Friday, November 25, 2005

 

ニュージーランド暮らし



     ニュージーランド暮らし
         

    *  ポルシェ

  愛妻が以前から欲しかった血圧計を日本へ里帰りした時に買って来てくれた。遠く日本を離れ言葉の不自由な頼る人もいない外国生活の今、「健康だけは気を付けていないと」と考えており、素人が目安として自分の健康を管理する時、血糖値と血圧だけはこまめに測り自分の体を監視すれば良いと以前から思っていた。何年か前に友達が訪れた時調子に乗りビールを飲みすぎた為、後に足に激しい痛みを感じいたたまれず医者に救いを求める。愛妻が私の身を心配して医者に「家系の中に糖尿病の者がいる」と医者に告げる。別に悪気があって言った訳ではなく親切で言ってくれたのだが、糖尿病には遺伝説があり、私自身も足の痛みに耐え切れずに医者を訪れた為、すぐさま「血液検査をしましょう」と言われれば、痛みに耐えている患者の私は今すぐ血液検査をすべきものと思い込んでしまったのである。足の痛みは激しいがすでに朝食を食べた後だったので、予備知識があれば、今まで健康体で医者など滅多に行った経験のない患者としても、「朝食を食べましたか?」とでも聞かれれば血液検査の値に反応することが分かったのだが、何も知らない患者に「血液検査をしましょう」であるから、食後すぐ採血をされたのです。
この時点では、愛妻の言った「家族に糖尿病患者がいる」と言う言葉より糖尿病とビールの飲みすぎによる通風と診断され、痛み止めと治療薬の処方箋を貰い看護婦の部屋に回される。
看護婦部屋に行き、血圧と血糖値を測る。そして「インシュリンを注射します、腹を出してくれ」と言われる。
そこで今からインシュリン注射をすると言われたので、さすがの私も看護婦さんに「ちょっと待ってくれ」とストップをかけた。ビールの飲みすぎで通風になった事は認めるが血糖値の結果も出ない前にすぐさまインシュリンを注射するとは、ここで今インシュリンを注射すると私の体はインシュリンに頼り、これから毎日インシュリンなしでは生活していけなくなるのではないか?と素人ながら恐怖を感じる。
そこで、看護婦さんに「インシュリン注射だけは、ちょっと待ってください、食事療法でがんばって何とかしますので」と言ったところ、看護婦さんは医者に電話を入れ(看護婦室と医者の部屋は離れている)「患者がこう言って居る」がどうすると問い合わす。
医者は儲け損なったと思ったかもしれないが、「それではインシュリン注射はしなくて良い」と言ったのでその場は収まり、その後血液検査のため別の場所で採血され、痛め止めと治療薬を薬局で買い求め家に帰る。
一週間後、血液検査の結果は血糖値が平均より高いと判断されたのである(一般に正常な血糖値は空腹時で4~8)。今考えると当たり前の事で朝食になにを食べたか?は覚えていないが、食事をした後で血液検査をすれば血糖値が高くなってしまう。血糖値が高いと診断された事で自己管理の為、血糖値を計る機械を買い求め毎日のデーターを取り自分の健康を管理研究する。その結果分かった事は、今となっては当たり前の事だが食後には血糖値が上がるということである。
食べるものにより値が変ることも発見する(蜂蜜や、甘いもの、は極端に血糖値が上がる)。人体実験をするように色々違った食べ物を食べ比べ値を計る、そのためには血液検査をする前は胃の中を空っぽにしておく事が正確な血糖値を知るために重要である。
  痛みが引き一見回復したように見えたが用心の為しばらくは定期的に医者に通う、そして自分で計った血糖値のデーターを医者に見せ食事療法もしていることを話す。
しかしこの時はまだビールはやめておらず時々通風の痛みは現れていた。痛み止めを飲むことにより痛みが消える為薬を飲んでいれば良いと自然と医者に行かずそのままにして置いたのだが、何時までも完治しない事と痛み止めが切れた為そろそろ又医者に行かなければと思い始める。時を同じくして日本からのお土産、血圧計で計ったところ以前は血圧だけは大丈夫と太鼓判を押されていたのに血圧計は少し血圧が高いと出ている、また心配になり痛め止めも必要な為医者に行く。
今回は以前の診断の不信から掛かり付けの医者を変えようと思い他の医者を探すが、この国のシステムで以前の診断がコンピューターに総て入っており、医者を変えてもコンピューターにあるデーターは新しい医者に送られ、前の医者から付いて回る。「どこの医者を使っていたか?」と聞かれ、その医者の過去の診断がコンピューターを通して新しい医者にやってくる。このシステムのため患者は過去の診断から逃げられない。新しい医者が初めから調べることをせずにそのまま治療を続ける。
仕方がないので又同じ医者に行く。
  医者が言う事には「暫く来なかったじゃないか」、私は「凄く体の調子が良かったもので」とごまかして答える。
医者は,「今日はどうして来たのだ」と聞くので、以前の失敗を犯すまいと思い血圧の高いのを黙って「一般的な健康診断をして欲しいのです、それと痛み止めをください」と言う。それでは、「血圧を測ります」「血液検査をしましょう」今回医者が言う言葉で驚いたのは「朝食は食べたか?」と聞くではないか。このごろは、医者に行く時は用心のために何も食べずに行く事にしている。
以前のように血液検査をして血糖値が上がるのを警戒して、空腹で医者に行く事にしている、そこで医者から「何も食べてないか?」と聞かれること自体が驚きである。
ここで「何故このように思うか?」という事を話さないといけない。
  この国の考え方なのだが、当たり前の事だが知識を習得するとそれは自分の技術であり特技である。そして秘密でもある。必要以上の事は話さない。話すときには何かと交換する時である「ギブアンドテイク」の関係にある。
この考え方が根底にあり医者だけでなく総ての人が同じような考え方をする。この国では、人口が少なく何か技術を身につけるとそれが完璧でなくても技術者として活躍する場がある「失礼」。多くの仕事において三年も下積みするともう一人前であり独立を考える。うらやましい事にこの国では日本のように大会社というものがなく、会社が経営不振に成ると直ぐにレイオフされる環境である為自分の技術や知識をソフトとして売ることにおいて収入を得るという考え方をする。日本のようにぺらぺらとお節介がましく話さない、こちらが聞くとそれに対しては答える。「絶対知らないとは言わない」どうしてか?というと、「知識がある」ということで収入を得ているからであり、ここでもし「知らない」と言うと「知らないのに金を取る」ということになってしまう。そこで、何かを見つけてこじつけてでも答える、そして絶対謝らない。見事なくらい謝らない、これが一般常識的な考え方である。
医者の場合も同じ考え方をする。医者という地位があるだけに困ったもので、間違って利用されたら大変なことになるが根底には同じ考えが生きていると思われる。そこで患者は医者以上の知識がないと自分の体を守ることが出来ない。「医者も商売である」と言う言葉を思い出す[確かにそうなのだ」。患者側はとかく自分の体を直してくれる天使のマジシャンのように思うが「医者も商売人である」。ためしに電話を入れ質問をして見ると話しの中に「ビジネス」と言う言葉が返ってくる。
  今回も、血圧が少し高いのが見付かった。以前にも血圧は測ったのだが「問題ない」と言われ安心していた。今回は少し高いので血圧降下剤を飲みなさいと「にっこり」と処方箋を渡される。この「ニッコリ」と笑うところが心に引っかかる。「何か魂胆があるのではないか?」薬局で処方箋を渡しその薬を買う。
前回は血圧だけは大丈夫といわれ痛み止めの処方箋を貰ったときにやはり血圧降下剤を一緒に買わされた。薬局で前回と同じ血圧降下剤と同じものを頂く。と言う事は,前回は血圧は正常だと言って血圧降下剤を買わされたことになる。
医者が薬を売り儲けなければいけない話を人より聞いて知っており、自分の体の健康を見てもらうのだから薬ぐらいは買ってあげ飲まなければ良いと考えて前回は買ったが複雑な心境である。
せっかく買ったこともあり今回は血圧が少し高いのでこの薬を少し飲んでみる事にする。
ここで心配な事は、この国のデッカイ体をした人と同じ量の薬を飲まなければいけないと言うことである。我々はこの国の人達と比べて半分の体しか無いのに同じ量の薬を飲んでも大丈夫なのか?と心配する。
  10日ほど飲みつづけると血圧は下がり良い数字と成ったのだが、毎朝の散歩の時に頭がふらふらとして顔が青くなり
一般に言う「立ちくらみ」の状態になる。散歩は近くの滝まで毎日犬と2時間近く歩く少しきつい階段の多いコースであるが、10年以上続けていてこんなに頭がふらふらする事は初めてである。散歩後風呂に入ったのだが酒でも飲んで風呂に入ったように頭がふらふらになり慌ててフロから上がる。酒を飲んでもいないし思い当たる事はあの薬しかない。
最近は本人も驚くほど品行方正で体を直したい一心で酒は飲んでいない。過去に一度だけ酒をフロで飲んでふらふらになった事があるため経験的に知っておりこのときの状態と同じであった。血圧を測ると血圧が下がりすぎていたのである。医者に相談しようかと思ったがこれは得策ではないと愛妻と意見が一致する(なぜならば医者は薬を売り儲けなければいけないから)。
  手持ちの本とインターネットで調べる(便利になったものである)。
日本の医者とアメリカの医者は血圧降下剤は少なくしてもよいとあり、結論として薬をやめてみることを試す。
血圧が高いと言っても少し高いぐらいであり運動でカバーできるぐらいの数字であるため、もし又、再度血圧が上がった時飲むという事にして血圧降下剤を飲まずに散歩を少し激しくして自分の体の人体実験をしてみる。
血圧降下剤を飲まないとき血圧を計ると朝は血圧が少し高く、散歩後は平均値になっていた。散歩中の頭のくらくらする事はなくなり、息は荒くなるが何時もと変わりのない運動となる。きっと散歩で体温が上がり血管が広がり血液の流れを良くするためであろうと推測される。これからも続けて血圧と血糖値を監視して自分で自分の体を管理していかなければいけないと感じた。
おまけに嬉しいのか?悲しいのか?医者から三ヵ月後に血液検査を無料でするから来るようにと診察券を貰っている。かんぐって考えるとこの意味は、血圧降下剤を飲んで副作用がないか?と肝臓を調べると思われる。インターネットで調べた時に血圧降下剤は副作用が強いと書いてあったことを思い出す。ヤバイ、ヤバイ。
  この後の続きがある、無料の血液検査の結果だが血液の中の尿酸の量が多いと出てしまった。
これを治療しなければいけないと医者から連絡が入る、「ほんとかな?」と疑いながら医者に行く。この際はっきりと医者に自分の考えを伝えなければと思い紙に自分の体の状態を書き出し、インターネットで調べた事も付け加え血圧を下げる薬をやめた事も書き医者に見せる。それを見ても医者は高血圧の薬を飲まなければいけないと言い張るので仕方なく量の少ない薬を貰う。この薬を薬局で買い求めると、薬局の言うにはこの薬は何時もより随分と量が少ないが間違いはないかと念を押される。
コンピューターにすでに名前と薬名の過去の記録が入っているため簡単にわかる。「私はデリケートなので少ない薬でよいのだ」と冗談を言う。薬局側は同じ値段で薬を売るのに今回は薬の量が10分の一しか無い。売る側もどこか気が引けるのだろうか?ためしに安くしてくれるか?と聞けばよかった。
その10分の一の薬を又飲み始める。三日目で薬が聞き出し散歩中に又頭がふらふらしだすので愛妻が又インターネットで調べてくれる。すると日本では同じ薬を20分の一から飲むことが解り、10分の一ではまだ量が多そうだ、それ以来薬を半分に切って飲んでみることにする。
  この国では薬を貰うためには処方箋を医者から貰いその処方箋を持ち薬局で薬を買う仕組みになっている。医者の診察料は一時間200ドルプラス消費税12,5%である。平均して15分ぐらい話して血圧を測り、コンピューターに打ち込み処方箋を書き看護婦室に回される、それで55ドル請求が来る。治療の必要な場合は病院に回されここではアドバイスだけが仕事であり何もしない請求書もコンサルティング料と書いてあり医者としての知識を売るのである。基本的には病院は税金で賄い患者はタダとなっているが待ち時間が長く死んでしまうこともあるのが現実である。
糖尿病関係は政府の援助がある為何かとメリットがあり安くなっている。この援助と言うのが曲者で、医者は何かとタダでやってくれる為、薬は飲め、風邪の予防注射はしてやる、とにかく医者に来い、薬局では薬を安く与え、糖尿患者と言う砂糖に群がるアリの様に糖尿患者を生産して金儲けをしているように見える?。
おかげさまで私も糖尿患者と言うことになってしまった。自分自身で診断すると予備軍と言ったところ位であり節制すれば健康体でいられると信じているが暴飲暴食すると本物の糖尿患者になってしまう。これは現代人の誰にでも言えることである。
医者は簡単に患者を作り上げることが出来るのではないか?と疑う私である。医者と言うのは人を殺しても罪にはならず、この国にもイギリスで食えなくなった医者が流れて来て10人20人の患者を殺し、さすがに「おかしい?」と捕まり裁判になった医者がいた、裁判の結果がどうなったのか?は不明だがイギリスに逃げ帰り又医者をやっている。
  医者の駐車場に目新しいポルシェを見た時ハッと驚いた「ポルシェは高いのだ」。医者はその高いポルシェの代金を払っていると言う事は、ポルシェのハンドルなりタイヤぐらいは患者負担になっているかもしれない?。患者は自分の体と懐に気を付けなければいけない。あのポルシェは医者の「注射情」(これは洒落です)に在ったのだ。

    *  胃がん ?

