイミングです。
大洋ではヨットなどサーフボードと同じ様なものですので大波を下って次の波を駆け上る途中で方向を変えることにしました。正確に言うと波の一番底に下りた時点でスピードが乗っていますのでそのまま一気に舵を切り方向を変えて駆け上る。そしてこのまま二日走る。

おかげさまで大洋は広くニュージーランドから南米までの広さがあったので大陸にぶつかる心配が無くて助かりましたが、タヒチの南200マイル、ライババエにランドホール出来たのはニュージーランドを出てから26日目でした。この間大波をコックピットにかぶったのは一回だけでした。おかげでそこら中海水だらけになりましたが無事でした。

今度のセーリングに行く時の嵐の対策はシーアンカーとドギューを使おうと思っています。カタマランの場合速すぎるのが問題になってくるため。シーアンカーを落として待つか?ドギューを流して風下にゆっくり走るか?ヒーブツーしかないと考えております。

シーアンカーやドギューを使うときこれらを縛るところが壊れると言うのが一般的ですので、何とか壊れないように工夫を凝らさないといけないと考えており、
コーン式のドギューを作ろうか?と思っています。
これは30センチぐらいの小さなシーアンカーをナイロンロープに200個ぐらい取り付けて流す。一個の大きなシーアンカーであると船を止めるための大きな抵抗が一気にヨットの留め金などに掛かるため、ここが壊れてシーアンカーをなくしてしまう事がある。

そこでコーン式のドギューならば一個ずつがすべて一度に力が掛からず、分散されるためヨットに掛かるショックが弱まりうまく行くのではないか?と考えておるのです。
未だ実際に使った事はありませんが最近のクルージングストーリーには時々この話が載っています。
自分のヨットに合ったシーアンカーや嵐を乗り越える策を考えておくのが一番だと考えます。

私の考えは海の波に逆らわない「柔、鋼を制する」と言うテクニックが使えるのではないかと思っていますが、毎回条件が違う事もあり後でわかることが多々有ります。

Tuesday, December 18, 2007

 

友達

友達

九州の八代にチョッと変った昔の友達がいます。青春の一時を一緒に過した仲間の一人です。
彼は背中まである長い髪をなびかせギターを弾き歌う坊さんです。最後に会ったのは確か京都です。その時彼は京都の大きなお寺の住職をしていました。
久し振りに京都を訪れた我々夫婦は他の友達と彼のお寺に夜中に訪れ、京都の町で朝まで飲み明かしたのが最後だったと思います。

今は実家のお寺に戻って地元のために地域起こしのようなことに力を注いでいます。
こんな彼の消息をインターネットで見つけ女房が「久し振り」とメールを出したのです。しばらく経って彼から重いメールが届きましたがワードがかかっており開きませんでした。「ザンネン」

彼は何故かいつの頃からか我々に口を閉ざしています。何故何も言わなくなったのか?青春の一時を良い事も悪い事も一緒にやり共に酒を飲み歌を歌った間柄なのに何故何も言わなくなったのだろう。「無作法で、口が悪く、自分勝手な」俺が嫌いになったなら、嫌いになったと言えばいいのにそうすれば嫌いと言う事について話が出来るのに。幾ら相手が俺の事を嫌いになったとしても俺達はお前の事が今でも好きなんだ。

何故自分の殻に閉じこもって何も語らないのだろう、多くの人に説教する立場の坊主が何故自分の世界に閉じこもり狭い考えで自分の殻に閉じこもっているのだろう。
こんなに世界がインターネットで結ばれて、時間や距離が関係なく瞬時に話し合える現代に狭い考えで自分の中に閉じこもっているなんて私は言いたい。
「もっと広い心で自分の考えを言えるようになってくれ」それとも「沈黙は美徳」とでも言うのか?

