Friday, June 27, 2008

 

ウィンターブルー

ウィンターブルー

ニュージーランドは冬らしい天気になってきました。今年は冬とはいえ暖かく晴れた日が多くて助かっていたのですが、ここで冬の雨が降る冷たく寒い日がやってきたのです。
おまけに世の中は不景気になり物価も値上がりが烈しく、買い物に行っても客の数より従業員の数の方がはるかに多く、店の中を従業員がぶらぶらとして時間を潰している姿ばかりが目立つ様です。

そして我々アジア人が恐れる「アジア人殺し」が流行っています。
ここ一ヶ月インド人の酒屋が襲われ金や酒を奪われた後にライフルで撃ち殺されてしまった事件や、中国人の女性がハンドバックをひったくられ取り返そうと追いかけたとき逃げる車にひき殺される。

中国人の老婆が家に侵入してきた賊に殴り殺される。

旅行者の韓国人が殺されて山に埋められていた。

日本人も殺され海岸から事故に見せかけて車ごと海に捨てられる。

これが今のニュージーランドの「緑が多く自然が美しい」と宣伝される現実のイメージです。
アジア人は小さく軽蔑や差別の対象となりやすく、おまけに現金を持っているために僅かな金のために殺されるパターンが多いと思います。
こちらの人種はハンティング的考えの環境で育っている為、獲物と思うとソ~ッと近寄り「ズドン~」と撃つこの様な考えが普通の考えですので、運悪く物事を考えられない人とめぐり遭ったら「これは悲劇」です。

観光客が獲物と間違われ金を取られ殺されてしまいます。お隣のオーストラリアは人が殺され埋められても発見される事が無いと言われている土地柄ですが、最近はここニュージーランドが一番危ない国ではないか?と思うのです。

今では夜絶対に外を歩かない方がいい国になっています。

確かに下級労働者が必要なために何も考えられない人を多く育て上げているのですが、日本と違った精神状態のおかしな人達が増えていると思います。

日本の犯罪者のパターンはストレス社会の被害者的犯罪者ですが、こちらの犯罪者はもっと単純な「金を持っている、襲え」この様な快楽の為の金目当て、単純に言うと「獲物だ襲え」こんな馬鹿な奴らが多い。「恐い、恐い、」
ここニュージーランドは世界二番目の犯罪率を誇っており?そのうちアメリカを抜いて世界一番になるのではないか?「金メダルをもらえるかな~」ななっ!オリンピックではないぞ~。

気をつけないと「明日はわが身」。
とにかく冬は暗いのがいやですね~、カタマランが完成して暖かい南太平洋に冬の時期はセーリングしたいと思い憧れるのです。

南太平洋に行くといい事があるか?と言いますと其処には其処の問題が多く、困る事が多いと思いますが、多くのセーリング中のヨットが出すサイトを見ていますと世界で未だかすかに良いところは太平洋みたいです。

セーリングしている多くのヨットはアメリカ人やヨーロッパ人ですので、大西洋の島々は一番先に荒らされている様子が窺われます。
アメリカ人やヨーロッパ人から距離的に一番遠いここ南太平洋が未だ?かろうじて残された良いところではないか?とセーリング中の手記の数々から窺えるのです。
これも多分今のうちでしょうね~、そのうち何処に行っても同じ様なものになってきて、自分の家でコタツに入っているのが一番と思うようになるのでしょうね~。

一つだけいい話は、日照時間が少しずつ長くなってきました。

Friday, June 13, 2008

 

ヨットと腎臓

ヨットと腎臓

カタマランはただ今フェアリング工程です。
毎日女房がフィラーをレジンと混ぜ合わせそれを私が船体に塗りつけてゆく。何とも大変な仕事である。
この仕事を地道にし船全体を塗らなければいけない。

何でこんな大変な仕事をしなければいけないか?と言いますと、これが個人でヨットを造る上で仕事量は多いが経済的なのです。
単純労働ですので毎日少しずつやっていれば1ヶ月ぐらいで終わるのではないか?と考えております。
ニュージーランドはこれから冬になりますのであまり働く時間がなく、直ぐに一日が過ぎてゆきますがその分ノンビリと働いています。

ところで、先日テレビでアメリカの腎臓移植の番組をやっており自分の体の様な気持ちで番組を見ていたのですが、三人移植して二人が体の拒絶反応により死に、一人が成功して普通の生活をすることが出来たという番組でした。データーでは、25%の人が拒絶反応を起こすそうです。
私個人の考えでは病状が悪化すれば腎臓移植したいと考えており、人工透析で不自由をしながら生き延びるより「勝負」してみようと考えています。

たまたま病院のドクターと会う日がテレビ番組の次の日だったため、ドクターにニュージーランドの腎臓移植の現状を聞いてみたのです。
今のドクターはイギリスから移民して来たヨット好きのドクターで、レースで大西洋を渡った経験の持ち主であり自作のヨットも作ったことがある人です。
何故かドクターと言うのはヨット好きの人が多く、私もドクターに合う度にヨットの話をする為に来た?と思うほど病気の話しよりヨットの話に成ってしまいます。