  年を取ると体の健康がやたらに気になってきます。「エイジング」年老いて行くのです。世の中には不公平なことが一杯ありますがこれだけは世の中公平にやってくる。一見若そうに見えても確実に老いはやって来てくれる。壁に張られている我が愛妻が書いた「寄る年波には勝てない」と言う張り紙に目が行く。昔から言う事だけは立派な人だと親に言われ壁に書いて張っておくのが得意の人だ。偉い人の格言の様に私の格言は誰も聞いてはくれないと思うが、敢えてここに書くと「言うは易し、横山ヤスシは死んでしまった」。別に横山ヤスシが好きなわけではないが語呂合わせで言うのである。死んでしまうともう遅いとでも言う事か?今の医学ではどうしようも無いことであり残りの人生を思い切り生きるしかない。
歳を取ると*おめかし*しても似合わず、金でもくれてやらなければ若い者は相手にしてくれないし、幾ら金が有っても貧乏性が出て使えない。多くの老人は見せびらかすだけで虎の子が無くなるのが怖くて使えない。結果的に金の使い道は病院代と葬式代ぐらいになってくる。私も今年で58歳になってしまう、これからはどう余生を生きるか?ではなく、どう死んでいくか?を考えなければいけないと思っている。別に死にたいという意味ではなく宝くじも競馬も当たった事の無い私が絶対当てられる事は「確実に人間は死ぬ」と宣言する事である(此れは当たりますよ)。
多くの先輩の死を見つめて思う事は、何時かは私もこういう風になるという事実でありその瞬間に「ニコッ」と笑えるぐらい悔いの無い人生を送ることに私は憧れる。私の「Xデー」は何時来るのでしょう?。
  この国の医療は基本的に公共病院は無料である。アメリカや日本のように保険を掛けていないと、法外な請求書が来ると言う事はなく嬉しい事に無料である。
まず、日頃かかりつけの医者に行き診断してもらう(直接病院に行っても良いが待ち時間が長い)。このときは日本の初診料と同じ様に50ドル位払う(15分)領収書にはコンサルティングフィーとあり医者の知識を患者に売ったのだ。これに薬を売ることにより薬局からバックマージンが入るものと思われる。このかかりつけの医者が精密検査や病院治療が必要と判断した時には書類を書いて、病院に電話してくれる。少しずる賢い人は救急車を呼び病院に運び込まれる、こうすると緊急患者と言うことで待ち時間が早まり救急車代は請求されるが病院代はタダである。
  以前病院には、わが愛妻が二回ほどお世話になったことがある。一回目は、胃が痛いと言い出し「胃癌」ではないかと自己判断でかかりつけの医者に行く。医者で「胃癌の疑いがあるために見てくれないか?」と相談したところ医者が言うには「この国では胃癌はほとんどない」、医者自身も過去に診察した経験はないので、それではと病院での精密検査が大至急必要と手続きをしてくれる。
病院では患者が大勢待っているのに医者からの緊急患者なのと、病院も珍しい胃がん患者がやって来たということで経験を積む意味でも良いとばかりに全身麻酔をかけ胃カメラで胃の中を調べる。早朝に入院し、夕方帰宅である。
帰るときは、麻酔の影響があるといけないから患者自身で車の運転はしないようにと注意され、誰かに迎えに来てもらうようにといわれる。この国では、公共のバスやタクシーは限られた台数しかなく主に交通機関は自家用車を用いる。患者が一人で車を運転して病院に来る事が多く病院側もそれを心配して注意してくれたのだ。
帰宅途中で事故でも起こされたら困る為迎えの者が行かないと患者を退院させてくれず、迎えに行くと看護婦から「お大事に」と言った言葉を言われ病院から送られる。受付で料金を払おうとしたら「無料」ですと言うではないか、なんと響きの良い言葉に聞こえた事であろう、心の中では「入院して胃がんの検査をしてもらったのに幾らとられるのだ」と心配しており、病院でお金を払うのが当たり前の感覚で居る私としては、「ほんとにタダですか?」と聞き返す。余りにも愛妻が胃癌の末期で「可愛そうに」と情けから無料にしてくれたのか?と疑うような、「タダでよかった」と喜ぶような複雑な気持ちである。まだ麻酔の効いた愛妻を促すように「タダ」と言われたことが「間違いでした」と言われない内にと病院を出る。何日か経ち、愛妻が掛かりつけの医者に胃がんが末期だと宣告されないか?と不安に慄きながら電話を入れ診断結果を聞く。
医者が言うには、問題は無い。診断書には「クェッション マーク (?)が付いていた」。
あまりにも正常な胃だった?、薬で治ったのか?(いつものように妻は薬は買うけど少し飲んでは放っておく)、訳の分からない愛妻は医者にその意味を聞き返すが「どんな胃癌だったのか分からない解らない」ということらしい。そこで改めて愛妻は、安心すると同時に胃の痛みの原因を思った。
医者に胃がんではないか?と訪れた前日、「歳を取ると体力が落ちる」と我が家で体力づくりの腹筋運動を何時もより余分に多くやり余りにもやりすぎたために「腹の周りの筋肉が痛くなり」それを日頃から胃の調子が悪いと言っていた心配性の愛妻は胃癌と間違えたのである。
それ以来、腹筋運動は控えた為胃癌の兆候は現れず病院代は「ただ」これでは国がつぶれるのではないかと心配したのである。勿論かかりつけの医者には[腹筋の後遺症」だとは言えずに黙っていた「胃癌?」・・・・・これではイカン・・・・
  二回目は、不幸にも愛妻の兄が亡くなった時、その不幸の知らせがあり兄のことを考えるばかりにちょっとした間違いで左の親指を大きく切ってしまう。傷口は予想以上に大きく開き血があふれ出た、これはすぐ縫ってもらわないといけないとタオルで傷口を巻き急いで民間の救急病院に行く。するとここでは治療できないと別の医者を紹介されその医者に行くことになる。そこでもここでは出来ないと言う。
看護婦の言う事には「今までこんな大きな傷は見た事はない」というではないか。だから「医者に行け」と言われる?。看護婦が「こんな怪我見たことが無い」とは何と言う医者に来てしまったのだ。
怪我をしたから医者に来たのに、「医者に行け」とは、ここはいったいどこなのだ?愛妻の傷を心配しながら「どの医者ですか?」
其れを無視するかのように看護婦が言うには今から取り敢えずレントゲンを撮ります「このレントゲン代は現金で払ってください」と言われる。「治療できないのですか?」と言うと、傷の治療は出来ませんがレントゲンを撮ります、その写真を持って病院に行ってください。
肝心の傷の方は手に付いた血を拭てくれただけでこちらとしては傷口を縫ってくれるのかと思っていたら、血がこぼれない様三角巾を肩からかけてくれる。病院に電話して直ぐに行くように告げられる。看護婦の話では病院では直ぐに治療してくれるからと言う話であった。
  急いで病院に駆けつけ緊急窓口で申し込むと待合室で待ってくれと言われる。それから4時間待合室で順番を待ちやっとの事で病室に入れられる。そこで、今混んでいるので明日朝オペしますと言う事だった。愛妻は点滴を打たれて待つこと丸一日、その間何人もの医者が検診に来て[死ぬ事はない」と判断されたのか、やっと次の夜にオペの番が回ってきた。
傷口をただ縫うだけと思っていた愛妻は、オペを受けるサインをしろと言われる「どの位傷が深いかもっと多く切ってみないとわからないのだ」と説明される。
以前、この病院では転んで怪我をした子供が入院したのだが、たいした傷ではないのに死んでしまい裁判沙汰になったことがある。それを知っている我が愛妻はなかなかサインしないので、サインしないと治療しないと脅かされこわごわサインをする。
手術の順番を待つ部屋で又待たされた、
我が愛妻の話しによると、おもむろに若い医者が現れ医者が愛妻の顔をじろじろながめ「顔のどこを怪我したのだ」と聞く。驚いた愛妻は顔ではなく指を怪我をしたのだと見せる。
医者は間違ったカルテを持ってきた様子だった、もう少しで危なく顔を切られるところだったと後で話す。結果的に指を切ったことで合計三日入院することになった、亭主の私は毎日病院に顔を出し必要な物を揃える。
指を切ったことによりこのまま退院できなくなるのではと恐れる毎日であった。「これで病院代は無料」。
「タダより高い物はない」とよく言われるが、この国の医療は無料であるけど、患者として行く時には医者の質をもっと良くしてもらいたいと思う。ここは英語を話す国のため、インターンの期間が過ぎると医者も外国へ働きに行ってしまう。
オーストラリヤ、カナダ、イギリス、に行くと二倍の給料になり住居付き。アメリカに行くと給料が住居付きで三倍になる、看護婦も同じだ。これでは、誰でも外国へ行ってしまう。その為インターンが医者の練習をするようなものである。患者はモルモットではないかと疑うが頼るのは医者しかなく日ごろ信仰心の薄いことを忘れ神に祈るしかない。
この間も、ラジオ放送で言うには、「見習いの医者は治療が出来ないときはやめとくように」と政府の誰かが言っていたのを聞いた。これが本当であれば怖い国だ。そこでこの国も他の外国から医者を移民させている。イギリス連邦の国から入るとライセンスは同じである為インド人風の医者をよく見かけるがこの人達も仕事場がなかなか見つからないらしく、「移民したが仕事がない」と言うのが現状である。仕事がないと言うのは間違った言い方で、猫の手も借りたい職場でも自分たちの仕事を取られたくない為、外人の医者に仕事を与えないのでは?と思う。これは他の職場でも同じ様子であり、働く者としては人手不足のため自分が貴重で重要な人物であることを望む、そのため他国の労働者を仕事に就かせない仕組みがあるように思われる。
そのくせ、自分にとって給料の高い仕事があると外国へ働きに行ってしまう。これが英語人種の考え方であって一概に悪いとも言えないが患者の側から言って、「少し払うからもう少しまともにやって欲しい」と言いたい。
壁に書いて張って置きたい「自分の健康は自分で守りましょう」。


   *  感 ピューター
  コンピューターは年を取ってから始めた為になかなか説明文字が理解できない。図書館で本を借りては読むのだがなかなか理解するまでにはならない、それでも眺めて居ると少しは分かってくるから不思議だ。これなら日本語で読むときっと理解できると思い日本語の本を取り寄せ読むのだが、総てが英語を日本語にしてあるためにもっと解らなくなってしまう。
とにかく解らないというのは解らないもので、コンピューターを買ってもいったい如何してこの機械を扱えば良いのか解らない。イジクリ回して居ると壊れるからイジクルナと脅かしの字が現れそのうち動かなくなってしまう。どんな電化製品を買っても使い方の説明書が付いて来るのにどこを探しても説明書は見付からない。何にも知らない人に「ここをクリックする」と言われても「クリック」とは何だ?という事に成る(最近スーパー初心者と言う言葉が気に入っている)。
取り敢えず解る奴からいじくり回し遊んでいるが一旦解らなくなるともうドウにもならない。ちょっとした言葉がわからないのだ、それが解けない限りは総てがわからない。お店やプロバイダーに聞くのだが説明の単語がわからない、自分でも面白いように解らない。何とか解いてやろうと試みるのだが、何日も同じ事をやってもたまに解けることがあってもまだ解らない。インターネットに加盟する時も、プロバイダーの指示に従いやっていくのだが、これも何を言って居るのか分からない。すったもんだの末にこれで繋がったとプロバイダーが言うのだが、[ビービー]言うだけでコンピューターは壊れたのか?と思うほど変な音がする。
プロバイダーに[ビービー」音がするのだが壊れていないか?と聞くと大丈夫だと答え、余りにも相手がわからないのでプロバイダーが電話の向こうでゲラゲラ笑っている。こんな機械を買ったのだが本当に使いこなせるのか?と不安になってくる。
  この間新しいコピー機を買ったのだが初めは調子よくコピーが出来速くて気持ちよく刷れると喜んでいたのだが、同じコピーが二回も出てきた為思わず電源を切ったところコピー機は機嫌を悪くしてしまいそれ以来コピーが出来なくなってしまった。
コピー機はこれで三台目であり安物のコピー機はインクが高く、新しいインクを買うよりはコピー機全体を買った方がよいと買い換えているが、一度インクの高いのに腹を立て何とかインク代は安くならないかと考え挑戦する。
店に調べに行きインク代を調べるがコピー機から比べて馬鹿に割高であり素人をかもっている値段だ。
詰め替え用のインクが売っていたので試しに買ってみる。「中身のインクが万年筆用に使われているインクと同じではないか?」と言う疑問を持ち万年筆用のインクもついでに買って家に帰り着き、手をインクだらけにして詰め替えに挑戦してみる。
インクは入ったのだが暫くボタボタとこぼれ半分ぐらい無くしてしまう。カートリッジはインクが入った状態で上と下の空気圧でインクがこぼれないようになっているように思われ、底に別の穴を開けたためにポタポタとインクがこぼれてしまった。
これに懲りずに空のカートリッジに万年筆用のインクを入れ穴をテープで押さえるこれで何とか使えるようになる。
インクの値段は格段に安く、手間さえ惜しまなければ適当な値段でコピー機が使えるようになった。コピーされた後も万年筆のインクと変りは無く問題も無い、インク漏れだけを調整すれば大丈夫であることが発見できた。こんな時に満足感を覚えるものだ「ザマーミロヤッタで」。
  今回大量のコピーが必要となりレーザータイプのコピー機を買ったのだが先ほども言った通りちょっとした間違いでコピー機は働かなくなってしまった、これを解決するために丸二日コンピューターをいじくり回す。コンピューターからはこれ以上いじくると壊れてしまうぞと脅かしの文が出る、壊れてしまうと困るからやめてしまう。暫くして、もう一度いじくり始める。何度やっても同じ文が出てくる[おかしい 初めはコピーが出来たのだ」と又いじくり始める。どこをいじくってもどこが悪いのか解らない、「腹が立つ」どこが悪いのか?何が悪いのか?何も解らない。我々の年代の考え方としては「どこどこが悪いから、自分で直せないので直してもらう」と考えるが皆目どこが悪いのかわからない。
もうひとつ腹の立つことには、人にやってもらうとどこも悪くは無く調整だけで直ってしまう。「これが又腹が立つ」。自分でもやって見るのだがキーを押しては色々な字や記号が出てくるのだがさっぱり理解できない、思わずコンピューターをぶつけたくなってくる。仕方がないので壊す前に店屋に持っていく。
店の奴はこちらがコンピューターと英語の両方が理解できないのにぺらぺらと説明するものだから、だんだんもっと頭の中がコンガラがって来る。うちの愛妻と二人で、「お前わかるか?」と説明を聞きながら、日本人のいやらしさで分かっても居ないのに[イエス イエス」と答えてしまう「こんな自分が情けなく感じながら」、説明が終わると又一から聞き出す、何も解ってはいないのだ。店の奴はお客と思い我慢をしているのだろうが何もわからない奴に説明するのは大変な事で有り忍耐が要る。今度は返事だけではなくやり方を書き留める、店の奴が「マイ コンピューター」と言うとそれを書きとめ、次に「ディー ドライブ」次は、「ドライブ」「はいドライブですね」と言う風に書き写していく、店で自分でもやって見るのだがそのときは出来るから不思議だ。店で出来るようになりホットして丁重にお礼を言って家に帰る。
家に帰り着き早速自分たちでやってみる、今度は自信があり店でおさらいもしたので簡単に出来ると思い込んでいる。愛妻が突飛な声を上げる「書いた紙が無い」「え! どこへやったのか」探し回るが見付からない。仕方がないので記憶をたどってやってみる、先ほどやったばかりなので覚えているだろう [これを押すだろう」そして「これを押すだろう」その次は[これだったな~」とやっていくとぽっこんと変な文字が出てくる。[何だろう?」又間違ったのだ。「書いた紙はどうした」「紙を探せ」テーブルの周りを探し回る「あった」今度は紙を見ながら同じ様にやってみる。しかし最後には訳けの解らない文字が現れその後何時間いじくり回しても解らない。「あきらめて又、明日にしよう」と言う事に成る。
  次の日,「今日は何とかこれを解いてやるぞ」と意気込む、しかし特別のアイデアはなく昨日と同じ様にやるため最後には[これ以上やると壊れる」と脅かしの文が出てくる。「はずれ」駄菓子屋のくじ引きをやっているようだ。
そんな事をやりながら半日経ってしまった。突然、愛妻が突飛な声を出す[出来たかもしれない」コピー機が動き出す。[やった」とコピーが出てくるのを顔を近づけ紙の出口で待つ、
しかし、「音はすれどもコピーは出てこない」[おかしい?」又どこが悪いのか探す。私が「これはもう一度店屋に行って教えてもらわなければ行けない」と口を挟む、愛妻は「意地でも自分で解いてみる」と言い張る。「こうなると意地である」リタイヤの身の上で時間は一杯有る、何日掛かろうと何とか自分たちの手でこの問題を解いて見ようと挑戦する。今の所、コピー機が使えないだけである、もう一台のコピー機をコンピューターに繋いで見る、これは簡単に繋げる。試しのコピーもインクがない為に字がかすれるがコピーは無事出てくる。最悪の場合でもこれにインクを入れるとコピー機が使えると一安心。
心のゆとりが出来たところでもう一度新しいコピー機に挑戦してみる。フィーリング的にはもう少しと言うところである。
どこかちょっと違うだけであり落ち着いて考えてみる。コンピューターのコピーと言うところに[コピー2]と小さく書いてあるのを見つける[マイ コンピューター」のところで「コピー1」に繋いであったのだ、急いでやってみる。コピー機が動き出しコピー機から紙が現れる「出来たのだ」二日間の挑戦であった、人に聞かなくても出来たのだ。コピー機から出てくる「神?」を拝むようにコピーが出てくる様子を見ている[出来た!」我が愛妻の喜びようは凄かった。直ぐにグラスにブランディーを入れコピー機を眺めそれをつまみにチビチビやりだす。「今日は、これで満足なの」「何かコピーするものはない?」愛妻の満足そうな言葉である。
コンピューターに隠された謎が解けた事で今日一日が幸せな、充実した、満足を味わえるひと時を過す事が出来た、年をとるとコンピューターは良いおもちゃになることを発見する。