最後に会ったとき一緒に飲んだもう一人の親友はすでにこの世にいない。癌で死んだのだ。葬式にいけなかった我々は彼の遺灰を送ってもらいニュージーランドの海に散骨した、だから親友はいつでも身近にいる気がする。
酔っ払いのジョーコッカーがバックで、かすれた歌が聞こえるような我々の「愛と青春の旅立ち」はもう少しでフィナーレに近づこうとしているのに、何故今でも何も彼は言わないのだろう?。

誰かが言っていた、人間は100%死んでしまう。ほんとだと思う。イヤ人間だけではなく総ての生物はいつか確実に死んでしまうものだ。
だから俺は前を向いていつも生きてゆきたいのだ。前には希望がある。後ろには過去しかない。だからいつも前を向いて生きてゆきたいのだ。
それなのに何故お前は「いつまでも何も話さないのだ」心を開いてもっと自分に素直になって欲しい。

何でも話し合えることが友達の良いところではないのか?幾らお前が世間的に立場が良くなって高いところに立っていようと、俺から見たお前は若かった頃のお前なんだ。
「なんら以前と変らない昔の髪の毛の長いギターを奏でる変った坊主なんだ」。

Friday, December 14, 2007

 

情熱は総ての苦難を乗り越えるか?

情熱は総ての苦難を乗り越えるか?


昨年の風にやられたダメージを直し終わろうとしたところ船体に少しねじれがあることがわかる。これは風に倒された時未だ完全に出来上がっていない状態にもかかわらず「ついでに」と型から船体を外してしまったのが原因であると思われる。

がっちりとした型を作り工場の中でカタマランを造ればこんな事にはならないと思うが、経済的理由により出来なかった。それは仕方ないとしてこのゆがみを直そうと考えているとデザインのミスを見つける。
船内のベッドルームに行く階段を降りたところのヘッドクリアランスが足らない事を発見する。このままではかがんだままベッドルームに入らねばならない。

カタマランの様に居住性のある船でベッドルームにかがんで入るなんて、これは間違っている。せっかく良い天気が続いていて仕事が進むと喜んでいたのに、ここで又熱帯崩れの雨降りでしばらく仕事が出来ない上にデザインの変更のため少し仕事が増えた。
水前寺清子の歌を思い出す。「三歩進んで、二歩下がる」古すぎるかな~。

メゲナイ、メゲナイ。

毎日カタマラン造りをしていると適度に仕事があり充実感があって幸せです。
少しずつだが毎日毎日前に進んでカタマランができてゆくという事がうれしい。言葉を替えると自分がヨットを試行錯誤でありながらも造り出していることに満足である。
去年の今頃を思い出すと毎日強風のため小屋を潰され、船体を倒され、それをやり直しては又嵐に倒される。

気分的には昨年の方がカタマラン造りに燃えてはいたが毎日の強風に気分はめげてばかりだった。それでもカタマランを造ってやるぞと半ば強引にやっていたように思う。
年老いてきてリタイヤと決め何か新しい生活を始めたいと考えた時やはり「旅行がいい」と思ったし今でも思っている。

しかし何処に行きたいか?と考えてみると私の場合「美しい自然があり魚が釣れるところで、簡単に旅行者が行けないようなところが良い」と考える。
子どもを持たない夫婦で有るが為、子育ての代わりに世界中を遊びまわっていた付けが今やって来て、年老いて旅行に行くにも何処に行けば良いのか?何処に行っても感激しなくなっている。

居心地の良い家の中などで旅行を考える時「あそこにも行きたい、ココにも行きたい」と考えるものだが、イザ行こうとすると「ドウモかったるいな~」と成ってしまうし何処に行っても同じ様な観光地にめぐり合い、同じ様な人達がそこにいる。
これでは感激などしない。

そこで昔、ヨットで大洋を渡ることにしたのだが、それもセキスタントを用い昔のような航海に挑戦したのです。
でも今回はヨット自体から造り、これに乗って旅行してみたいと思っているのです。だからカタマラン造りをしている今、もう私の旅行は始まっています。
20年以上前からカタマランを造ってみたいとヨット仲間達に言いふらしてはいたが、誰も信じてはくれなく、私自信でさえも確信はもてなかったが食うにも困らず、住むところもあり、人並みに暮らせ、時間まで余裕が出来て、「今カタマラン造りをやらないと一生何も出来ないで終わってしまう」と思うし、現実に退屈でもあるので思い切って始めたわけである。