このドクターも開口一番『ヨットはどのくらい出来たのか?』と聞くのです。この国では趣味の話が出来ないとお互いになじめないところが有り、たまたまカタマランを造っている事が幸いしてドクターに親近感を持ってもらっています。

ところで、このドクターに腎臓移植の話を聞いてみたのです。
将来の計画のためにも私の腎臓が後どの位持つのか心配しており、最悪な場合カタマラン造りも挫折しなければいけないかも知れず、完成したとしてもセーリングの途中で心臓発作でも起これば女房一人でどうするのだろうとの心配をしている。

女房も自らドクターに思い切って『自分の腎臓を提供しても良い』と言って聞いてみたのです。

もう一つ、「外国で移植するのはどうか?」と聞いて見ました。ドクターが言うには
『インターネットで盛んに外国で移植する話を宣伝しているが、違法である事と他の病気を持っている可能性がないかと言う検査が無く、新たな病気をもらう可能性がある』と言う。そしてこの国での移植を何故か目を輝かせて勧める。

女房の腎臓を移植する件については『ニュージーランドでは未だ血液タイプの違うもの同士の腎臓移植はやった前例が無い』と言うのです。
これでわが女房はホッとしたのでしょう。

将来セーリングするにはと言う話しに成り、ドクター曰く『私だったらセーリングに行く』と言う。
『ヨットに人工透析の機械を積み込んでいったらどうだ』という始末、ドクター自身がセーリングに行きたいので話が弾むのです。ちなみにこのドクターの奥さんもセーリングに行きたいと言っているそうです。世界一周も勧める。行く先々の病院で人工透析用の液?を積み込めばいいとも言う。

話が弾み『私は病院の腎臓移植チームの一員だからまた情報を教えてあげる』直ぐに腎臓移植をするわけではなくセーリングに行くわけでもないのだから、もう少し調べてみると言ってくれたのでした。

前回はアルコールを飲んでも構わないとこのドクターが言ってくれたため気を良くしてワインなど飲んでいたら、持病の通風が出てしまいまたワインの変わりに「水」を飲む事になってしまった。
通風が出ると痛いので痛め止を服用するのだがこの痛め止が腎臓を悪くしてゆくため、出来る限り痛め止を飲まないようにするには節制した生活を送るしか道は無いようです。

東洋医学がいいとは言わないのですが、西洋医学はこれには効くが、必ず副作用がありどこかが悪くなってゆく。ヒョットしたら「固定客づくりをされているのか?なぁ~」と疑ってしまう。

Sunday, June 01, 2008

 

アーチの取り付けが終わった


アーチの取り付けが終わった

ガレージで作りあがったアーチを何とか二人で担いで青空工場に持ち込み無事取り付ける。
カタマランにアーチが付くと迫力が出てきた。

以前からアーチが欲しかったのでカタマランには絶対取り付けたいと考えていた。
特別アーチなど必要はないのだが、あるとクルージングに便利な事が多く「こんな時、ここにアーチがあったらな~」と思ったことが以前に何度もあった。
そしてコックピットの後ろに大きなアーチがあるだけでヨットが頼もしく見えてくる。

まぁ~遊び心のようなものですねぇ。
これでコックピットが大体出来上がったが、じっくり眺めてみると「角」の角ばったところが目立つ。ヨットでは角は危険なイメージがあり、出来る限り角を落として柔らかい感じに仕上げたい。
その内に角や端の処理をモールディングでカバーして柔らかいイメージにしたいと思っています。

とにかく今は、細かい仕事が多くなかなか前に進まないのです。昨日は船内のグラスがむき出しになっている所に湿気が沁み込むのを防ぐペイントをしたのですが、面積が多く、今日も同じ仕事をする予定です。
船内のペイントはスプレーガンで吹くのですが、船内が霧に包まれたように物凄いペイントの霧が飛び散り、顔などオーストラリアの原住民アボリジィ二ーのようになってしまいます。

まだまだ仕事は数え切れないほどあり当分退屈にはなりません。毎日毎日少しずつ形が出来上がってゆくのが大変な仕事との交換で、楽しく、喜びでもあります。

二年前を思い出すと「カタマランが本当に出来るのかな~」と、自分でも半信半疑だったのですが「私には出来る」と自信を持つしかなかった。
20年前ニュージーランドに来てヨットを買って初めて乗り始めたのですが、その頃我々の周りには自作でヨットを造るニュージーランド人がいっぱいいたのです。
子どもの頃からヨットに乗り親しみ、ヨットを修理してその内自分でヨットを造る。みんな「われが一番」と自信に満ち溢れていて、こんな連中に私は嫉妬を感じていました。

日本人だった私は、ヨットは働き金を稼いで買う物と思い込んでいたからです。
周りの人々がヨットを造れて、私は造れない。
何て私は能力の無い人間だと思ったものです。

一旦海に出ると誰も助けてはくれない。誰もいない海で何でも自分でやらなければいけないのに、修理屋を呼ばないと何も出来ない何と情け無いヨット乗りなんだと思ったものです。
それ以来自分で出来る事は自分でし、ヨットの修理をして少しずつヨットなる物を覚えて行き、セーリングの経験も積んでこんな船が欲しいと自分で設計して、造り出し、ここまで来たのです。

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