* フレンド
  この国に住み着いてもう15年以上にもなるが生まれながらこの国で育ったわけではない為、昔ながらの友達など居るわけがなく、たまに食事をしたり表面的に挨拶する程度の友達しか出来ない。私個人の意見としては静かでわずらわしい人間関係の無い方が嬉しいのだが、欲を言うと素晴らしい人と友達になりたい。しかし、私自身が素晴らしい人間でも無いのに自分の事は棚に上げて素晴らしい魅力的な人と知り合う機会は滅多にやってこない。大人になってからの友達は日本でも出来にくい様によその国から移民してきたものにとって、生まれ育った環境や習慣などが違うためと言葉の関係でお互いに理解できない。こちらとしては頭の中で日本語と今まで育ってきた日本の習慣で考え色々なことを理解してしまう。相手側も同じく自分が育ってきた価値観で物を考えるため歯車が上手く噛み合わない。
こちらの人の考え方としては自分を主張する事と言葉を多く話すことにより、自分の考えを正確に表現することを子供の頃から教わる。だから小さな子供がぺらぺらとよくしゃべる事に驚く。英語と言うのはご存知のように、言葉数が少なく一つの言葉に色々な多くの意味が含まれている、言い換えるとどうにでも取れる意味であるため言葉数を多く言うことにおいて自分が言いたいことを相手に伝える。よく皮肉みたいに言うことは、「英語は難しい言葉である、一つの言葉の中に色々な意味がある」。と私が言葉がわからないだろうといった意味で言われる。確かに総て理解できないのだが、こちらも苦やし紛れに言い返す「日本語は同じ意味の言葉が多く、同じ意味でも言葉を遣い分けることが出来る、難しい言葉だ」と言い返すことにしている。
  我々の年代の一般的な日本人は何時の頃からか知らないが「沈黙を美とする」様な習慣で育ってきた、日本風にそれとなく自分の思うことを相手に感じとって貰い理解してもらう。
このように表現する訓練が身についてしまっており、もし、直接的に相手に自分の考えを表現すると嫌がれてしまう国から来ているため、その訓練?の結果どうしても自分の思うことがこちらの相手に伝わらない。
それに加えてお世辞を言い過ぎる。人口の少ないこの国ではほめる事によりその人を伸ばそうとする教育をするため各自が自信を持っている。自信を持つと言う事は金を掛けないで個人を伸ばすために一番良い方法でその人を有頂天にさせることでもある。「豚もおだてると木に登る」日本人が考えている以上に多くのこの国の人達は純粋?であるため、ほめ言葉に弱い。自信を持つのを通り越しうぬぼれる、おだてられ一旦木に登った豚はうぬぼれ「豚でも木に登れる」と本気で思ってしまい手に負えなくなってしまう。相手の人を悪くさせようと思う時にはおだてる事はいい作戦だと思う、おだてて豚を木に登らせ木のテッペンより墜落させる事が出来る。
しかし言葉の意味を正確に伝えるには此れでは通用しない。
 お世辞を言い口数の少ない日本人は自分の気持ちが相手に伝わったと思っても、相手側からすると日本人は何を言っているのか解らない、英語で話しているのだが日本語の感覚で話すためにこちらの人には通じない。自分をアピールする事によって目立たせそしてチャンスを掴み伸びて行くのがこちらの国の人のやり方である。
日本では自分だけ目立とうとするのではなく一生懸命努力して結果的に取り上げてもらう様な目立ち方をする。この辺がもうすでにこの国と日本の表現が違っている。この違いは生まれ育った習慣や言葉の問題なのか?と考えて見るとどうもそれだけでは無いらしい。
言葉の問題にしても、簡単な事は話せるが英語の問題ばかりではなくスラング、流行語、労働者層の会話、ファーマーの話し方、etc,総てが総て違う。ラジオのアナウンサーの英語は政治、経済、法律、ニュース、が大体理解できたとしても、一般の人が話す日常の冗談、砕けた会話、などはサッパリわからないときがあり、我々もその中に交わり冗談をベラベラと言えないところに人の輪から孤立してしまう。
日本人だけではなくアジア人は冗談が言えない。この国の多くの人は楽しければいいみたいなところがあり冗談を言い合い笑っていれば幸せを感じるようだ。アジア人は真面目さを植え付けられているため冗談が上手くない。
  今この国ではアジア人の移民が一般的に早死にするデーターがありテレビやラジオで騒いでいるのだが、オークランド大学の調べでは、一般にアジア人は友達もなく本国にも帰れないような人が多く、人間関係で孤立し、することがなく、暴飲暴食のため糖尿病にかかりその結果早死にしていると報道されている。今まだ調べ中で有るが総てが当てはまる事は無いとは思うが当たっているところもある。日本でも、「もし年寄りを早く死なせたかったら、環境を変えることだ」と言われている。
現代の姨(おば)捨山の外国の地に移住して、上げ膳据え膳で何もさせない、楽をさせれば年寄りは直ぐに生きる気力をなくし死んでいくらしい。親の財産を狙っている人はこの名案を利用したらどうですか?。「これは冗談です」
  確かにアジア移民は自分で生活できるだけの財産を持ってきている人が多く、仕事もなくノンビリと生活が出来るのだが何もやることが無いというのは大変辛いことで、趣味や自分の仕事を持っていない人は時間をもてあまし博打や酒に溺れ身を壊していくだろう。
昔、カナダインディアンを少し覗いたことがあるのだが、政府は適度な金をやるだけで何もさせずに放置させておく、することがなく小遣いを与えられたカナダインディアンは酒に溺れ身を滅ぼしていく、これと同じ道を辿るのかも知れない。
ニュージーランドのマオリ族は適当に上手く白人たちと暮らしているが、オーストラリアのアボリジニーたちは酒に溺れて身を滅ぼしている。今ニュージーランドに移民して来たアジア人も、狭い同国人たちの社会で生き酒に溺れて滅びていくのだろうか?。私達もこの仲間に入ってはかなわないと毎日の生活に変化を付けるようにしている。
ちょうど体を壊したためこれを切っ掛けに酒もやめた事だし、がんばって健康に生きなければいけないと思っている。
確かにこの生活は恵まれておりストレスもなくストレスの無いのがストレスでは?と思うぐらい気楽に生活できるが、個人主義の国で人々が孤立して暮らすのが当たり前の国で生活する時、人間が集まってワイワイガヤガヤやるのが好きな人には、飲み歩くかクラブの集まりに参加するしかないと思う。
  イギリスから移民してきた家族と一緒に会食する機会があった時、一人の娘の話ではこの国に移民してきて親はやはり友達が出来ないらしい、この子はこの国で学校に行ったので友達が居るのだが、親は10年以上この国に住んでいるのに友達が出来ないというのだ。この国はイギリスの元植民地であり言葉も同じ英語を使うのだが何と無くコンプレックスからか?イギリス人を毛嫌いする。それなのにチャンスがあるとイギリスに働きに行ってしまう。二年もイギリスで働くと同じ英語でもイギリスアクセントで話すようになり、何か機会があるたびにイギリスでは「どうのこうの」と能書きを言い出す。元植民地と言うのが心のどこかでコンプレックスになっており、それが憧れにもなり僻みにもなってイギリス人を毛嫌いする。勿論、日本人とイギリス人を比べるとやはり日本人の方が多めに毛嫌いされるようだが、これがほかのアジア人である場合はもっと赤ら様に毛嫌いされる。この国のまだ良いところは総ての人が毛嫌いするのではなく一部の人であるところが助かる。友達が出来ないのはアジア人やイギリス人だけでなく、オランダ人移民も多いが友達が出来ないと聞く、総ての移民は友達が出来ないだろう?。
  このアジア人が毛嫌いされる理由は色々あるのだが、理由の一つはこちらの人から見て自分の国へやってきたアジアの小さな人間が、安い労働賃金で長時間働き自分たちの仕事を取ってしまうと恐れる事。雇う側としては労賃が安くよく働いてくれれば言う事なしであり便利な労働者であるのだが、この国民としては一定の労賃で働く事を要求するために、自分たちの職場を奪うアジア人が居ると困るのである。
二番目は、アジア人も最近は豊かになり、観光客としてこの国にやってきて札束で地元民のほっぺたを叩く様な行為をするように見える事。地元民が毎日一生懸命働いた金をやりくりして生活をしているのに、観光客は地元民から見てつまらない物を土産として買い求め、ぱっぱっと金を落としていく。観光客でさえも一生懸命働き溜めた金であるのだが観光客が落とす金の遣い方が地元民と違うためその遣い方を見ると腹が立つのだろう。いくらこの金が国に落ちるといっても一部の金持ちの懐に入るためやはり一般の国民はやきもちを焼いてしまう。
三番目は、移民としてこの国へ来たアジア人はまず住むための家などをポンと現金で買ってしまう。見ず知らずの国へ来て金を貸してくれる銀行などあるわけは無く、保証人など居ない移民はこの国の基準にパスした人でないと住ましてもらえない。昔の移民は新しい国へ一旗上げに行くのだが、今の時代は住みやすく豊かな国にあこがれてやってくる人が多い。
決して金の量を求めてやってくるのでは無くゆとりある生活、たとえば子供がのびのびと暮らせる国、空気の綺麗な国、先進国が発展する過程で無くしてしまった、人間が生きて行くために必要な最低のものがある国へと生活の場を移してくる。
このような考え方は地元国民にはまだ理解できない。まだこの国は人間の生活に必要な物をなくしていないために、目の前にある幸せには気づかず、金さえ稼げば豊かになると考える人が多い。今は「先進国に追いつけ追い越せ」の精神的に貧しい世界だ。
その国民の目から見た、移民が現金で家を買い豊かな生活を始めるのに腹が立つのだろう。決して移民も盗んだ金で家を建てるわけではなく一生懸命働いて溜めた金を遣うのだが、地元国民は自分たちと同じ様に借金で建てないことにやきもちを焼くのだろう。
四番目は、残念ながらアジア人は体が小さい。こちらの人の半分位しかないのではと思うぐらい小さい、自分の姿を鏡で見るとき以外は見ない為、毎日こちらの人を見慣れている私からアジア人が固まって町を歩く姿を見ると自分が小さい体をしているのを棚に上げてピグミー族が町を歩いているように見える。幾ら相手が本気に相手を尊敬し理解しようとしても子供みたいな体をしたアジア人をどうしても同じ計りで考えられない。近くに子供がいたとして、この子供を尊敬しろと言われてもなかなか尊敬できるものではない。まして訳の解らない言葉を話しおまけに価値観までも違う子供のような相手では、「差別するな」と言っても無理かもしれない。そこでどうしても同国人同士で知り合いに成ってしまい、ますます地元民と距離が離れていくことが現実だ。それでも時々片言の日本語など話しかけるさも親切そうな人とめぐり合うことがある。このようなタイプの人の多くは「日本人のお人良しさ」を良く知っている人で、上手くすればお人良しの日本人から上手い汁を吸い上げようとするタイプの要注意人物である事が多い。
それでは、同国人同士では上手くいくかというと、同国人同士でも各自が個性のある人達が多く、今までの自国の生活レベルも違い、同じ価値観、趣味、環境でピッタリ会う人が居ないのが現状である。初めの何回かは言葉も通じるために話が弾むのだがその後は趣味も違い興味も違ってくるので、どちらかが折れ続けなければ話が合わなくなってくる。一番長続きするのは趣味が同じ人であろう。これは、万国共通でありどこの国の人もある程度までは仲良くできる。
そこで趣味のクラブに参加すると総ての人と仲良くできるわけではないのだが軽い友達が出来る。これが一番友達を作るためには良いのではないか?と思われる。
もう一つ問題なのは、同年代の多いクラブに参加する事である。若い人が多いとみなぎるエネルギーがあり「こんな小さいアジア人に負けてたまるか」と言う事になりかねないので、出来る限り同じ年代の人達と遊ぶようにする事。
そこで又問題が起こる、アジア人は嬉しいことにこちらの人よりズ~と若く見えてしまう。同年代の人と比べても中年と老人の差が有る様に見えてしまう、我が愛妻はわざと若く見えないように髪の毛を染めずに白髪をなびかせテニスをしている。
我々が若く見えるのは嬉しいのだが、必ず「この国でなにをしているのだ」と聞かれる事である。「リタイヤーです」と答えると誰も信じてくれない「こんな若い奴らがリタイヤーなんて馬鹿にしている」と文句を言われる。「仕事もしないで遊んでいるだけだ」と思われてしまうのである、困り果てて仕方が無いので「ライフスタイル ビジネスをしていると答える」この国は、仕事が無いと言うと政府が失業保険をくれる。何時までもくれるので遊んで生活をしている人が多くその失業者と間違われる。
この国の人は金を溜める習慣が無いため生活できる金を持っている事自体信じられないらしい。もしこちらから「金を持っている」といったら襲われる事に成りかねないので決して言うことが出来ない、働いてその金で生活する、その週の収入で食料を買う労働者的考えで結構豊かに暮らしている。その人達から見てテニスなどやっている若く見えるアジア人は失業者だと思う。
問題は、テニスやゴルフが日本より安く出来ることにも失業者だと思われる原因になる、若く見えるのも良し悪しである。
  我々の場合はテニスクラブに入ったのだが、私の場合はテニスなんてやった事も無くラケットの握り方から教えてもらい見よう見真似で始めたのである。下手なのはそれなりに相手がいて下手で良いのだが、やっているうちにだんだん上手くなってくるものである。これがいけない、日本人は一生懸命やってしまう。人口の少ないこの国ではどんなスポーツでも子供の頃からやっており、テニスのうまい人は、上手い人たちと各自のポジションが確立されている。大人になって仕事が忙しくテニスの練習などするわけではなく、お楽しみ程度にやっている人達の中で、日本人は上手くなりたいために一生懸命練習をしてしまう。
(このことは学生間でも言われる。アジア人は勉強が良く出来ると。一生懸命勉強するからだ。)そして練習すると馬鹿でも上手くなっていく。地元の上手い人を、ラケットの握り方も知らなかった者が「上手いと言う地位を」脅かす事になってしまう。誰でも負けたくないのでわざと相手にしなくなってきたり、より下手な人と組み合わせテニスを楽しめなくさせられてしまう。このために少しづつのけ者にされてしまうので、決して必死に練習などしないこと。初めから上手い人は歓迎されるが後から上手くなるのはやめといた方が友達作りには得策だと思う。
これも人口の少ない国のメリット、デメリットであり日本のように努力して伸びて行く考えは無く、子供のときに自分の得意なものを選びその道のベテランとして歩んでいく。もし競争が激しい場合は他の種目を選び出来るだけ争わず自分のポジションを確保する。日本人も最近は体が大きくなってきたのだがまだまだこちらの人にはかなわい、ここには2メーターぐらいの人がゴロゴロいる。体が大きいと言う事はそれだけでスポーツなどには大変有利であり、そこそこの強さにまでは直ぐに上達するものである。体の小さい我々にはうらやましくテニスをやると負けてばかりでは腹が立つので、何とかやっつけてやろうと努力してしまいこれが又嫌がられる原因になってしまう。


    *  犬の話し
  日本での生活ではとてもペットなど買っている暇が無かったので、ニュージーランドに住んでペットなど飼って見ることにしたのです。うちのペットは犬と猫です。犬は自分では餌を取れないので飼い主にべったりとくっついて生活しており、飼い主が動かない時には寝てばかりいます。我々自身も出来る限り動かなければいけないので毎日の運動を兼ねて近くの滝へ散歩に行くのです。以前は犬にとってもこの国は天国であったのですが、最近は経済優先のためか?どこも犬は禁止になってきたため、広い牧場でも持たないと犬にとって自由がなくなりつつあるのです。犬にまで世界の経済が影響してノンビリ暮らしていたこの国も世界の工業製品が溢れそれを得るために多くの人が金を追い回す事になって来ました。
  以前は、古い車を自分で修理しながら乗っていたのを、日本から安い中古車が大量に入ってきたためそれを買い求めるようになってしまい、デフレのために貸し出し金利が安く国民はもう少し高級な車を借金で買い求めるようになったのです。
他の品物も同じく買い求め投資のため家までボンボンと建つようになり、人口の少ないこの国で誰が住むのか?と思うくらい新築が多く建ち並び国中がバブル景気となってきました。何時このバブルがはじけるのか心配なのだが儲け話に先が見えなくなった人達はお構いなしで銀行から金を借り出し新築を建て、ついでに儲かったつもりで高級車を買い乗り回している。
  そりゃ上手くいくと大儲けできるかもしれないが?以前日本でもバブルがはじけたように、誰かが大きな損失を背負わなければ成らないときが来ると思っています。この国は世界中から移民を入れてはいるのだが、国民が移民の持ってくる金は欲しいが仕事や自分たちの国を自分たちのものにしておきたい気持ちが強く、儲けるために家を建てるのに移民は入れたくないと人数を減らしている、国民感情的には無理も無いとも思えるが、「金だけ欲しい」と言う気持ちがまざまざと出てしまう。
政治家までそんな国民感情を利用して移民を入れないようにしている。こんな状態で新築がドンドン建っていて銀行は持ち家の有る人にはドンドン貸し付けているために、家の市場価格はうなぎ昇りで値が上がっているのが現状であり、今、家の相場は世界の平均に近くなり投資の旨味がなくなってきたようです。売値が高くなっているから売れているのではなく、金を借り出し金利と儲けを上乗せしているのでだんだん売値が高くなる。それと一般に言う「転がし」が行われているように思われる。
いったい誰が買うのだろう?国も景気が良く税金が入るのは良いがいつかバブルがはじけるのを予想しており、国民にみずから注意報を出しているが、目の前の団子を食べたいのが先決でバブルがはじけて総てを無くすまで気が付かない人達が多そうだ。
  こんな人々の動きの中で犬たちも散歩の場所が狭まり無くなりつつある。私たちの散歩コースも時間を遅くすると車で犬を連れて来る人達と重なってしまう。おとなしい犬なら良いのだが仲にはおかしい飼い主がいて、この間もうちの犬がブルテリヤに襲われ怪我をしたのです。この国では時々犬にかみ殺される事件が起きるのですが、うちの犬が咬まれた直ぐ後で飼い犬にかみ殺される事件が南島で起こっています。犬の種類によっては闘犬として育てる犬やハンティングのための犬がおり、攻撃的な犬はこの国でも特別扱い、登録も別扱いなのだが、このような犬を飼っているヤツに限って登録などしておらず問題を起こす。犬も飼い主次第でおとなしくなるのだが飼い主としては、犬をたまの散歩の時ぐらい放してやりたいと自由に放すものだから、子供に咬み付いたりよその犬を咬んだり、時には飼い主までかみ殺す。何とかしてもらいたいものだ。
  隣にもシェパードとジャックラッセルがいるのだが、この犬たちが我々の散歩を見つけると毎朝吼えまくる。不幸にも隣と入り口のゲートが同じところにあり、隣の飼い主は仕事で出かけるため、犬の面倒を見てやれないから敷地内に放してあり、我々を見つけると走ってきて吼えまくる。朝の気持ちの良い時間に散歩に行くのだが隣の犬に吼えまくられ気持ちをそがれる。一度隣の人達に談判したのだけど一週間ぐらいで元の木阿弥。
そこで今度は、市役所の犬のコントロール係に頼みに行くが又一週間で同じ状態に戻る。そのため今は次の案を考えているところだが我々に向かって自分の犬が毎日吼えるのに、吠えることを辞めさせない隣の人に対し、我々もゆがんだ考え方になり[わざと吼えさせているのではないか?」と疑っている。その為ただいま隣の人達とは冷戦状態である。
 犬の話しで面白かったのは、ある家に泥棒が入った所、その家の庭に犬が放してあったそうです。そのために泥棒が犬に咬まれ怪我をしたと泥棒が犬の飼い主を訴えたところ、裁判の結果飼い主は有罪になったそうです。[泥棒にも人権を」法律とは面白いものですね!。
  泥棒の話しですが、隣に空き巣と思しき奴が入ったのです。ちょうどそれを私が見つけ家から警察に電話をかけたのですがこの国は例によって人手不足のため、泥棒ぐらいでは警察は直ぐには来てくれない、ちょうど近辺に空き巣が横行していた時でも有り住民集会などしていた矢先だったので警察とも連絡をとっていて、愛妻が警察に電話をして私が家から空き巣を見張り報告したのです。愛妻のセッパ詰まった声に警察も驚き急いで来てくれることになった。これはこの国では珍しい事で有り、泥棒自身も警察など来ないと信じきっている。私の家は岡の中腹に建っており隣の庭が見えるので見張っていると、何時も私たちに吼える犬が泥棒と仲良く庭を歩いているのです。この時点ではまだ泥棒は何も盗っているわけではなく他人の庭を歩いているだけで我々はもうすでに警察と話しながらこの泥棒を見張っているわけです。
それなのに隣の犬は仲良く泥棒と思われる奴と歩いているので、ひょっとしたらこれは間違いで隣の知人か誰かかもしれない?と考えがぐら付きながら警察と話しているのです。[間違いだったら如何しよう」 
しばらくして、泥棒が見張っている私を見つけ隣の庭から声を掛けてきました。
(見付かってしまった)。 泥棒が言うには、「警察に電話しているのだろう」と私たちのやっていることを見透かしたように言うのです。「電話してる」ともいえないので「していない」と返事を返すと、又、泥棒が言うのです「電話してもかまわない」。警察など来ないことを良く知っていると見え、たかをくくっている。これで隣の庭にいるのは隣の知人でなく泥棒と判断でき「ほっ」とする。そこで、すでに話し合いが出来ていた近所の防犯グループに連絡して応援を求め、警察が来るまで泥棒の足止めを試みたのです。我々にとっては防犯の話し合いは出来ているとは言え初めての経験で実はうろたえており警察が早く来てくれることを祈るばかり。
近所の若い男性が車で逃げ道を塞ぎ泥棒を捕まえようとするのだが、見るからに初めての経験で恐怖感を感じており話しかけても「私は怖くはない、私は怖くはない」とうわごとのように口走るだけで実は怖がっているのだ。我々は近所の人や警察が来る事になり少し余裕が出来たところであったが、心臓はドキドキ脈拍を上げ体はぎこちなく動き気持ちはうつろであった。
結果的にはパトカーが来て捕まえることが出来たのだけれど、愛妻が電話で警察に話していたイメージと実際の雰囲気がかなり違う泥棒だった事が後での笑い話の種となったが、多分この辺を荒らしまくる泥棒だったと思う。
ここからは警察の仕事であり我々にはわからない。これ以来近所の泥棒話は今のところ起きていない。
それにしても隣の馬鹿犬は我々に吼えるくせに泥棒には仲の良い犬だ。