今年は良い天気に恵まれていると思う。「メイク マイ デイ」である。我々の野外工場にとって風が当たらないラニーニャパターンの天気なのです。
今年はかなり仕事が進むと思っています。

しかし、思いに反して雨が10日ほども続いたのでこの週末は晴れると天気を読み、朝5時起きで仕事に掛かったのだが、もう少しで今日の仕事が済むと言うところでにわか雨が降りだす。
おかげで材料のレジンやグラスが濡れ使い物にならなくなった。「ショック」。

メゲナイ、 メゲナイ、

やっと二つの船体を平行に並べ、冬の間造りためていたパーツを組み立て始めようとしていたところでデザインを少し修正しなければいけなくなってしまった。
仕事自体はそんなにたいした事は無いのだが、他の船と違った「線」を出したいばかりに曲線を取り入れたがこれが失敗で、居住性のためどの船も同じ様な「線」にしなければならなくなってしまったのが残念である。

とかく知らない人が見ると船など同じ様にに見えるので「そこを何とか個性を出したい」と思ったのだが出来なかったのがなんとなく残念である。
「自己主張の時代である」私がデザインした船であると自信を持って人に見せたいと思うのだがそうも簡単には行かないのが現実ですね~。

それどころか、「何だ~この船は」と言われそうです。でもメゲナイ、メゲナイ、もう一回メゲナイ。

Sunday, December 09, 2007

 

魚がクサイ

魚がクサイ

今朝、野外工場に向かう時ハリネズミの子どもがいたのです。10センチぐらいの可愛いハリネズミです。触ると生意気に丸くなり細い目でこちらを窺っています。ハリネズミの親は時々見かけますが子どもを見たのは初めてです。さすが子どもは可愛い事、こんなハリネズミを可愛いと思うようになったら老い先が短いのかもしれないが可愛かった。

早速、ヒロアキさんの反応が良かったので魚の味について書きます。

魚の味は、何処で生活しているか?シーズンは?何を食べているか?オスか、メスか?などで味が違ってきます。
今回書いた鮭釣りの話しで「魚がクサイ」と書きましたが、この川の魚は産卵遡上する前にしばらく河口で生活しており、タイミングを見計らって川に上がってきます。

その川が乳牛牧場の公害で汚れている場合は魚達はその汚れたエサを食べているし汚い水を飲んでいると言う事です。
だから魚が臭くなるのです。
同じ種類の魚で何度も経験していますが、ニュージーランドの西側に流れ込む川で釣ったシーラントラウトは産卵に上ってくる白魚を沢山食べているため美味しかった。この川の上流は牧場など出来ない丘陵地域で自然林があり魚も自然に生活しています。

マスも同じです。川釣りに行く時にいつも私の気にするところは、釣りに行く川の上流がどんな川か?と言う事です。釣った魚を食べたいので美味しい魚が釣れる川を選びます。そんな川にめぐり合うと釣りも素晴らしく、釣って居ても大変気分が良いものです。

どんな魚もたいがいは産卵前が美味しくなります。産卵に必要な体力を養うため栄養を付け太っているからです。(例外もあります。産卵を一年に何回もする魚は産卵後が美味しくなります。なぜなら産卵後に荒食いするからです。)
そして婚姻色が出て綺麗になります。

人間も同じ事が言えます。結婚前には美しくなるのです。婚期を逃した人間はどうしても婚姻色が色あせてきます。(これは例外も有りますので一概にはいえませんが)
魚の場合オスの方が味は美味いのです。メスは卵に栄養をとられ今一です。そして産卵後は脂が抜け落ち鱒の場合では身が真っ赤やオレンジ色から白っぽくなり外見も黒味がかり「ネコもマタイで通る」と言われる程まずくなります。

鯛でも磯の周りで生活している鯛は砂底で釣る鯛より美味いのです。磯には多くの食べ物が有り甲殻類を多く食べていれば体色も赤くなり味も美味い。
鯛の婚姻色は誰が見ても惚れ惚れするぐらい美しい魚になります。簡単に言いますと美しく見える魚はたいがいは美味いということです。
キット人間も同じかもしれませんが私は人間だけは違うのではないか?と思います。