  *  犬の話しその2
  隣の犬はまだ我々に向かって吠えつづける、毎朝の散歩で素晴らしい一日の始まりでもあるのに隣の馬鹿犬に吠えられ頭にきた私は何とかこの犬を吠えささない策はないものかと考える。隣の敷地へ進入する事はできないのでパチンコ(子供の頃良く遊んだゴムを伸ばし小石を飛ばすやつ)で隣の犬に小石をぶつけ脅かしてやろうと策略を考える。
隣の人が出掛けたところを見計らい小石をぶつけるがなかなか難しいもので犬には命中しない、それでも犬は我々には恐れだし吠えるのが少なくなる。犬は自分が何かで狙われている事を感じ取り隠れるようになる。犬が我々に向かって吠えるのをやめさせるのに良い案だと喜んでいたところ、たまたま近所の人に見付かり告げ口をされる。
犬の飼い主は自分の犬が我々に毎日吠えるのを知りながら、自分の犬がパチンコで打たれたと我々に文句を言う。「今度やったら、警察に訴える」とのたまう。隣の人間が毎日吠えられて困っているのに知らん顔で、自分の犬を懲らしめないのに懲らしめようとした我々には文句を言う。どうせ言葉では反論できないとタカをくくり、べらべらと早口で言いたいだけ文句を言われる。こちらとしても売り言葉に買い言葉、反論しようとしても日本語の様に旨くは話せず悔しい思いをする。こんな時ほど英語で文句が言えればよいのにな~と思うときはない。
  そこで我々は策を練る。隣の犬が我々に向かって吠えることが原因で不愉快な思いをするのだから、我々に向かって吠えないように新たな作戦を考える。我々は丁度日本から買ってきた詰め将棋の本を読み遊んでいる時なので、犬が我々に吠えることを詰め将棋に置き換えて、何とか犬が我々に吠えるのをやめさせようと詰めると考える、ゲームである。
  問題は犬が我々に吠えるのだが、その犬の飼い主がそれを自分の犬をしかってまで我々に吠えるのを止めさせない事であると思う。詰め将棋において敵の王様の逃げ道を塞ぐ事が一番大事であり、この方向しか逃げ道が無いと詰めることである。相手は言葉、自国、同国人同士のかばいあいなど持ち駒が一杯あり、我々は二人だけと言う数少ない持ち駒である。
個人的にこれ以上話し合っても言葉で負けるため公共の機関を利用する事にする。前回この問題をドッグコントロールに話したのだが言葉ではなかなか雰囲気まで表現できず今度は紙に書いて提出する事にする。
  文に書いたことを簡単に書くと
  我々がドックコントロール事務所に苦情を述べるのは、我々は日本人移民のため言葉のハンディーが有り、旨く説明できないので紙に書いて説明します。以前は日本的考えにより、隣との揉め事は出来るだけ我慢をすることにおいて仲良くしていく方針で居ましたが、未だに我々に対して隣の犬が吠え続けることとその飼い主がやめさせない事に対して取り締まって欲しいことをお願いします。
  我々が過去に隣の犬より受けた被害
①、ワイフが隣のシェパードに右腕を咬まれる。被害は軽かったが、歯形が付くぐらいに咬まれ血が出たのかは不明。
②、我々の犬が二回隣のシェパードに咬まれる。
③、隣のシェパードが興奮して塀を越え我々の地所に侵入する。隣の人が取り押さえ事なきにいたる。
④、毎日入り口に行くと走りより二匹の犬が我々に吠え付くため毎日が不愉快だ、
⑤、犬の飼い主は我々に吠え掛かるのを自分の犬を呼び止めるだけでしかろうともしない。
⑥、ワイフが犬に咬まれて以来隣には行かないようにしている、どうしても用事があるときは犬を縛ってもらう事にしている。
⑦、我々のお客に対しても吠え掛かるため、お客から我々に苦情が出る。
⑧、他人の土地に侵入する事がいけないのではなく、隣の人に吠える事も隣の人に対しての迷惑になる。
  今までの苦情の過程
①、余りにも隣の犬が我々に吠え掛かるため、隣の家に行き隣人と話し合う。犬をトレーニングして吠えないようにすると合意する。それ以来10ヶ月経つが隣の犬は相変らず我々に吠え続けている。
②、6月末に我慢が出来なく、ドックコントロール事務所へ苦情を出す。何日かは静かであったが又直ぐに吠え出す。
何日かでも静かに出来るという事は、静かにさせることが出来ると言うことで飼い主は吠えさせているとも読み取れる。
③、犬というのは飼い主に従うもので飼い主がコントロールしない限り犬は吠えるのをやめない。
④、隣の犬を静かにさせるために、パチンコで脅かした。これは効果が有ったが隣の人に見付かり反対に文句を言われる。
犬が怯えて可愛そうだという。我々に吠え掛かるのはどうでも良いのか?。「隣の人間の事は知らない」何て身勝手な考えなのだ。
⑤、一般社会生活において犬の飼い主は他人に迷惑をかけないことが、エチケットであり常識でもある。何故我々に毎日吠え掛かっているのにそれをやめさせないのだ。
  簡単に書き写すとこういうことを書いてドッグコントロール事務所に提出する。
ここで、この国の人達の特徴として決して謝らないことである。犬が噛み付いても謝らない。咬まれたやつが悪いとでも言う態度である。謝ると総ての責任が自分に掛かってくることになり決して謝らない。日本人的考えにおいてはそこまでしなくてもと思うかもしれないが、自分を正当化して他人の方を悪く言いかねない、犬に吠えられる方が悪いやつで自分の犬がパチンコで狙われたりすると我々に対してボロカスに言う。挙句の果てに警察に訴えると言い出す。この国では多く文句を言う方が勝ちで口数の少ない人が負けである。  まずはここでこちらから王手と打つ。
  これだけでは効き目が無いかもしれないので、隣の家と交際のある近所の家に手紙と共にドックコントロール事務所に出したコピーを送る。手紙に書いた文をここに書くと。
  ハイー  ちょっと変ったあなたのネイバーです。
我々は小さくて顔も皆さんと同じ顔でなく、何と無く違和感があると思いますが。北半球から来た人間ですエイリアンではありません。我々のほうから皆さんを見たとき体がでかくて何と無く恐竜みたいに見えますよハハハ・・・・冗談冗談・・・
我々はノンビリこの国で暮らすために日本より移民してきました。この国の規定によりビジネス移民として移民しています、決してリフジー(難民)ではありません。この国に住み金儲けよりも大事な幸せな生活を求め暮らしています。そして健康のために毎日散歩をしているのです。ところで隣の人達と昨年の暮れから犬が我々に向かって吠え掛かることについて揉めています。
揉め事において公平を期すためドックコントロール事務所に送ったコピーを同封します読んで見てください。
日ごろ皆さんとコミニケーションを持ちたいのですが、お互いの価値観が余りにも違い、言葉の問題、興味のある問題、総てが違うため挨拶ぐらいになっています。コミュニケーションの違いから隣の人とも揉めているのかも知れません。隣の人は警察問題にもするといっています。私としては毎日静かに散歩が出来天気の良い日には釣りをさせていただければ刑務所に入ってもかまわないと思っていますが、なかなか条件にあった刑務所が見付かりません。ハハハハ・・・・・・・・
今、世界中からグローバルエコノミーにより日本にも働きに来る人が多く居ます。日本に居る日本人もこの外国人たちとどういう風に仲良く住みわけ暮らしていけばよいのか迷っています。皆さんも豊かさとの交換でもありますし、揉め事も多くなるでしょう、しかしできるだけ話し合いお互いに迷惑をかけないように暮らしましょう。ちょっと早いがメリークリスマス。
  こんな手紙と共にコピーを送ったのです。  新たな王手です。
手紙を書いても我々に好感を持ってくれるとは思いません。この国は日本と同じく島国で国民も少なく同国人同士かばい合うことも知っています。しかしこの国では黙って居ると一方的に悪くなってしまいます。反論、自己主張することです。
この手紙も隣の犬の飼い主が見るでしょう。それを計算に入れています。
  一件の近所の人から反論がありました。犬は吠えるものだ、自分の敷地で犬が吠えるのはかまわない、隣の人は良い人だ、これはあんたの方が悪いみたいな意見でした。犬に咬まれるやつが悪いのです、予想していた通りです。
この人は犬の飼い主の家のペンキ塗りの仕事を貰い働いている人です。雇い主の悪口を言うとペンキ塗りの仕事がなくなります。
  最後の詰めとして
  犬の持ち主に手紙を書きました。
この間はパチンコであなたの犬をめがけて撃ち失礼しました。あなたの犬をおとなしくするのに大変役に立ちました。
一般に日本人はおとなしく、規律を守る人達です。しかし我々の静かな生活を妨害された時我々は戦います、多分あなた達も同じでしょう。我々は話し合ったでは有りませんか、あれからもう10ヶ月経ちました。あなたの犬は我々に吠え続けています。何故やめさせないのですか?これは我々に対しての嫌がらせですか?
あなたの犬が我々に向かって吠えない事を条件に、私はあなたの犬を撃ちません。
                      あなたの隣人より  どうぞ嫌って下さい  豪より

この手紙で最後の詰めです。王手!       今のところ犬は静かです、いつまで静かなのか保障は有りません。

  
  


   *  ピース of パイ
  外国に住むという事はその国にお邪魔するということになる。ましてその国で働き収入を得ると言う事は、その国の一つしかないパイの一部を横取りすることになりかねない。もし自国からパイ持参でやってきたとしたらそのパイを一緒に食べようと成るが、住み着いた国のパイを一緒に食べたいから分けてくれないか?と言えば、嫌がるのに決まっている。
他人のパイを一緒に食べるのは良いが、自分たちのパイを分け与えるのはイヤだと成ってしまう、これが純粋な感情だろう。
人によっては自分たちのパイを他国から取りに来た様に勘違いされてしまう。幸いにも日本人の場合はハイテックな製品を作るために、とかく一般のアジア人の中では好意的な目で見られるが、これが韓国人や中国人になると安い労賃で長時間働き、この国の労働者の仕事を横取りするため嫌がられてしまう。「私達のパイを取らないで」という事だ。
日本からリタイヤのつもりでこの国へ来て退屈しのぎで仕事などすると「自分たちのパイを取らないで」という事に成りかねない。この国の人の仕事を横取りしない、自分しか出来ないような特殊な仕事なら問題は起こらないが、単純労働の様な仕事を横取りすると、この国の人達とトラブルが起こる。観光客として来る分には決められたところに金を落とし見て回るために喜ばれるが、イザこの国に住むとなると話しは違ってくる。韓国人や中国人はどうしてもこの国の人の仕事を取るために嫌われやすい。
我々日本人でも一見見たところ韓国人や中国人と違いは無いため、「中国人か?」と聞かれ「日本人だ」と答えると相手の態度が変るのが感じられる、オリンピックでもあるまいし日本の旗を持ち歩く訳にも行かないので現実にはアジア人として生きていくことになる。表面的には優しそうに見えるが一歩一般人の中に入るとアジア人など眼中に無く自分の得にならないとパッと離れていく。日本人に対しても同じようなもので他のアジア人より少しマシ程度だろう。人口の少ない新しい国では自分が成功するチャンスが多くありそのために自分のことしか考えていない。
すでに発展した国では簡単にはのし上がるのは難しく、開発途上国と呼ばれるこの国では昔のアメリカンドリームのようなものが可能であり、他人の事に構っておらず自分が成功する事を狙う。成功と言う言葉を使うと凄い事のように聞こえるが、ちょっとしたことでも自分のことしか考えない人が多い、たとえば日本人の刷り込まれたモラルのように、「他人に迷惑をかけない」このような考えに対して、個人主義的に「自分にとって得になるならば迷惑をかけない」と言うように解釈する。これは一般論であり総ての人ではないと思うが個人主義的考えと個人主義考えがぶつかりあって調和が保たれる。ここでも西洋社会の騎士道的考えが現れる「おぬしなかなかやるな」それでは少しあなたのことを人間的に考えよう。このように理解するため文化の違う人種である日本人が「おくゆかしさ」などで言う事も発言も控えると、「あいつは何もいえない馬鹿だ、考えも無いのだ」と言う風に誤解されてしまう。子供の頃から物事について一個の人間として「どう考えるか?」と言う訓練をするこの国において、何も発言できない人は思考力の無いバカだと思われる。ためしに、何かを質問すると「絶対わからないとは言わない」。面白かったのは以前大工さんに図面を見せこの家を建てられるか?と聴いたところ「少し難しいが建てられると答える」。「工費が少し多くなるけれど良いか?」と聞くではないか、そこで「何故あなたは他の大工より工費が多くなるのか?」と問い返すと、「この家を建てるには私はこの家を建てることの出来る大工を雇わなければいけない、だから高かくなるのだ」もっともである。この意味は自分は難しくて建てられないと言う意味ではないのか?、このように恥じらいも無く(恥じらいと言う考えも勿論無い)出来ると答える。考え方次第で間違っても出来ないとはいわない?。
  外国人がこの国に住まわしてもらっているので文句は言えないが、移民の立場は弱いものである。もし子供がこの国で生まれても三代目ぐらいにならないとこの国になじめないのでは?と思われる。それでもここ10年ぐらいで世界中から移民が入ってきておりこのニュージーランドもマルチカルチャーの国となりつつあり、移民にとって居易い国になって行くだろうと思われる。今のところは多少のイザコザが有るがこの国の人達も外国人になれてくると初期の違和感が薄れなじんでくると期待している。どこの国の人も個人的にあって話しをすると良い人は多いが、今までの各自が育ってきたカルチャーが違うために摩擦が起こるのと、この国のパイを横取りするのを嫌がっているのだ。この国の人の名誉のためにもいうのだが、決して頭から人種差別をしているのではなく、豊かなアジア人が自分たちのパイを自国から持ってきて、ニュージーランドの自然とスペースのある新しい生活と移民が持ち込んだパイと交換することを望んでいるのだ。一種のギブ&テイクです。 
人種差別と言うのは誰の心の中にも存在することであり言葉を変えると一種の生存競争かも知れず、面と向かって戦いたくないがために虐めるようになるのではないか。移民同士でも決して打ち解ける事が出来なく、同じ移民と言う共通点だけで挨拶や話はするが、アラブ人、インド人、中国人、韓国人、黒人、南太平洋の人達、ヨーロッパ人、ロシア人、イスラエル人、その他、多くの人達と出会うが、決して打ち解けてお互いに理解できる事は無い。
日本人側から見る日本に働きに来ている外人を見る感覚を考えてみると理解してもらえると思う。軽くお国の話しぐらいして挨拶をする程度、この人種の壁を乗り越えるのは大変難しく、金儲けでも絡まないと親しく付き合わないのが現実の世界ではないだろうか?。中には旨く立ち回っている人もいるが必ずと言ってよいほどこの人達間には金が絡んでおり人種問題と言うより仕事関係と呼ぶ方がいい、多くの人は同国人で固まってしまうのが現実である。しかし虐めあうのではなく揉め事を起こさず旨く外国の地で住み分けているように思われる。外国人同士はこれで旨くいくのだが、この国で生まれ育った人達は自分の国だと思いこんでいる為、「自分の物を獲られる」ように誤解するところに問題が起こる。
今の移民は昔と違いこの国で一旗上げるような気持ちの移民は決して受け入れられない。豊かなアジアで儲けられずこの国に来て一儲けしようと思うから嫌われてしまうのだ。今世界の金はアジアにいっぱいあり、その金をニュージーランドに持ってきてゆったりと余裕のある生活をしてもらうのがこの国の移民政策であり。上手くもぐりこんで朝から晩まで働き国民のパイを横取りするようなネズミのような行為を嫌がるのである。
  現実に街中などでアジア人が固まって歩いている姿を見かけると何と無く違和感があり、この国の人が群れで歩く時はデモのときぐらいである。アジア人の親は大事な子供にピカピカの車を与えるが、この国の親は教育の違いからピカピカの車を乗り回すアジア人の子供の様子を見たりするとムカッとするのも事実だ。
アジア人はどうしても固まってしまう習性が有り、わからない言葉でワイワイ話されると言葉のわからない人達はイライラするものである。
知人の家にお邪魔してパーティーをやったとき、やたら笑うアジア人がうるさいと近所から苦情が来た事もある。
この結果知人は隣と気まずい思いで暮らしていくのが嫌で新しく家を買い換えて引越ししてしまった。
とにかく細かいところまで生活習慣が違い外国に暮らすと言う事はなかなか難しいものだと思う。
  日本に暮らしたことのあるニュージーランド人と話したとき、やはり日本でも同じような事は起こるといっていた。
人の心の中には自分の信じる軽薄な価値感と、けして自分の所有物でもないパイを自分の物と勘違いする、そのパイをとられたくないと思う心が働き差別意識のようなものが働くのだろう。
  もう一つ、国民意識と言うものが国民には植え付けられており、ここニュージーランドではラクビーの様なスポーツに絶対他国には負けるな、勝て、国のためだ。自分たちの国は強いのだ。などと知らない間に国民感情が植え付けられ洗脳されている。昔日本でも竹やりを持って上陸してきた外人を殺せと教えられたように無知な国民に教え込む。
そして、自国を一生懸命応援して国民が一団となりチームが勝つことを願う、そして国歌を流し国旗を揚げる。
けして悪い事ではないが、国民が一生懸命働き国のために税金を納めるように国は仕掛ける「政府の策略だ」。
スポーツの好きな人には純粋な人?が多く鵜呑みにするために他国の人を見ると「こいつらに負けてたまるか」となってしまうために必要以上の競争心が芽生える。結果的に「アジア人のようなチビに負けるか」と差別のような感情に育っていく。
スポーツだけに限らず、アジア人側も各自の国で愛国心を植えつけられており、知らず知らずに「なにお、この野郎」となり[馬鹿にされてたまるか」とばかりに頑張る、一生懸命働いて見返してやるぞと言う事に成ってしまう。何も頑張ら無くても良いのに争ってしまいパイの取り合いとなりいがみ合う事になってしまう。せっかく生存競争の少ない国へ移民してきたのに、ノンビリ暮らすどころかあくせく毎日心の中で争いながら生活することになってしまう。
  今このニュージーランドは先住民のマオリ族とヨーロッパ系の白人[この人種が一番多い]と新しく入った世界中の移民[アジア人も含む]の混ざり合った新しいニュージーランドが出来つつある。これからもますます移民の数が多くなっていくと予想されるが一番多い移民はヨーロッパ系の人々である。この中でも目立つのはオランダ人、オランダも人口密度の高い国でこの国のスペースに憧れて移民してくる。この人達と知り合うと話しの中に必ずスペースが一杯あると言う言葉がお互いに交わされる。日本に暮らして居ると自分の周りに人がいる状態が何時もあると思われるが、ここで暮らして居ると人に会いに行くといった方がいいくらいに、自分の周りに他人が居ない。我々が他人と接触するのは町にショッピングに行くときぐらい。車社会でもあり歩いている人は散歩の人ぐらいしかいない。わざわざ会いに行かなければ誰にも会わずに居る事も出来る国である。
他人が1メーター内に入ると不快感を感じると言いますが、ここで生活をしていて自分の1メーター内に人が入ると言う事がほとんどないのに気づく、だから細かいところに気を使うこともなくなってくる。
「自分の世界を持てる」とでも言えそうな位スペースがあり気楽に生活が出来る。反面、人ごみで暮らしていたアジア人などは人ごみに憧れ、週末に町に出て行く。週末の町はほとんど休みになっており町を闊歩するのはアジア人だけである。
最近は土曜日の半日は働く人のためのショッピングデーとして店屋が開いてはいるが、昼の12時を過ぎるとパタッと店じまいしてしまう。一般の人は土曜日の午前l中は子供の運動の日になっており子供を乗せた車が多く行き交う。午後は大人の運動の時間に当てられる。我々のテニスクラブも土曜の午後に行われている。日曜日は熱心な信者は教会に行くが多くはアウトドアースポーツで過す人や家庭サービスデーでもある。平日の仕事は日本の様に残業などなく5時でパッと終わる。
この辺の感覚が日本より来た我々には理解できなく、もし何か用事や買い物がある場合は必ず5時までにスケジュールを決め予定を終えるようにすること。5時を過ぎると買い物でも次の日しか出来なくなるため、金曜日だけは夜8時まで働く人のため店屋が開いている。飲食店に行く多くの人は、仕事から一旦家に帰り7時ごろから出掛け食事をする。仕事の帰りに一杯というのは余り無い風景である。したがってランチ時間の町が一番にぎわう時間でもある。
我々のようなリタイヤした時間のある人達は10時ごろから町に行き買い物や用事を済ませ3時ごろには戻ってくる。時間帯を分けて車で走ると道はすいており、てきぱきと用事がかたずく。


   *  車社会
  我々の住み着いたところはニュージーランド北東の海辺の町、人口約10万人で必要と思われるものは適当に何でもそろっている町です。住み着いた頃はもう少し人口が少なかったのですが気候が温暖な事と多くの人々がリタイヤして来た為に、「海辺の町」と言う事も重なって人口が増えだし、今ではニュージーランドで急激に発展している町となってしまったのです。この町に住む住民の一人としてこれ以上発展してもらいたくないと願っています。
  よく聞かれるのですが「何故この町に住み着いたのか?」ここに来る前に日本では忙しく商売などしておりましたので、疲れ果て子供もいない夫婦と言うこともあり「これ以上働いて体を壊しても損だ」と言う理由で綺麗さっぱりと商売を売り払いやめてしまったのです。現実に、商売人というのは努力を惜しまず働かなければお客様に喜んでもらえない。そのため自分自身を犠牲にしてまで働き結果として体を壊す人が多いのです。又、商売と言うのは儲かったら儲かったでもっと稼ぎたくなりいつか失敗するか体を壊すまでやめられない。そんな先輩たちの姿を見て我々はこの辺でやめておこうと思ったのです。
商売で得た教訓は「お金は幾らあっても足りない」と言うことです。生活できるだけのお金を手に入れれば自分の世界を探し求めた方が良いと決めたのです。
  その後、ヨットで南太平洋をクルージングして回り、ヨット仲間の話しからこの町が良いと聞きこの町に住み着くことにしたのです。
日本では隣の人の声や車の通る音がする所に住んでいましたので、せっかく外国に住むならば日本ではなかなか味わえない生活を求め、「海の見える丘で、後背地に自然林がある、町に近い場所」と言う贅沢な条件で土地探しをはじめ、幸運にも直ぐに見つけることが出来今の場所に決めたのです。
ニュージーランドは牧場が多く海の見える丘で町に近い場所というのは沢山あるのですが、その後ろに「自然林がある山」と言うのが少ないのです。松の植林なら見つけることが出来るのですが松はイヤなのです。何故、自然林が欲しかったのかと言いますと綺麗な飲み水が得られると予想したのです。しばらくの間ヨット生活をしており真水に餓えていた、ふんだんに綺麗な真水が使える生活をしたかったのです。牧場のし尿がしみこんだ真水ではイヤでした。そこで、150メータの深さまで井戸を掘り綺麗なミネラルウォーターを汲み出しふんだんに綺麗な真水の使える生活を始めたのです。ここに家を建て外国の未知なる生活の始まりです。
  我々の住むところから町までは車で15分~20分ぐらい、ここでは一般的な町の郊外といった距離ですが日本と違うところは実際の距離が町まで往復50キロあると言うことです。公共の乗り物は家から4キロぐらい歩くとバス停があり一日朝に一本、夕方に一本のバスがあるだけです。「まだ一度も乗った事はありません」。
したがって、自然と車に頼る生活になってしまいます。普段は一週間に一度の買い物のため車でスーパーに買いだめに行きます。
大体何か一緒に用事をする事に決めており、紙に必要な事を書き出しておき一度に用事を済ますように町を一回りして帰ってきます。もし、忘れ物をしたら大変です、往復50キロもあるのでよほどの事で無いと来週回しと成ってしまうのです。
買い物としては週一回ですがたいがい何か町に用事があるものです。そのつど細かい用事など済ましておきます。以前は、手紙などは毎日郵便屋さんが配達もしてくれるし持って行ってもくれる。道路際にある郵便ポストに旗が付いておりその旗を揚げる事によりポストの中の郵便物を持って行ってくれるように成っているのですが、そのポストを夜中に悪がきが来て中身を盗んだりと悪戯し、挙句の果てにハンマーで叩き壊してしまう。何度もやられるとさすがに頭にきて自分からポスト箱をはずしてしまった。これでポストを壊される事は無くなったのだけど郵便物を受け取る事も出す事も出来なくなってしまった。そこで町のポストボックスを借り町に行くたびに郵便物を受け取ることにしたのです。多くの支払いは自動振込みで払い、たまに一枚だけの郵便などが出ると一番近いポストまで10キロの距離を車で出しに行くことになるのです。最近の手紙はEメールが多くなり、手紙を出す必要はなくなってきたのですが、自動振り替え以外の支払いの期日が迫っていて忘れた時には大変です。わざわざ自転車で運動を兼ねて町まで郵便物を入れにいくこともあります。
  このような生活なので車は無くては成らない必需品です。一日に500キロぐらい走るのは珍しくもありません。したがって生活費に掛かる車の経費は食費よりひょっとしたら多いかもしれません。エンゲル係数からいうとこれは豊かな生活と言うのでしょうか?。日本のように家具の一部ではないか?と思うような車の使い方ではなく「足の代りです」。日本の中古車が一般的に走り回っています。我々も日本の中古車に乗っていますがこれで十分役に立っています。
もし高級車が買えたとしても止めておくと傷を付けられるし盗まれるかもしれない?。我々の車の使い道は釣行の際に田舎の川原に止めておくことが多くどう考えてもぴかぴかの高級車は必要ないように思われる。
  一般的にも、中古車の需要が多いので当然車の部品の需要が多い為人気車などに乗っていると悪がきに盗まれやすく、その盗んだ車を夜中に乗り回し部品をはずして郊外の空き地で車に火をつけ捨てていく。「困ったものだ」。この間も家の横の空き地で夜中の三時ごろ道路で工事でもしているような音がして目が覚めたのです、何事かと窓から外を覗いてみたのですが別に変った様子も無く又直ぐに眠りに付いたのですが、翌日散歩に出て驚いたことには、そばの空き地で車にガソリンを掛け火をつけられていた。それだけではなく周りの立ち木にも燃え広がり両サイド10メートルぐらい燃えた跡がありました。
これだけの火事になり消防車が来たのか来なかったのか解らないが警察も来ないし近所の人も騒ぐ事もない。けして珍しいことではなく大都市では週末には何十台と言う数の車が盗まれているそうだ。このパーツが修理屋に売られていくのだろう。
この焼かれた車はしばらくしてレッカー車で運ばれかたずけられた。ここではないが、たまに人が殺されて車ごと焼かれる事件がありやはり犯人は捕まる事はない。これも人手不足なのか?捜査技術の未熟さが原因なのか?予算がないのか?刑務所も満杯で入れるところも無いそうです。こんなに土地が一杯あるのに刑務所ぐらい作ればよいと思うのだが、刑務所に入れた囚人を養っていかなければいけない政府としては、経費が掛かりすぎるために捕まえないのでは?と疑ってしまう。国民の数が少ない国の悩みでもあるのだ。
  この国は市街地以外は制限速度100キロで走れ、街の中は50キロが制限速度です。道路は日本より少し広く路肩が多く取られています、路肩は舗装されてはいませんが車一台ぐらいの幅があります。日本と同じ左側通行でカーブの多さは日本と同じぐらいです。日本と大きな違いは舗装路面が粗くやすりのように舗装されていて、日本のタイヤでは直ぐに磨り減ってしまいます。多分1年持たないでしょう。この荒い舗装路を雨の日でも多くの車は100キロで走っています。交通法規はほとんど日本と同じで一つ違うところは右折優先というところで多くの外国人ドライバーが事故を起こす原因にもなっています。
普通の道を100キロで走り曲がり、止まる事は少しの慣れが必要で道路にはガードレールはほとんどなく、多くの事故は道路から飛び出し自滅してしまうことです。車社会という事は子供から年寄りまで車を運転しているということであり、飲酒運転やドラッグ、よそ見、居眠りと外国人旅行者の右側運転の事故も多くあります。この国の事故は派手で一旦事故を起こすと車の車種がわからないぐらい見事に車が壊れています、死亡事故が多いのも当然です。そのため車の車検は6ヶ月に一度あり、中古車が多いためと高速で走るため厳しく調べられます。車検経費のほうは日本の様には高くありません。
  近所の人達とすれ違うのも車です、どの車がどこそこのだれだれと言う覚え方をしておりもし車を乗り換えると誰だかわから無くなってしまいます。したがって各自が違った車を乗るように成り車が個人の証明証の代わりを果たしているのも事実です。
車の関税が以前は高かったせいかこの国では車はまだステータスとなっています。人々はまだまだ車に憧れモータースポーツも盛んで先進国のように子供の時から新しい車に乗っていたのと違い、人々は競い合って良い車をローンで買い求め見せびらかす事に喜びを感じている様を見ます。いまどき先進国では車を買ってもよほど良い車で無い限りは、人に自慢する事も出来なくなっていますがこの国では日本の中古車を買っても自慢の種です。
以前は町に行く時にも車の渋滞など皆無でしたが今では朝夕の通勤時間は車の渋滞になります。まだ排気ガスでの公害が目立つ事はありませんが少しずつ空気が汚れだしているのでしょうね。