美味いものを食べている魚は美味いとも言えます。人間の場合美味いものを多く食べている人は早く死にます。早く殺したい人が身近にいたら美味いものを多く食べさせ酒を多く飲まし、運動をさせないことが早死にさせる秘訣です。(これは秘密の話ですので誰にも言わないで下さい)

ところで、アラスカの釣りですが日本で生活している時に二回ほど釣りに行きました。
アラスカの場合釣り場に行くための交通機関が無いため、軽飛行機や船が必要となりガイドに準備してもらい釣り場に行くのです。
そのため釣りの費用が高くなってしまいます。だから未だ魚が多くいるのですが、地元のエスキモー達は自分達の一年分の食料の一部として網を掛け産卵に上ってくる魚を獲りスモークにしています。

小屋一杯のスモークには驚きます。長期保存のためにスモークにしますので身は大変硬く歯とアゴが疲れますが良くかんでいますと旨味が出てきます。

一度釣りに上流に向っている時、テレビで良く見る場面のように、熊が小川の小さな滝を登っている鮭を獲っている場所に行き当たった事があります。我々も手掴みで鮭を獲って見ようと船を止めてもらいました。

船が近づいたので驚いた熊は鮭をその場に残しどこかへと消えてゆきました。そこで、我々も川に入り込みウジャウジャいる鮭を手づかみしたのです。このぐらいいると簡単に鮭は手でつかめます。
「熊とどちらが手づかみが上手いか?」などと冗談を言いながら鮭を手づかみしたものです。

今造っているカタマランで鮭釣りに行きたいと言うのもアラスカの川の河口まで行けば多分キングサーモンの大物が釣れると思っています。
アラスカの河口近くで船をドリフトさせてジギングで釣るのです。鮭はキット中層にいますのでこの棚を狙って釣ります。勿論トローリングでも鮭は釣れます。ダウンリガーを使って中層を狙えば沢山釣れるでしょう。底にはハリバットがいます。
とにかく乗り物が無いと良い釣りが出来ないのがアラスカやカナダの釣り場ですので、カタマランなど持込み思い切り毎日釣りをする。イヤと言うぐらい鮭を釣る。

シーズンは6月から8月が良いと思っています。この頃にキングサーモンは河口に集まり産卵遡上します。キングサーモンが一番良いのは6月でしょう。
8月にはシルバーサーモンが上がってきます。この鮭も美味い鮭です。キングサーモンから比べると小ぶりですが良くファイトしてくれ釣りも面白い鮭です。
日本で鮭と呼ばれているのはドックサーモンと呼ばれアラスカでは犬も食べないと言われます。(腹を減らした犬なら食べるでしょうが)

ピンクサーモンはウジャウジャといますが美味くないため誰も獲りませんが、カンズメとして売られています。
こんな話しをしていると今にもアラスカに釣りに行きたくなってきますが、カタマランを先ず造ってから釣りに行きたいと思っています。

Wednesday, December 05, 2007

 

ニュージーランドの鮭釣り


ニュージーランドの鮭釣り

本日は雨降りです。カタマラン造りはお休み。
何か書こうと筆を執りました。(筆はありませんからコンピューターのキーを叩いています)

ニュージーランドの南島はかつては鮭釣りでにぎわっていました。今でもにぎわってはいますが川に上ってくる鮭が少なくなり釣り自体人気が薄れています。
何故か?と言いますと、ニュージーランドの産業である乳牛牧場が、本来草も生えない河川敷を耕し川の水を汲み上げスプリングクラーで散水して強引に牧草を育てて乳牛を飼うため。

一見したところ素敵な牧場に見えるが、川の水を汲み出すため川が涸れ始め、牧場の牛達が落とす糞尿と肥料が雨と共に川に流れ込み、川は臭く死にそうになってしまっている。
自然環境より経済が優先された発展途上国のニュージーランドは、一部の人達の金儲けの大義名分の犠牲となって自然が破壊されている。
宣伝用の写真やビデオでは決して写らない現実がそこにあり、この公害で産卵遡上の鮭たちが被害をおって年々遡上の数が減っているのが現実です。