  *  食事
  日本に住んでいる人が外国に住むという心配事の一番は、言葉の問題と食事ではないかと思う。
言葉の問題としては、ニュージーランドは英語を話す国であり今の日本は横文字の多い日本語を使っており、学校でも習うのでフランス語やドイツ語その他の国の言葉より親しみやすく、解らないところは解らないとはっきり言えば相手がわかるように話してくれる。日本で習う英語はイギリス語とアメリカ語でありニュージーランドでの会話は少し違ってくる、これは慣れの問題であり何度も同じ事を話していると通じるようになってくる。同じニュージーランド語であってもラジオのアナウンサーが話す言葉と田舎のファーマーが話す言葉では外国語ほどの違いがあり発音も違う。子供でも英語を話しているこの国では慣れるより仕方がない「習うより慣れろ」である。特別重要な事柄の場合は誰かを雇い通訳や書類の処理をしてもらえば用が足す。この国ではソリシターと呼ばれる法律に詳しい弁護士のような仕事をする人が多く、この国では家を買ったり揉め事の処理その他法律的に話し合うときなどは弁護士やソリシターを雇い書類を書き契約を結ぶ。
言葉は違っても日常のことは同じ人間でもあることだし同じようなことを考えているものだ。
時間がたつとだんだん相手がなにを考えているかがわかってくる。生活のコツは、「上手い話はない」と思うことである。スケベ心を出さずにお互いに話し合うことで多くの事柄は、少し時間が掛かるが理解できる。もし上手い話だと思う時には疑って掛かれば間違いは起きない。
  食材はオークランドまで行くと日本食専門店はあるけれど、スーパーではオーストラリヤの米が一般的に売られていて、品数は少ないが最近は日本食品を売っている。
  我々は雑食性の人間で好き嫌いは無く何でも食べるのだけど、近ごろは健康のために日本食ポイ食事をすることにしている。以前はよく食べた肉や乳製品は出来る限り食べないようにしており、あの塩味の聞いた油が口の中で解けるような美味さの誘惑に負けそうになるが健康に長生きを目標のためよだれを流しながら我慢している。しかし、旅行などに行くと「だめだ」と知りながらも思わず買ってきてはムシャムシャと日ごろの禁欲を発散するために食べてしまう。
  この国に住み始めた頃、「野菜は自分たちで作ろう」「出来るだけオーガニックで自然な野菜を作ろうではないか」と清く美しい気持ちで家の空き地に畑を造り種をまき育てたものでした。一年目は何でも良く出来、ナス、かぼちゃ、ピーマン、スイカ、菜っ葉類、大根、きゅうり、何でも出来たものでした。「なんだ、野菜を作るってこんなに簡単なものだったのか」と勝手に思い上がりのぼせたものでした。
我々の土地は元牧場の跡のため肥料は一杯入っており動物の糞尿で土地は肥えていたのです。我々はそんな事など知る訳は無く土地さえあれば簡単に野菜が出来るではないかと思い込み、嬉しくて嬉しくて、初めて出来たスイカを世話になっている先輩の家に自慢げに一番最初にプレゼントしたのです。自分たちでさえまだ食べたことのないスイカを一番先に食べてもらおうと、見た目はスイカなのだが中が真っ白なまだ熟れてないスイカを知らずにプレゼントしてしまった。田舎暮らし初心者の我々は家に帰り自分たちもスイカを食べようと割って見たところ中が真っ白なスイカだった事が解り慌てて電話で謝ったほど、野菜が何時熟すのか何時食べてよいのか解らないスーパー初心者であった。野菜とは八百屋で出来るものと勘違いするほど八百屋で買っていた日本の生活からやってきて初めて出来た野菜が嬉しかったのも事実であった。
  それ以来二年、三年と立つに連れ、野菜はだんだん出来なくなってきた。有機野菜を作りたいがために化学肥料をやらず、鶏の糞と魚かすや野菜くずを肥料として育てると、雑草はドンドン育つし野菜は食べれそうになると虫や鳥が来て食べてしまい我々の食べる分が無くなってしまう。放し飼いの鶏が自分の卵はどこかに隠すし野菜の新芽を食べてしまう。何と自然と共存共栄することの難しさを知らされる。「野菜を作ると言う事はこんなに難しく、手のかかるものだと気付く」。
それ以来、粗放農業に徹して自然に育つ野菜を多く育て食べられそうなところだけつんで食べる、あとは虫や鳥にやると言う方針に変えている。二人だけで食べる野菜は量的にも多くは必要なく、作れない野菜はスーパーのお世話になっている。
  羊やヤギも一時は飼っていたのだが、ヤギは何でも食ってしまうため首輪で繋いでおかないと私達の土地では広さが十分でなく憧れの田舎生活をしてヤギに首輪やロープで縛っておくのも可愛そうな気がしたし、羊は馬鹿な動物で自分の糞の上に座り込んでしまい尻に糞が付くためにハエが羊の尻に卵を産みつける、やがてその卵が蛆になり羊の体の中に入り体内を蛆に食われ死んでしまう、このために羊を何時も清潔にしてやらなければいけない広い土地があると糞が乾燥するまで他のパドックに移せば良いのだが、小さい土地ではこれが出来ずに手が掛かる事になる。そのため隣の家に上げてしまった。
私達の場合、ニュージーランドに百姓をするつもりで来たわけではなく,子供も居ない夫婦であるため早めのリタイヤが目的であった。野菜つくりなどは出来るだけ健康のための食材をと言う目的で作り始めた。
  食材を考える時、理想と現実の壁にぶつかってしまう。ここでいう理想とは[出来るだけ」と言う言葉を付け加えることになってしまうだろう。
この「出来るだけ」の裏には「少しぐらいの農薬は目をつぶる」。「出来るだけ化学肥料を少なく」と言う言葉になってしまう。
現実に自分が食べる量の有機野菜を自分で作ろうとした時、「虫の餌を私は作っているのではないか?」と錯覚する野菜作りになってしまう。畑に入れる肥料まで有機で育てた鶏の糞や羊の糞、野菜くずを必要となり、水や空気までも汚れていない事を求めてしまう。自分で多少なりとも野菜を作ってみて思うのだが、スーパーで売っている有機野菜は本物とは信じがたい。
以前から有機野菜がマーケットで売っていることを不思議に思っていた。あるとき有機野菜の売り場に並んでいる有機野菜の一斉検査が行われた時、70%の有機野菜から農薬が検出されたとの発表が政府からあった。農薬なしで育つ野菜もあるので70%と言う数字は農薬の必要な野菜は総て農薬を使っていることになってしまう。消費者は無農薬と書いた商標を信じるしか手は無く嘘を吐かれてもわからないことに成る。
  もし有機野菜を自分で育てることが出来たとしたら、その野菜を食べる時一緒に食べる米も有機にしなければおかしいではないか?と思ってくる。
一番大量の化学肥料と農薬を使って育てる米を食べ、小麦粉を食べ、配合飼料で育てた養殖の魚や肉をおかずにして、防腐剤の入ったプロセスフードを添えて、発色剤の入った漬物を食べる。これらのおかずとなる食品にもどこでなにが入っているか食べる時点では表示を信じる以外に証明のしようがない、おまけにデザートに農薬や抗生物質の掛かった果物を食べ、農薬で育てたお茶を飲み、なにが入っているかわからないスナックを食べて暮らす毎日の生活において、なにを食べれば健康で体に良い食べ物か?悩む日々である。
  そこでこの際居直って、自分で出来るだけ理想に向かい食生活をコントロールする事にしようと思う。
なにが出来るか?我々の場合、昔乗ってたヨットを人手に渡す事無くまだ持っており、天気の良い日には外海に出かけ鯛釣りをすることにしている。昔から釣りが好きで、この国に住み付く理由の一つでもあるのだが釣りをして暮らし自分の食べる魚を得る。嬉しいことにまだこの国には海に行くと鯛が泳いでおり、30~40センチぐらいの鯛が簡単に釣れる。時には大物の鯛が釣れる事もある。最近は5、3キロの鯛が釣れた。
  近頃は日本が魚を買い占めるので昔ほどさすがに釣れなくなったがまだ魚に困る事はない。この鯛を例にとって食材と考えて見ると,鯛は春先になり海水温が上がると浅場にやってきて産卵をする。その後、荒食いをして体力の回復後水温低下と共に深みに落ちて行くそして冬を過す。このようなサイクルで暮らしているために沿岸の公害の影響をまともには受けない魚と思う。「信じたい」?、公害の影響の無い魚はいないと思うが「影響が少ない」魚は居るのではないか。
日本では近海魚を尊ぶ傾向が有るが一番海が汚れている近海の魚を高く売りつけていることになる。近海に泳ぐ小魚が一番公害に置かされている魚であると思う。
ニュージーランドの海は日本の海と比べまだまだ海の汚れが少ないと信じて?天気の良い日にはおかず釣りに船をだす。
リタイヤ夫婦が食べるだけの魚を釣るのは簡単であり、魚と少しの野菜とご飯があれば我々は十分暮らして行ける。春先には山菜も芽を吹く、以前は多く採ったが二人では食べきれないためにたまに漬物を作るぐらいで最近では余り採らない。
我が家の基本的メニューは魚と野菜、ご飯またはパン、スープ又はカレー、飲み物はコーヒーかお茶。時々、ヨーグルトまたはトマトジュースこれにナッツ類。この中で重要なポジションを占めるのは、何といっても魚であり魚がない食生活は肉を食べない今となっては考えられない。魚を食べているのが一番健康的な食事が出来るのではないかと結論付ける。甲殻類や海老、を食べている魚はHDLと呼ばれる良質のコレステロールが含まれ動脈硬化に良い、昆虫を多く食べているマスなどは「キチンキトサン」と呼ばれる物質が多く含まれ癌や高血圧に良いと我が愛妻は私に講義する。
色々食生活を調べたが魚をベースに食事をしてバラエティーを加える、レモンや酢を毎日取ると老廃物を取り除くと説明する。我が家にはレモンの木が4本あり一杯実らしている。ほとんど飾りのように実り落ちている。アボカドもシーズンになると一杯採れる、魚を多く食べると言っても養殖の魚ではいけない。狭いところで大きく育てた養殖魚は魚病を防ぐ抗生物質を与え育てているため魚体に残留している。そしてこの魚を育てる囲いに使う網は,藻がつきやすいためその網に船底ペイントを塗る。それでもこの網につく貝や藻を養殖の魚が食べるため魚の体に猛毒の重金属が蓄積される。それを人間が食べるのである「食べるのを止める事を勧めます」。
養殖魚は形は魚で有るが身はチキンと同じである。このような養殖物(肉も同じだが)を食べていると、もし病気になったとき抗生物質が効かなく体の菌を殺す事が出来なくなってしまう、出来る限り天然の魚を食べるようにすると良いと勧める。
  では、 釣りキチの我々は魚を多く食べるか?と言うと我が家で一番魚を多く食べるのは猫の「イチゴ」です。
魚を釣ってきて子猫の時から食べさせているため旨い魚しか食べない。旬を外れた脂の乗ってない魚をやると目の前の魚をじっと眺め、そして主人の顔を眺め食べない。文句を言う訳ではなくじっと魚と主人の顔を見る、さも「これを猫の私に食べろと言うのですか」そんな顔をして餌の前にじっと座っている。よほど腹をすかしていないとキャットフードは食べない。
旨そうな魚は自分たちで食べたいのに、猫が旨い魚をよく知っており釣りから帰ると臭いを嗅ぐだけで「くれくれ」とうるさく付きまとう。最近では猫が旨そうに食っているので「この魚は上手い」と人間様が食べるような生活になっている。
  魚を見慣れると見ただけで旨さが判るようになるが、なれない人は猫に食わすのが一番だ。よく鱒釣りで行くキャンプ場に野良猫がいるのだがこの野良猫が餌をくれとうるさいのでやると、初日はガツガツとまずい魚を食べたのに二日目になるとまずいと言って魚を食べなくなる。「野良猫のくせに贅沢な」仕方なく旨い所をやるとぺロッと食べてしまい「もっとくれ」とねだる。みすぼらしい毛並みでおまけに片目のこの猫は口だけは肥えていると関心して何と無く尊敬してしまう。
何故か私は魚の旨さがわかる人を尊敬する傾向があるようだ猫もその延長だろう。
野良猫に餌をやると自分で餌をとらなくなってしまうので、出来るだけやらないようにしているのだが猫の方でこちらの足元を見透かして餌をねだってくるのでつい餌をやってしまう。「人間が甘いのかもしれない」。
  人間の食事に話しは戻るが、うちの愛妻が色々調べてはこれが体に悪い、これもどこそこに良くない、これは食べると癌になる、
これにはリンが入っているからカルシュームを壊す、この野菜は残留農薬があるからだめ、などとインターネットや本から見つけてくるので、頭にきて「いったいなにを食べればッ健康に良いのだ」と叫んでしまう。「なんか食べさせてくれ」まったく、何も食べなければもっと体に悪いではないか「これを食べれば絶対に体に良いという食べ物はありませんか?」。
  この国は、酪農の国であり牛乳や乳製品が豊富で有るが、総て輸出を目的としており牧場に化学肥料をばら撒き、牛たちの糞尿を撒き散らしどうしても土地が酸性化するので石灰を撒き中和さす。そして無理やり牧草を育てドンドン牛乳を生産する。時には牛の体に注射を打ち何かを体に入れる。「何であるかは不明」口からは何かを無理やり飲みこます?。
こんな牛乳の生産を知ってしまうと飲む気がしなくなる。この牛乳を栄養価が高い牛乳としてイメージを良く見せ高く売る。さすがに注射を打って栄養価の高い牛乳を作り出すやり方は、ニュージーランド国内では糖尿病の原因になると言うことで販売禁止になった。この技術?を持ち込んだのは日本の企業である。
この何年も牛乳を搾られ、年老いた牛はハンバーガーのパテとして売られていく。「こんな肉や乳製品を食べたいですか?」「まったくなにを食べればよいのでしょうか?」この肉は残留農薬の塊のような肉ではないか?、カスカスの年老いた婆さんの牛をひき肉にしてハンバーガーで食べる、「食欲が湧きますか?」
  この国の人は、イギリスの影響のため野菜と言えば煮込みで食べていた、サラダなんて羊や牛の食べるものぐらいの感覚の人が多く、以前は生野菜は余り食べられなかった。一般人がサラダを食べるようになったのはつい最近の事である。外国から移民が大勢入ってきて魚を食べサラダを食べる姿を見て。「これらを獲ったり、作ったりして外国に売れば儲かる」と目先の利く人達が食べだし野菜を栽培し始めたのである。野菜を食べない人達が野菜を育てるのでドンドン肥料や農薬を使い見栄えの良い売れる野菜を作る。この野菜は多分残留農薬の多い野菜であろう。「なにを食べましょうか?」
  最近の建築ブームで昔の農地がドンドン宅地化され、家が建てられている町の話しだが、この新築の家の庭の土が農薬に侵されていたと言うニュースがある。家の持ち主が農薬で侵かされた庭で家庭菜園をしたり、子供を遊ばせるため、病気になる可能性があると発表された、おまけにこの家の価値がかなり落ちているらしい。こんな家が何千軒とあると言う報道である。元農地がこんな調子であると言う事は、農業と言うのは作物を作るためにかなりの殺虫剤と化学肥料を使用すると言うことの証明なのだ。
  とにかく考えてしまうと食べるものがないので「何でも食べる」と宣言する。しかし少しずつにしておく、そして出来る限り体を動かす運動をすることに決め、食べた物を消化し排泄するように努める「体内の循環を良くする」。これが健康の秘訣ではないかと思う?長生きが出来なくてもコロッと死ねる。寝たっきりで家族に迷惑をかけ苦しんで死んで行くよりは良い。
 アメリカでも、この国でも同じく食料生産する生産者側が経済的に恵まれ、政治にまで力を及ぼすために政府も経済優先政策として食料生産のための規制を厳しくしない。結果的に被害を少なくする為と健康な体を保つ為に国民に運動を押し付ける。
国民が運動するために運動用品が売れ税金が政府に入り,食料生産で又税金が落ちるために健康に好くない食べ物と判っていても規制を出来るだけ延ばす、これが現実の食料生産の姿ではないか?。「問題提起」。


  *  生活費
  ニュージーランドでの最低生活費は、レベルにもよるが我々夫婦では10万円以下で一ヶ月が暮らせる(最近は物価の値上がりで苦しくなってきたが)。この金額は持ち家がある事と趣味と車に掛かる費用は除く実質生活費である。この国では家さえあれば生活費はわずかしか掛からない。
生活費プラス、リタイヤして有り余る時間を趣味に使うために必要な遊行費が必要になってくる。「人はパンのみに生きるにあらず」である。「米だけでも生きるにあらず」    しつこいですね。
  我々の場合は、趣味の釣りが一番の出費になる。この釣りの出費の内訳で一番金を食うのは船と車である。
けしてよい車や船を持っているわけではないのだが足としての車の燃料代やメンテナンス代が掛かる。人手不足のこの国では、「知識は金」である。自分で直せない修理やメンテナンスは、知識がないと法外な値段を請求される。日本での生活のように車を修理に出して「お願いします」では幾ら請求されるかわからない。それとなく修理屋はまずあなたをテストする。
その結果「こいつは車のことを知らないな~」と思うと修理もろくにしないで法外な値段を請求する。しばらくの間車が適当に動く位に直し料金を請求する。「我々も何回この被害に遭ったことやら」この国で車の修理を頼むときには、評判の良い大きな店に出す事そして車の修理箇所を指摘して「ここをこういう具合に直してください」と頼む。そのためには修理を頼む側が、車のどこが悪いかを知らなければいけない。日本の中古車を乗っている私達は修理が必要になると今までのように直接修理屋に行かずにまず図書館に行く。
図書館には車の修理の為のノウハウブックが置いてあり、それをよく読んで修理箇所を見つけ出す。そしてここを直して欲しいと修理屋に車を持っていく。修理屋にこの様に頼むとパーツ代と労賃で済む。しかし「この車を直してください」と頼むとノウハウ代が掛かってくる。お客が知らないのだから先ず車のどこが悪いのか?を調べるために費やす労賃が必要になってくる。頼む方は修理屋だから原因ぐらい直ぐにわかるものだと思っているが知っていても時間をかけ調べる、料金は時間給で請求するため時間をかけノウハウ代を取る。
その悪い場所のパーツを取替え中古のパーツをはめる。そして請求書にはこのパーツは高いと法外な値段を請求する。
一般的日本人の浅はかな考えではパーツは新品が使われると思いこんでいる。仕方なしに高い修理代を払うとしばらくして同じところが故障する。これを何べんか経験すると、「もう修理屋には頼まない」と自分でやりだすことになる。
私の場合、図書館通いで修理箇所をコピーして自分で直し始めた。車の修理やメンテナンスぐらいは自分で出来るところはやった方が車のことも少しづつ親しんでくるのでかえって面白くなってくる。
修理屋のぼったくりに腹を立てなくても良くなるので精神衛生にも良いではないか。車の修理も初めは恐れ慄くが仕方なしに直し始めると意外と簡単でパーツも自分で買いに行き判らないところがあるとパーツ屋で聞き出してくる。こちらの人は自分の利害に関係がないと話すこともあるのでヒントが聞きだせるものだ。このときは相手が「知らない」と言わせないように質問をする。
前にも書いたが知らないということを言わない国民である、だから自分の利害に関係の無い事柄にはペラぺラと話してくれる。
  車の故障は、同じ様に壊れるように造ってあるので、消耗か機構的な故障、電気的な故障か燃料系の故障である事を発見する。成れてくると意外と簡単で時間の一杯あるリタイヤライフでは面白い時間つぶしの仕事である。問題としては少し力が要ることが多い事と工具が必要となってくる。最近の車は素人では直せないように特殊工具が必要になってきており、電気系統がコンピューターパーツになってきてはいるが基本的には変わりないものと思われる。知識さえあればここを直してくれと頼みパーツ代と労賃だけですむ。
  私も最初の頃は意地でも自分で直すと愛妻を無理に助手として、ラジエーターをはずしたりスターターモターをばらばらにしたりと奮戦したものだけれど、慣れてくると釣り場の湖で車の下にもぐりエンジンの掛からないスターターモーターを分解して直してしまうことも出来るようになってくる。横を通る人がなにをしているのかと覗いていく。以前このスターターモーターは修理屋で直してもらったのに、直ぐに壊れたので苦情を言ったところ、無料で新品のパーツと取り替えたと直してくれた。これで安心していると一ヶ月で又壊れる。頭にきて自分たちで直すがスターターモーターのどこが悪いのかわからず10回以上つけたりはずしたりする内になれたものとなり、調子がおかしくなるとはずして適当に動くように直すことが出来るようになった、10何回目でスターターモーターのクラッチが磨耗と言うことがわかり、パーツを新品に取替えそれ以来他人に売り渡すまでトラブルは無かった。
  船の修理も同じ事で、自分でやらなければ車どころの騒ぎではない、凄い金を取られる。我々は以前南太平洋をクルージングして回った経験があり誰も助けてくれない海の真中では自分で総てを直すというのが海の生活での基本になっている。
船のメンテナンスは可能な限り自分たちでやる訓練をしており、車の修理が出来るようになったのだと思うのだが、海も陸も自分たちの命を預ける船や車の整備を知っている事は身の安全に繋がる事でもある。
そして修理屋にぼられなくても良くなる「必要は発明の母」的生活をしている。
  前にも書いたことだが、この国は100キロで一般道路を走りまわる事が出来る。
そのため事故も多いが、車で国内中簡単に行くことが出来便利である。走ろうと思うと一日1000キロぐらい走れ500キロぐらいは簡単な距離である。おかげで燃料費とメンテナンスの費用が余分に掛かるが、車が役に立つ道具だと実感できる。
買い物の距離が往復50キロ。郵便物を取りながらテニスをして戻ってくると50キロ。隣の町までちょっと行ってみようと往復100キロ。釣りに行く川が往復500キロ。昨年南島に釣り旅行した距離が3000キロ、このぐらいの感覚で国内を走り回る。
日本からお客が来て一週間、近くを案内すると2000キロ。まったく車が役に立つ国である。
  したがって、車の経費が家計費の大きな部分を占めてしまう、車の償却、保険、燃料代、修理代、多分生活費と同じぐらいの経費が掛かるのではないか?と予想される。これは個人差の問題でもあるのだが、車に乗らなければ必要のない経費である。現実に自転車で50キロぐらいは通勤している人もいる。
日本車の中古が多いのだが走行距離20万キロぐらいは現役の車であり、車は随分長い距離を走れるものだと関心する。
日本から入って来る車はまだ3万キロから7万キロしか乗られていず、この国では、慣らし運転が終わったところぐらいの距離でしかない、日本人はドンドン稼いでドンドン無駄にお金を使ってください、そして稼いだ金を溜め込まないで世界中を豊かにしてくださいね。昔と違い日本は世界第二の経済大国です。無駄をもっと多くして浪費しなければ世界の貧しい国にお金が回らず、貧しい人は余計に貧しく豊かな人は使い道のない金をより以上抱え込むことになってしまいます。
  この国の人達のように宵越しの金を持たないようにしましょう。この国の多くの人達は国の金を信じないためか、デフレーションで金利の安い金をドンドン借り出し投資したり車を買ったり使えるだけ遣っているように見えます。貯金などしている人は少なく病院は無料であり65歳からの年金だけを当てに収入は可能な限り遣ってしまう。
ニュージーランド政府は少しでも貯金をするように勧めているが、多くの人は貯金をするより一発当て金持ちになる方を求めている。この間も政府が報道するには週給の一部約700円ぐらいは貯金するようにと勧めていた。毎週700円の貯金であなただったら豊かな老後を暮らせそうですか?。この国ではもしかしたら豊かな老後を700円の貯金で暮らせるのかもしれない?。
  ニュージーランドで嬉しいのは葬儀代が安い事である。キリスト教のおかげなのか「死とは魂が残りボディーが滅びる」と考える。葬式も簡単で参列者は普段着で簡素に行われる。思い出のスピーチと歌を合唱してお別れをするこれでほとんどおしまい。派手な演出も無ければ花輪も無い花束が少し備えられるぐらいである。教会に少し寄付をして終わり。それとなく聞いたところ,葬儀代は家族持ちで7万円ぐらいらしい?。時々話題になるのだがこの葬儀代の金も持っていない人が多い。
事故や病気で突然死んだりする、借金しか残さないので死んだ人のクレジットカードは利かないし葬式代が無いというほど「宵越しの金を持っていない」家族が困り果てている嘘の様な本当の話しがある。きっとサラ金にでも行って葬式代を借りて来るのでしょうね。ここまで金を使えるとうらやましい気がする。
私としてもこれが目標で有るが簡単な事の様でなかなか先のことを考えるために虎の子を使うことが出来ない。多くて使えないのなら良いが少なくて使えない、結果的に貧乏な生活しか出来ない、もっと楽観的に行きたいものである。しかし7万円の葬儀代ぐらいは貯金して残しておこうと思っている。
  兼ねてから私は愛妻にもし私が死んだらそのまま捨てると他人の迷惑に成るので、ボディーを焼き灰を海に撒いて欲しいと頼んである。これはヨットで南太平洋をセーリングしていた時の知り合いの奥さんが癌で亡くなったとき、旦那が灰を海に撒いて海は世界の陸に繋がっているのでどこに居ても拝める。もし墓をここで作るとここに来ない限り墓参りが出来ないといったことが印象的であり原因している。自分の葬儀も出来るだけ質素にやって欲しい、そして灰を海に撒き思い出ある人にだけ拝んで欲しい。儀式や形だけで死者を拝んでもらうのは沢山である。私の新しい旅は知り合いの多いあの世に行き、久しく逢っていない人達と話をすることでありたい。
  それまで、健康な体で運動をして節度ある食事と飲酒(今のところ酒はやめている、このまま酒をやめようと思っている。)、釣りを中心とした旅をして過し、人になんて言われ様とストレスの無い生き方を目標に生きたい「目標として寝込まず、ころっと死んでしまう死に方に憧れる」。


  *  趣味の釣り
  夏から秋にかけては海の天気も安定してくるので海釣りに行く事が多い、私達の好んで行く島は我々が住んでいる町の港から25マイル沖にある無人島、この島の持ち主は先住民のマオリ族であり夏の間だけキャンプ場が開かれている。
町からこのぐらい離れていると、日ごろの生活から切り離れる事が出来無人島でもあり周りは海ばかり時には船さえも見かける事も無く、ロビンソークルーソーの気分が味わえる。この島まで来ると魚にあぶれる事は無く、ここでは漁師と趣味のつり人だけの世界がそこに見ることが出来る。夜になるとはるかかなたの水平線に燃えるような明かりと時々点滅する灯台の明かりで、あれが我々の住む町だとわかる。
  自分たちが住める家が有るというのは有り難いけれど、家には色々と仕事があり、「これもやらなければいけない、あれもやっておかないといけない」と何となくプレッシャーがある。釣りに来ていても町並みが見えると何と無く落ち着かず仕事を思い出してしまう。この島ぐらい遠く離れると、日ごろの生活から気分的に離れることが出来開放感がある。
この島まで我々のヨットで町から4~6時間{風しだい}掛かるのだが、セーリングをしながらトローリングのラインを流し今夜のおかずを狙う。海水温が上がるとビンナガマグロやカツオが掛かる。これが島での晩御飯のおかずとなり、脂の乗った腹の部分は釣り餌となる。家からねぎとにんにく、しょうがを持参して獲れたての魚をたたきで食べる、これがたまらなく旨い。昼間は島影に碇を下ろし海へ飛び込んだり泳いだり昼寝をして過す。ここまで来ると海は澄み、10メーターの深さにある碇が丸見えである。時にはイルカが船の周りを泳ぎ海底の魚も見ることが出来る。朝夕は停泊場所から直ぐ近くの100~200メータぐらい離れたところで船を潮に流し釣りをする。鯛とハナダイが多く釣れ時々ヒラマサ,シマアジの50~60センチぐらいのが釣れる。日によって釣果が違うがこの魚を網に干して家まで持ちかえる。魚は一時間ぐらいでバケツイッパイになってしまうので、後始末の方が大変な仕事となり、まるで漁師のようである。海釣りは釣りとしては簡単すぎて面白みに欠けるが、食べる魚としての海の魚は旨くて有り難い。魚を干し終わるとこれで又しばらく生き延びれるような安心感を得る。
猫の喜ぶ顔が目に浮かぶ。干した魚は海風に当たり家に着く頃にはちょうど良い生乾きとなっていて、旨そうなところから食べ後は冷凍庫に保存する。最近は食べる量だけ獲れれば海に泳いで遊んでいる。
海に潜ればイセエビや海栗が簡単に獲れるが、私達は素もぐりしかしないので余り食べるチャンスが無い。海の幸が一杯あると必死で獲ろうと言う気持ちにならないものである。もし、潜りの好きな人が来るとその人に潜ってもらうことにしています。
この島に1~2泊して釣りと昼寝で過し魚を干して家路に着く。
  冬になると海の荒れる日が多く海釣りに出られないので、ニュージーランド北島の真中にある大きな湖タウポ湖に注ぐ川で鱒釣りをしています。鮭と見間違うくらいの鱒が冬この川に産卵のために上ってくるのです。この川は世界中のつり人に知られるぐらい有名な川であり、へそ曲がりな私は余りにもこの川が有名すぎるためニュージーランドに住んで居ても長い間釣りには行かなかったのです。冬の間趣味の釣りが出来ないため痺れを切らしこの川に鱒釣りに行く事にしたのです。
さすがに世界中から釣りキチがやってくるだけの事はあり、この川にはこのシーズン鱒が一杯いるではありませんか。
鱒も多いがつり人も多い。釣りの順番を待ちながら釣りをしなければいけないくらい釣りキチで溢れている。中には釣りたい一心で意地でも場所を動かない釣りキチがいる、譲りあう事がこの川での決め事で有るがどうしても釣りたいばかりに場所を動かない。こういう人に限って釣りが下手で何時までも釣れない、挙句の果てに揉め事を他のつり人と起こす。
私もこんな川に一度やってきたからには、本来の釣りキチの血が騒ぎこれ以来毎年誰よりも多くこの川に通うことになる。
  この川の鱒は日本の鱒をイメージすると大違いであり鮭のイメージに近い、本来鱒と鮭は親類で有るのだがこの川の鱒は天然繁殖している野生の鱒で、湖から上がってきたばかりの鱒は最高に美しく力強い。銀色に輝く大きなファイト満々のこの鱒をフライフィシングで釣る。
  この釣り方は、イギリスから広がったと思われる釣り方であり、元々余り魚など食べない狩猟民族が釣りを遊びとして始めた釣りであるため、我々魚を食べる民族と違い餌では釣らず馬のシッポの毛を使い鳥や獣のマテリアルで虫を模造し、鱒を釣って遊んだのが始まりと言われている。そのため魚を釣って食べるのではなく魚を騙して釣り上げる「どうだ人間は賢いだろう」と鱒に威張り散らすのが目的だと思われる。(人間様が偉いと鱒に威張り散らすイギリス人もたいしたことの無いやつらだ)
マテリアルや道具は変化してきたとは言え、今でも同じ様な釣り方で冬の産卵シーズンにこの川をつり人に開放している。したがってこの川はフライフィシングオンリーの川である。
  フライフィシングとは、フライラインと言う33メータぐらいのPVCで作られた紐を、鞭の様に前後に振りながらその勢いを利用して、模造した毛ばりを鱒の前に投げ込む釣り方である。口で言うと簡単なのだがこの長いラインを自由に扱う事は難しく練習を要する。竿を振り鞭のようにラインを振る様は人から見ると「あいつは無知か?」と思われるぐらい難しく、これが出来るようになると鱒が釣れるようになってくる。ここまで行き着くのが大変であり少しの授業料が必要になるだろう。川でのフライフィシングは釣りの中では一番難しい釣り方ではないか?と言われている。
その難しい釣り方で鱒を釣り釣った鱒を川に又逃がすこれをキャッチアンドリリースと呼ぶ。魚を食べる我々には理解できない行為である。釣ってから逃がすのなら初めから釣らなければればよいと思ってしまう。「西洋の人は魚を騙すのがよほど好きなのか?」こんな言い方をすると、「日本の人はよほど魚を殺すのが好きな国民ではないか」などと言い返される。
  この川では三匹まで鱒を殺しても良いことになっており、良い鱒が釣れた時には食べる分だけを持ち帰る。釣れる日には10~20匹ぐらいは釣れるので手が痛くなるほど魚釣りを楽しめるが、場所が空いていることが条件となってくる。
魚食文化の無い西洋人の釣りを真似するわけではないが、魚を食べるわれわれのように簡単に針に餌をつけ魚を釣り上げ、食べれれば良いといった易しい釣りではなく、「魚を騙すことが目的」の釣りであるため条件を難しくし、この難しさを克服して一匹の魚を釣り上げる。これが魚を主食としない人が考えだした釣り方である。「釣りキチの端くれである私のこと、この難しさに挑戦してみようではないか」と始めたのがきっかけであった。
それ以来せっせとこの川に通い詰め、人からは「ここに住んでいるのか?」と聞かれるぐらいに通いづめる。
  この川の鱒ぐらい大きくなると{50~60センチ、 4,5~7ポンド}川の深みに休んでおり、鱒は餌が流れてくるのを待ってそれを銜える。日本の山女のように閃光のごとく餌に向かって食いつかない。 相撲取りの様に力は強いが山女のように素早くはない。流れてきた餌をじっと見つめ「これは餌だ」と見極めス~ッと近寄り食いつく。川を流れる餌を餌と判断する時間はわずかであり,鱒としても食いつくまでに決断をしなければならない。釣り人は鱒が餌と見間違うように疑似餌を造り「これは何だ、餌か?」と鱒が考え興味を引くように口元に流してやるのが腕である。
  「鱒というのは必ず決まった所に休んでいる」。これを言う前に、湖の鱒は餌を探しまわり、川の鱒は同じところに居て餌を獲るといわなければいけない。これは湖には極端な流れがなく、餌を探し歩か無いと見つけられない事、川は流れが餌を運んでくるため安全な餌の流れてくるところに鱒は待っているという鱒の性格がある。
  川には地形により流れが集まる深みがあり、これを見つけるには浮きを流して見ると川の流れがどう流れているかわかる、川の流れが二本以上集まる深そうなところに疑似餌を出来る限り自然に流す。
そこで鱒が餌を待つ、総てが予定どうりに運ぶと鱒は食いつく、それをすかさず針に掛ける。
一昔のフライフィシングでは、鱒は小魚や水生昆虫、陸生昆虫などを食っていると言われ、その餌と思われる疑似餌を模造し鱒を釣り上げたが、今では良い科学繊維が発達して天然の素材より艶かしく鱒の心を掴むためと鱒は何でも食いつくことがわかりフライを昆虫にいかに似せて作るかより、いかに鱒にフライを食わすか?と言う、プレゼンテーションが大事だとされている。
鱒は餌を銜えても餌と違うと判断すると吐き出すので、その前にあたりを感じてすかさず針に掛ける。
針に掛けると鱒は驚き水面上にジャンプする、そこで釣り上げたいがために強く引くと鱒と引き合いになり鱒も逃げようと必死になるので釣り糸が切れるか針が鱒の口から外れるために逃げられてしまう。では如何するか、針を鱒の口に掛けたら(合わせをする)、強く引き合わず反対に緩める気持ちぐらいにフライラインを張ると鱒は落ち着きを取り戻し上流に向き逃げなくなる。(魚はいつも上流に向いている、これは餌が流れて来る事と酸素の供給が有るため)(もし渦が巻いているところでは、渦の流れに向かって魚は向いている)そこで釣り人は足元の安全な場所に立ち鱒とやり取りをする。鱒が逃げれば緩めてやり止まればリールの糸を巻くこれを繰り返すと鱒は疲れてくるので、竿先を少しチョイチョイとあおり鱒の顔をこちら自分の方に向け鱒を川岸に向かわす、このコントロールが取り込みの腕である。魚は尻尾で泳ぐため顔の向く方向に泳いでくる。旨くこれを利用すると大物でも簡単に釣り上げることが出来る。
初心者の内はどうしても釣り上げたいと強く引くので、「釣れた釣れた」と強引に鱒と綱引きをしてしまう。したがって、鱒は驚き必死で逃げ下流に向かい、流れと鱒の力で釣り糸が切れ鱒を逃がしてしまうことが多い。魚の性質を利用すると面白いほど釣り上げるのが簡単な事を覚えてくる。これでつり人の勝ちである。
  この後、鱒を川に戻すのだが鱒を傷つけないように流れの上流に顔を向け鱒が体力を回復したところで放してやる。鱒は尻尾を振りさよならも言わずに深みえと消えていく。(鱒としては懲りた懲りたとでも思っているのだろう)
  魚食文化で育った我々としては良い鱒が釣れたら食べたいと思うのが人情で、コンディションの良い鱒を持ち帰り料理して食べる。コンディションとは、太っている事、体色がギンピカで美しい鱒である。痩せている鱒は脂が落ちて、身の色は白い、このような鱒は「猫も跨いで通る」というほどまずく、釣った時にもファイトをしないよれよれした産卵後の疲れきった鱒である。体色も黒ずみとにかく食欲のわかない鱒なので逃がしてやる方が良い。
コンディションの良い鱒は針に掛けた瞬間力強くよくファイトする。なかなか釣り上がらずつり人を手こずらすような鱒は釣り上げた魚体も美しい。どんな魚にも言えることだが婚姻色の出ている魚は美しく光輝いていて脂が乗っている。人間以外の生物はオスの方が美しく、たくましく、食べても旨い。メスは卵に栄養がとられるために身肉の方は味が落ちる。もし、キープするならばオスのギンピカの鱒が理想であるが簡単には釣れない、オスは力も強くつり人を手こずらすので針に掛けると直ぐに見分けが付く、オスの場合は重く力強いそしてコンディションの良い鱒は上流に向かって逃げる、こんな鱒があなたの針に掛かったら慎重にやり取りをすること。
  我々の鱒の料理方法は、鮭のように塩鮭風、スモーク、カレー,ふりかけ、焼き魚、干し魚、時々刺身、押し寿司、などにして食べている。
天然の脂の乗った鱒は旨く、我々にとって冬の食材として貴重な魚である。スーパーで買えるような魚ではない。(ニュージーランドでは鱒は売り買いしてはいけないことになっており釣り人だけが食べることができる)
もう一つ、鱒が食材としてよいと思われるのは、環境の変化に一番弱い水生昆虫や陸生昆虫を餌として食べ育つ、そしてオメガ3といわれる人間の体に良い脂を持っている。特に動脈硬化に効くらしい。昆虫の中に含まれて居るのでは無いか?と思われる。昆虫を人間が沢山食べることが現実的に不可能なので鱒に食べてもらい、その鱒を人間が食べる。昆虫というのは公害や毒に一番先に滅びるため、これを反対に考えると鱒の餌と成る昆虫が生存できる環境で育った天然の鱒は、人間の体にも良いと言うことではないのか?釣りキチの私はそう信じたい。
  もう一つ書き加えたい事は、この釣りでは良く言われるようにキャッチアンドリリースが中心の釣りとなるが、この川では産卵に必要以上の鱒が上り産卵ハッチする為、間引きも必要になってくる、決められた数以内ならば持ち帰って良いと思う。
ガイドを職業としている人達が客に釣らす鱒が居なくなるを恐れキャッチアンドリリースを勧めるが、鱒の性質として何時も同じところに鱒がいるため、その鱒をつり人が持ち帰らなければガイドは苦労せずに客に釣らす事が出来、自分の仕事がやりやすい様、ガイドの利益のためにキャッチアンドリリースを勧めている人が多いような気がする。おまけに頭に来る事はキャッチアンドリリースをしない人は文化人ではないような事をノタマイ自分の金儲けに利用している。持ち帰っても良い数だけは持ち帰っても良いのである。