そんな中、南島に行く度に我々はついでに鮭を釣りに行こうと川を訪れるのですが、短期間では簡単に釣れなくなっておりいつも川を見るだけで帰ってきます。
そこで、「どうしても本格的に鮭を釣ろうじゃ~ないか」と決め、キャラバンを引っ張っていき二ヶ月間徹底的に鮭釣りを何年か前にやりました。

その時の話です。
キャンプ場にキャラバンを基地として毎日毎日鮭釣りをしたのです。毎朝4時に起きて川に向かい一旦戻って昼寝をして又夕方川に向かう。
臭い川のそばに立ち何とか一匹の鮭を釣ってやろうと頑張ったのです。
釣り方は簡単で鱒釣りのように奥は深くなく、ただ川に仕掛けを投げ込みゆっくりと底近くを引くだけ、そんなに遠くに投げる必要も無く単純に掘り込むと言った方が良いくらい単純な退屈な釣りである。
今にもこんな面白くない臭い川の釣りはイヤだと逃げて帰りたくなるような釣りである。

魚は川にいるか?と言うと、満ち潮と共に河口にたむろする鮭やカハワイ、シーラントラウトが川に入ってきて、河口で体を真水に慣らし鮭は上流に上り、カハワイは海に帰る、シーラントラウトは河口でウロウロしておりたまに上流に産卵遡上する。
魚たちは足元の流れに沿って上流に上って行くため釣り人は遠くに仕掛けを投げる必要が無く、何の腕も要求されない釣りである。

何十人もの人達が河口近くに陣取り釣りをする中で私達も一緒に立ち、見よう見まねで釣りをする。簡単に釣れないことが判っていたので最初私は鱒釣りの仕掛けを用い難しい釣り方で挑戦したのです。
地元の人達がやっている方法を真似するのが先ずは早道であるのだが、あまりにも単純な釣りなので、へそ曲がりな私は自分なりの釣りをしたのです。
100人近くのつり人が誰も釣れないなか、鱒釣りのフライ竿で鮭を狙っていた私の竿に偶然鮭が掛かったのです。が、掛かったは良いが釣り上がるか?と言う問題がある。「ビギナーズラックである」鱒釣りは慣れていたので鱒釣りのように釣り上げようとしたのだが鮭は鱒とは違い力強く大きい。
突然大きくジャンプして暴れ出し一回目のジャンプは何とか乗り越えたのだが二回目のジャンプで針を外され逃げられてしまった。

周りの人達の応援にも関わらず簡単に逃がしてしまった為みんなに冷たい目で見られてしまったが、簡単には釣れない鮭を掛けたため仕掛けは何を使ったのだとみんなに聞かれたものだった。
それ以来二ヶ月近く鮭は釣れない。たまにシーラントラウトやカハワイは釣れるのだが、鮭は釣れない。それでも毎日毎日川に向かい釣りをする。

毎日のように鮭は川に入ってきますので鮭を見る事は見られるが、ある時、何時ものように目の前の流れの中に浮かんだり沈んだりしながら真水に慣れようとする鮭がずーっと一箇所に留まっている姿を見つけたので仕掛けを投げるが、ゆっくり引いても早く引いてもどんなにやっても鮭は針に掛からない。

1メーター前後のイルカのような鮭が目の前に浮かんだり沈んだりしている。個体差も有るが少したってからおもむろに上流に上って行く。そのためしばらくの間目の前数メーターのところに鮭がいるのだ。

この鮭を必死で釣ろうと仕掛けを投げ込むのだが鮭は知らん顔をするので釣れない。

この鮭の上る川は上流で雨が降ると河口が晴れて居ても川は氾濫するし勿論河口で雨が降ると川は氾濫する。こんな日でも川に向かいみんなが釣りにならないと言っても釣りをしていた。
鱒釣りで覚えた川が氾濫して居ても魚は濁流と清流が合流する境目に漂っていたりする事を知っており、他の釣り人がいない為以外に良い釣りが出来るものである。

こんな釣れない日を毎日送っており、我々だけが釣れないのか?と地元の人達に聞くと、「鮭は毎日7匹ぐらい川に戻ってくる」と言う。平均100人ぐらい釣りをしている中一日一匹ぐらいの確率で釣れるらしい。
それも地元の鮭釣りを知り尽くした人達である。「地元の人でワンシーズン(4ヶ月)に二匹釣れると良い方だ」と言うそのぐらい釣れない釣りである。

このぐらい釣れない鮭ならば何とか釣ってやろうと燃えるのが我々変人の考えである。
そこで又毎日毎日釣れない釣りをするのだがやはり釣れない。さすがに諦めかけた私が今日はもうやめようと女房に言うと女房は「もう少し待って、もう少し経ったらきっと鮭はここを通る」と言うのです。
仕方なく又つまらない単純な釣りを続ける。するとどうしたことでしょう、突然本当に鮭が本当に掛かったのです。二ヶ月で二匹目の鮭が。
針掛りした鮭はファーストランで川の中に逃げ込む、その鮭を今度は逃がすものかとたくみに鮭の顔を上流に向け、川に流れ込む小川に導きその土手に上手く誘導して土手に引き上げたのです。これは感激でした。

後で女房に何故鮭がこの時間にここを通るのかと聞いたところ、女房は毎日毎日釣りをしていて鮭が海から河口に入り上流に上りだし、「自分達の前を通り過ぎるのがこの時間だ」と毎日計算していたと言うことです。
このように魚の行動を考える事が魚を釣り上げることより釣りの面白さである事を女房は悟ったのです。

もう一つこの釣りで感激した事は、こんな汚い川で単純な鮭釣りでも鮭が産卵遡上に上る姿が見られるのです。川の水が少なくなり鮭が少なくなっているのですが流れに沿って遡上する鮭が間違って浅瀬にぶつかった時、鮭はバックが出来ないので浅瀬を必死に上って行く、もし足元を上っているならば飛びついて手づかみできそうな位、ほとんどからだ全体を出して浅瀬を上ってゆく。
この浅瀬を上る鮭に朝日が反射して巨大な銀色のルアーが川を上って行くような素晴らしい光景である。これは一見の価値がある。

ちなみにこの川の魚の味は 「クサイ」、さすがに、し尿で育った魚だ。

又この川に鮭釣りに行きたいとは思わないのですがこの産卵遡上のギラギラと輝く鮭の姿は又見たいと思っています。

今の夢は、カタマランが完成したら又アラスカに行って今度は河口近くでキングサーモンを釣り上げたい。

Saturday, December 01, 2007

 

我が家の春から初夏

我が家の春から初夏

好天に恵まれてカタマラン造りは順調に進んでいます。
ただ今昨年の嵐でダメージを受けたところをほぼ修理し終わったと言ったところです。

このカタマランは新しい素材を使い軽く造ると言う目的ですので「何処まで軽く、どのぐらい強さが得られるのか?」と言った妥協点を見つけ出すのが難しく、
今回は水線下にディオレーンと呼ぶ新しい素材を使いました。これはケブラーと同じ様な強さの性質らしく材料屋さんが勧めるので一度使ってみることにしたのです。
このディオレーンは一見クロスと同じ様に見えますがレジンで固めると鋼鉄の様に硬くなり心強く船底に信頼感が増えてきます。

カーボンやケブラーを沢山使えば強く軽く仕上がるのですが、材料代が天まで届く位必要となってきますのでとても使えません。
このディオレーンは高いのですがカーボンやケブラーと比べても適当な強さがあり価格も安い点が気に入っています。
一度使うとそこら中使いたいのですが出費を考えグラスで我慢しています。

こんな日々を過していますが、我々の周りは初夏真っ最中と言ったところです。今朝窓からデッキを見るとファイバーグラスのゴミが落ちています。ヨット造りの材料がその辺に散らばっていると見え、小鳥達がそのファイバーグラスを使って巣作りをしている様子です。
「誰がこんな物をデッキに持ってきたんだ」と考えると心当たりがあるのは小鳥ぐらいです。

我々の敷地には色々な種類の鳥がいます。カワセミは涼しい時には電線に止まっていて獲物を探しています。大変目がいいと見えかなりの距離(20メーター)からミミズや虫などを見つけ突然飛び立ち獲物を銜え又電線に戻ってきます。
カワセミも我々の事は良く知っていると見え恐れる様子はないのですが、見知らぬ人が来るとどこに行くのか近くに見えなくなってしまいます。
来客にバードウォッチングをしてもらおうとしても、そこらに何時もいるのにこんな時にはカワセミがいない。これは不思議な事です。

春に良く見るのはフラックスの密を吸いに来る「ツイ」。この鳥は一見黒くのど仏に白い鳴き袋をつけた鳥です。良く見ると黒と思っていたのは間違いでブルーや黒の光沢のある綺麗な鳥なんです。
美しい声で鳴きニュージーランドのウグイスといったところです。

庭にはキジも沢山います。キジはしょっちゅう卵を産んでいる様子です。時々卵を草むらの少し平らになったところで見かけます。この雛が孵った時には母親が雛を連れてエサを探している光景を良く見かけます。
ところが我が家のネコ「イチゴ」の好物なんです。この雛を獲って食べるのです。可哀そうですがネコに言い聞かしてもやめません。

ネコに獲られたヒナを取り戻そうと必死で母親やオスのキジがけたたましくネコに威嚇するのですがネコはヒナを銜えて知らん顔をしています。
ネコは片っ端からヒナを獲る事はしないのですがなんとなく飼い主として気が引けます。

ネコのもう一つの好物はウサギの子です。ウサギの隠れ家と思える所の近くにジッと獲物が顔を出すのを見張っています。
時には同じところに毎日通い何日も何日もジッと待っています。
そしてあるとき草むらに顔を突っ込んだと見えるとウサギの子どもを銜え主人の私に誇らしげに見せおもむろに食べ始めます。

ネズミも取りますが大きいのはなぶり殺してそこらに放っておいてあります。小さいネズミは腹が減っていると食べますがあまり好みではないようです。
小鳥の話しに戻りますが、ブラックバードと言う鳥もせっせと巣作りに励んでいます。
屋根のトイなどに巣を作るため困っております。この鳥はそこら中に巣を作る為木など枝落としをしようと思うとブラックバードの巣があり雛がいる、ポスト箱まで巣にしてしまう。

ブラックバードのメスがいつも庭で何か餌や巣の材料を探しているのを良く見受けます。時にはカタツムリを銜えて飛び上がり空中からカタツムリを落とし殻を割って中身を飛べるのです。
鳥もなかなか頭が良いと感心します。あるとき女房がアボカドの木の下にある洗い場で洗濯していたら、この鳥がぎゃーぎゃー鳴き糞を女房の頭にぺちゃと落としたのです。
飛び立ったばかりのヒナ鳥が横にちょろちょろしていたと女房は言うのですが、子をかばう母鳥の行為でしょうか。

私の一番好きな鳥は「メジロ」です。英語では「シルバーアイ」と言い小さくて可愛い淡いグリーンの体に白い目、こんな小さな鳥でも何かを銜えて巣作りをするのです。
当たり前かも知れませんが小さな体に大きな巣の材料を銜えて飛び立って行くのを見ていますと愛らしく思うのです。

ファンテールもいます。この鳥は人間に一番近くまで近寄って来る野鳥でしょう。薮などを歩くと必ず手が届くのではないかというところまで近寄ってくるのです。
何と人なつっこい鳥だろうと思っていたら、この鳥は人間が動く時に周りの小さな虫達が飛び立つのを獲って食べているのです。
だから人間の周りにつかず離れず近寄ってくるのです。

こんな我が家の住人達が春になるとにぎやかに飛びまわり餌を取って巣作りをするのです。
アボカドなどもこれらの鳥のエサになっています。まだ未熟なうちから嘴でアボカドに傷をつけ、傷を付けられたアボカドの実は早く熟し地上に落ちます。それを食べるのです。毎日一個か二個地上に落ちています。一度に多くは落とさないのです。

食べ頃になるとアボカドは自然に落ちても来ますので毎朝それを拾って歩くのもこの季節の楽しみでもあります。傷がついたアボガドは鳥や獣の取り分として置いておき、きれいなアボカドを拾います。他の果物も同じ様に鳥達と分かち合って食べています。

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