   *  神のいたずら
  町から車で20分ぐらいのところに我々は住んでいてこの地域はルーラルと呼ばれる。日本語では田舎地区ぐらいの意味であると思われる。このルーラル地区には場所によっては町から10分~1時間も車で掛かる地域もあり、ここには毎日ルーラル地区専門の郵便屋さんが回ってくる。この郵便屋さんは新聞も運ぶし、広告も運ぶ、毎日必要なミルクとパンも配達してくれる、大変親切で便利なシステムである。農業国のニュージーランドは毎日の細かい用事のために、何時間も掛けて町まで行ってくる時間は無駄で、用事は電話と支払いはチェックで払う。銀行で発行されたバンクチェックに支払いの金額とサインをして郵便で送る、これが一般的に利用されている。(最近はコンピューターに変わりつつ有るが)現金社会の日本から来ると初めは戸惑うが、なれてしまうと便利性から盛んに利用するようになる。
  この郵便は各家の道路に面したゲートに、車で回る郵便屋さんの便利なように車の窓口の高さに郵便箱を各自が工夫して立てて、そこに郵便物を入れてもらう。各家が個性を出しユニークな郵便箱を立て奇抜さを競っていたりして微笑ましいのも見かける。
ミルクやパンが欲しい人は郵便屋さんが来る時間に車で郵便箱の近くで待っており、郵便屋さんからミルクやパンを買う。田舎に住むとちょっとパンやミルクが無いからといって買いに走ると一時間から一日仕事になってしまうために、この便利なシステムが発達している。
  問題はこのポストに入れた郵便物や町から送られてきた郵便物をとり忘れていたりする事がある。夜になると悪がきが車でポストを覗いて何か獲物が入っていないか探して回る。それだけなら良いが、何も入っていない郵便箱を腹いせにハンマーで叩いて壊して回る、悪がきたちにとっては面白い遊びかも知れないが各家はえらい迷惑であり、もし郵便箱に支払いのチェックが入っていたら盗まれてしまう、これが目的で悪がきたちは郵便箱を壊して回る。
  バンクチェックには相手の名前と自分のサイン、金額が書き込まれ他人は現金化できないようになっており、相手の口座に入れ二日ぐらいすると現金に換えることが出来る。しかし悪がきたちはそのバンクチェックをインク消しに浸けることにより相手の名前と現金の金額を増やしバンクチェックに現金と書き込み銀行で現金化する。このバンクチェックに現金と書き込むと現金に換えることが出来るのを利用してこずかいを稼ぐ。金額が余り多いと銀行からバンクチェックの発行人に確認の電話を入れるため犯行がばれるが、適当なこずかいぐらいの金額ならば問題なく銀行で現金にしてくれる。
  このようなことが盛んになり田舎に住む住人は最近では自動振り替えに変わっては来たが、細かい支払いはまだバンクチェックを利用している。銀行のカードも郵便で送られてくるため郵便箱に入れておくと盗まれてしまう。悪がきたちは悪い事をするには長けており、カードを盗んでは現金を引き出す。そのため田舎に住む人は郵便屋さんが来る時間を見計らって道路側に車で駆けつけ郵便物を受け取る。田舎に住む人が人間と一日一回会うことが出来る時でもあり、人間と片言の挨拶を交わす事が出来る時でもある。
日本では理解できないほど人口が少ないため、ニュージーランドの田舎は一週間ぐらい人間に会わないことが普通であると聞く、週末田舎のパブがこの人達の社交場となっている。それ以外のウイークデイは牛や羊が話し相手であり友達である。(恋人かもしれない)時々田舎で犯罪が起きるのだが、目撃者など居ないためなかなか犯人が捕まらず迷宮入りになることが多い。ついこの間も牧場主がライフルで撃ち殺されたのだが、一ヶ月以上過ぎた今でも犯人も殺された理由もわからない、この事件も迷宮入りになるのではないか?。隣のオーストラリヤでは国がもっと広く、殺されて埋められると二度と発見されないと言われている、何と規模の大きい国の広さだろう。
  話を郵便箱に戻す、夜中に叩き壊された郵便箱を朝発見すると何と無く自分の頭を殴られたような、何も抵抗をしない郵便箱を殴り壊すなんて、と悲しく、怒りを覚える。気を取り直しまだ使えそうならガムテープなどで直すのだが、修理不可能なぐらい壊されると新しい郵便箱に買い替えざるを得ない。我々の近所の郵便箱を見て回るとどの郵便箱もボコボコになっており雨でも降ると郵便物が郵便箱の中で泳ぐのではと心配するような箱や、郵便箱に触ると怪我をするような痛々しい箱もある。我々は思い切って新しい郵便箱を買ったのだが、その郵便箱の宣伝文句が「この郵便箱は簡単には壊れない5年間は保障する」と言う歌い文句に引かれその郵便箱を買う。郵便箱を買ってよく見ると宣伝文句の中に「この郵便箱の保障は神のいたずらに対しては保障しません」と書かれてあり。簡単には壊れない郵便箱も神のいたずらには弱いことを認めている。
何でも新しい時は気持ちの良いもので、郵便箱を付け替えた時は近所の人からうらやましがられたものだった。散歩の時には真新しい黄色い派手な郵便箱を眺めて悦にいっていたのだがこれもつかの間、ある朝壊れないはずの郵便箱が見るも無残に、見事に宣伝文句を覆すように壊されていたのだった。郵便箱は神のいたずらに負けたのである。
これにはさすがにガッカリして又郵便箱を修理する気は無く、それ以来我が家では郵便箱を取り去り町の郵便局でPO、BOXを借りる事にする。多少の金は掛かるが郵便箱を心配して安眠を妨害されるよりも、買い物でどうしても町に行くついでにPOBOXを覗くほうを選ぶ。これで郵便物を盗まれる問題は今のところ無くなった。
  春になるともう一つ悩みの種が出来る。郵便ポストにブラックバードが巣を作るのだ。毎日毎日どこからか巣の材料となる干草を運んできて郵便ポストに入れる、毎朝、郵便物を取りに行くと郵便ポストの中は干草で一杯になっている。それを郵便ポストから捨て手紙を取り出す。それでも2~3日は大丈夫と思って居ると又一杯になっている。
ブラックバードは、すずめの倍ほどの大きさで体はブラックバードと言うだけあって黒光りした綺麗な黒い鳥である。背中にはブルーの斑点があり嘴は黄色に近いオレンジ色をしている。この鳥が郵便物を取りに行くと近くの木に止まって見張っており郵便ポストの中身を外に出しその場を離れると、せっせと又その干草を中に運び入れる。郵便ポストの入り口にブラックバードが入れないように鳥は入れないが郵便物は入れられるようにすだれのような物をぶら下げて見る。しばらくの間はこちらの知恵がブラックバードより上回り「やったね」と思っていたら、何時の間にか、すだれを押しのけ干し草を入れている。又干し草をかき出す毎日が始まる。ある日、干し草の真中にブラックバードの卵が4個あるのを見つける。この日は郵便ポストに近づくと郵便ポストの中から慌てたようにブラックバードが飛び出し、近くの木に止まりギーギーと威嚇のような声を張り上げている。ポストの中の卵を見ると気分的にもう干草を外に出す事が出来なくなってしまいブラックバードの勝ちである。これから雛がかえって飛び立つまでこの郵便ポストはこの鳥たちの家にハイジャックされてしまった事になる。
  毎日郵便物を取りに行くたびに扉を開けるとそこに座っているブラックバードが飛び出し、木の上から「何しに来たのだ」とでも言うようにビービーと泣き叫んでいる。ポスト箱の中にブラックバードの卵があろうと雛が孵ろうと郵便屋はお構いなしで手紙や広告を掘り込んで行く。その度にブラックバードは驚き郵便ポストから飛び出す。雛が孵ってしばらくすると郵便ポストの中は干草が巣の形をしたままブラックバードの卵の殻と糞と思われる汚れ物だけが残され、も抜けの空になっている。雛が飛び立ったのだ、これが毎年同じ鳥なのか?ブラックバードの家となってしまう、春の風物詩である。



  *  趣味の投資
  ニュージーランドの春は、平均して気候が変りやすく西風が特に強く吹くのが特徴である。緯度の高い南島では北西の風が吹き、気候が夏になったり冬になったりとめまぐるしく変るのが一般的な春である。春のこのような変わりやすい天気の対策として湖の鱒つりをするのだが湖に行けばどこかに風の当たらないシェルターがありそこで釣りをすることが出来るため湖用のモーターボートを持っている。このモーターボートは中古?で買ったのだが湖なのでエンジンが動けばよいというぐらいの気持ちで買い求めた。買った時は何とか動いたのだがあるとき湖で凄い音と共にエンジンが湖の真中で止まってしまった、船には非常用の2馬力のエンジンが付いており漂流する事無く岸に戻ったのだが、100キロ近くボートを車で引っ張り湖に行ったのにその日はパーである。それ以来エンジンは動くのだが冷却用水が循環しないため、直ぐにエンジンが止まってしまう。
元々このエンジンは元の持ち主より買った時には何とか動く程度であり、予想どうりに直ぐに片方のピストンが爆発しなくなる。修理屋にだめだと知りながらわずかな期待を胸に抱き修理に出す。二日目にボートを取りに行くともう少し調整が必要といわれ夜まで待つ。約束の日までに修理せずに置いておきとりに行くと修理を始める。悪いところを直さずに古いパーツを取替え直りましたと金を取る。しばらくして湖に持っていくともう壊れている。「又やってしまった」。修理屋に頼むとこういうことになると分かっていても、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」である、しばらく車では修理屋のお世話にならなかったため忘れていたのだ。
仕方なしに湖で、2馬力のエンジンを使い釣りをした後、帰り際にもう一度試しにエンジンを掛けるとエンジンは掛かる。これは古いコンデンサーを取り替えたのだと今ではわかるのだがその時点ではわからない。エンジンが掛かったために修理屋に文句も言えずそのままにしておく。その次に湖でエンジンを掛けるとやはりもうエンジンは掛からない,修理屋に修理代150ドルタダ取りされてしまった又頭にきて自分で直すことにする。図書館の本を頼りに原因を探す、見つけた原因はコンデンサーがいかれていた、コンデンサーを取り替え新しいコンデンサー代が16ドルで直る。それ以来今でもエンジンは無事動くのだが、今度は、冷却水の問題が起こる。肝に銘じて絶対修理屋に行くまいと決め、修理屋に行くぐらいならば新品のエンジンを買おうと心に決めて又図書館に行き本を借りる。この本には私の手垢がしみこんでおり、修理しながら本をめくるためにその部分が汚れているのがわかる。何とか直そうとして何度も分解しては組み立てるのだがまだ直らない。
  元々このボートは投資で少し儲かったときに買ったもので、儲かった金額が少ないためにこのボートになってしまったのだ。ニュージーランドという国は、国といっても小さく国民の数も少ないため大国の影響を受けやすく経済も変化しやすい。そのためニュージーランドドルの為替相場が極端に変動しやすい。この交換レートの差を利用して金を動かすと差額で簡単に小遣い稼ぎが出来る。これを教わったのは釣り友達ジョージからであった。
彼は元の仕事から投資に詳しく為替差益から自分の家を買ったというぐらい巧みに稼ぐ。元手があれば1億の金を直ぐに稼いでしまう。しかし彼自身は貧乏から成り上がって成功した為その後遺症からか、なかなか金を使えず儲けるだけである。
ケチか?というとそうでもないようだ。サウスアフリカで稼いだ金2000万円が国から持ち出せないため、サウスアフリカの友達にくれてやったりしている。この友達のヒントと教えで私も金の動きを研究する。アメリカのドルとニュージードルの差が激しく動くのを見てニュージードルが高くなったときにアメリカンドルを買いアメリカンドルが高くなったときにニュージードルを買う。旨く行くと簡単に生活費ぐらいは儲かるかもしれない。動かす金額によるが株と違い、どちらもお金であることでリスクが少ない。
交換手数料だけのリスクである。株の場合は本来紙切れである、紙切れを渡されこれが幾らと書かれてあるだけで時には暴落をするし上がるときはゆっくりとしか上がらない。
為替の場合は現金だけの現物扱いであり極端に儲けられない代わり損も少ない。世界情勢やニュージーランドのことを勉強していると儲かるようになって来る。
言葉で言うのは簡単で有るが人間というものは誰でも欲があり恐れを持っている。
アメリカドルが何時高めなのか?何時買えばよいのか?迷ってしまう。今よりもっと上がるのではないか?(欲である)。
旨く高めで買えたとすると、今度は何時売れば良いのか?儲けるどころか損をするのではないか?(恐れ)である。
自分との戦いが難しいのである。ジョージも金は儲けたが本人は癌で死んでしまった。金は有ってもなかなか遣えないものである。私も今、為替相場で旨く儲けて新しいエンジンを買いたいと思っている。ボートのエンジンなどは簡単に儲けた金で買うべきものだと思っている。何故か?というとボートのエンジンなどは人生の必需品ではないと思うからである。遊びの金は遊びで稼ぎ出すのが面白く頭の体操にもなると思うのである。
今まで成功した人などを見て居ると頭を使っている自分の体を使っても限りというものがあり、どんな人も無数のコンピューターより優れた頭脳を持っているのだから、それを使わない手は無いと遅ればせながら考えるのです。
年をとってきて体が衰えても頭脳は使えば使うほど良いことなので努力して動かそうとしている。マネーマーケットなど一番体力も要らず安全で儲かる可能性があると思われる。
あくまで自分との戦いであるため、自分の中から欲と恐れを無くさなければいけない。そのために、金額を決めることが大事となる。たとえばアメリカの金が幾らになったら買う、ニュージーランドの金が幾らになったら売る、と考え決めて置く事が大事である。これも経験と勉強の成果が現れてくる。
  この国は、世界でもいまどきまれな、貯金金利の良い国です。
今,3ヶ月で6,75%の金利が付く。日本では金利1%以下ではないでしょうか?そのため世界の余った金がこの国に流れこんでくる。オーストラリアも同じようなものだが少しニュージーより金利が安い。もう一つそれに加えてキャピタルゲインに税金が掛からない。これは資本投資により儲かった金には税金をかけないというもので、世界の有り余る資金がこの国に流れ込むように仕向けている。そのため土地や建物が投資の対象となりバブル景気となっている、日本と同じくバブルが弾けると思うが国中でバブル景気に踊り狂っている。確かに儲ける人も出ると思うがその分だけ損をする人が多いというのも事実であり多分金のあるところに金が集まると思う。
この国は世界の金を借り出し今豊かになっているが世界の投資家は必ず利益を求め投資した金を回収する。「その時がいつか?」気が付かない人はきっと損をすると思う。これが人々を狂わす金のゲームであり、もしも、間違って大金を手に入れたとしても又その金を増やす事に使い、けして自分が豊かになるためには使えないと思う。儲けた金を無くさないかと心配でストレスが溜まるだけでは無いか?そして結果的に損をしてなくしてしまうだけである。私の目標は、「金を総て有意義に使い死んでいく」事であるが言うのは簡単だがこれがなかなか難しく金が沢山あるから使い切れないのと違い自分たちで汗水たらし働いた金のために無駄遣いをしたくないためと何時まで生きるか?この日にちがわからない。この日がわかれば単純に割り算をすれば良いのだが「X]で隠されている。人に寄れば120歳まで生きるという。男の場合多くの人は70ぐらいが目安ではないかと思う。女性はもう10歳長生きが出来そうだ。以前、こちらの年寄りのテニスクラブに参加していたのだが、70歳ぐらいまでは我々でも勝てないぐらい若々しいが70歳を境にガクッと来る。まず人間が優しくなるテニスのような勝ち負けのゲームでは強い人というのは老人でも憎たらしいそれが急に優しくなったり親切になってくる。 テニスは結構きつい運動で男でも女でも例外は確かにいるが70歳を境に急に変わって来たりテニスクラブに来なくなる。これで死ぬ訳ではないが姿を見なくなりそのうちこの世から消えていく、そのように成らないためには意地悪な年寄りになり気丈夫に生きるしかない。
今まで儲けた金もそれまでに遣わないと遣えない金となり政府に持って行かれる。
有意義に金を遣うという課題がなかなか難しくそこで旨く金を動かして儲けた金は遣ってしまうことにする。世の中の先輩を見て居るとなかなか旨く使えないように思うので臨時に入った金は遣い切る方針に決める。
そこで今修理しているボートのエンジンも自分で楽しみながら直してはいるが、為替相場でもし儲かったら新品のエンジンを買おうと思っている。テニス用の新しい服も買いたいな~と夢見ながら世界情勢をテレビで観察している。
  今世界には金が有り余っているのだから何とか頭を使いその金を少しでも稼ぎ遊びの金に遣いたいと思ってはいるのだが、世界には頭の良い人が多く私ではなかなか太刀打ちできない、それでも小遣い銭ぐらいは頭で稼ぎたいと思っている。もしも、小遣い銭が稼げない時には小遣いはなしである。小遣い銭のようなわづかな金を頭で稼げるようになれば、大きな金も簡単に稼げるように成れると信じている。稼いだ金を有意義に遣えるかは別の話である。「欲は尽きないものである」。


  *  ニュージーランドの天候
  本来のニュージーランドの天候は変りやすく、一日に四季があるといわれるほどめまぐるしく変る。空を眺めると雨雲がこちらのほうにやってくるのがわかるほど空は空気が綺麗、ザ~ッと降り通り過ぎるといった雨で有ったがここ何年か前より天候が変わってきたのを感じ取る。ニュージーランドはご存知の様に細長い島国であり北東と南島では極端に気候が違う、一昔前は南島に雨と風が多く北島は比較的天候が安定しており温度も高かった。今は此れが逆になってしまったかのような天気となりつつある、そのため長期の天候を予想することが大変難しくなって来ており、3日位の天気ならば予想できるが、天候が安定している時期でも油断は出来ない。
我々はヨット乗りでもあり釣り師なので天候は何時でも敏感に感じ取っている。我が家には壁に時計の変りに気圧計がかけてある、その近くには猫のイチゴが寝る椅子がありふかふかの座布団に猫が寝るようにしてある。天候が悪くなるとイチゴは決まって腹一杯食べゴロンと自分のベットに横になる。その猫の行為と気圧計を見比べて見ると猫には体内に気圧計があるのではないかと思うほど気圧計が下がると猫は腹いっぱい食べ寝てしまう。何時もあんなに食い物にうるさい猫が、猫が変ったようにガツガツと餌を食べゴロンと寝てしまう。気圧が落ちると必ず天気が崩れるので猫もハンティングが出来ないとあきらめるのか?ハンティングの対象となる獲物が隠れてしまうのか?とにかく寝てしまう。猫を見ていれば外が晴れて居ても必ず天気が崩れるのを発見する。
ニュージーランドも日本の様にしとしとと雨が降るようになってきた。一日中雨が降るということが以前は無かったが最近は降るようになってきた、地球温暖化のために天候が目に見え変わってきたように思う。天気予報が当たらなくなってきた、元々天気を当てるのは難しいものだが何日か安定した天気が続き、その後低気圧が通るため天気が崩れるというのが一般的なパターンであったが、今では天気図を見ても複雑でなかなか当たらないし二日三日と天気の良い日が続かなくなってきた。以前は春になったら何々をしよう、夏はセーリングだ、秋は何々冬は何々と計画したものだが最近は計画も難しく我々の生活もその天候に合わせ毎朝今日はなにをしようかと決めるようになってきた。
天気が良い日は勿論釣りに行く。家から双眼鏡で海の様子を眺めウネリが無いのを見定めて海釣りに行く。
昔は、こんな天気にもセーリングをしているといわれたぐらい海に出ていたが、今では軟弱セーラーとして生きているため海が静かで風の無い日にしか海に行かない。そのくせ海に出ては今日は風が無いとヨットが走らないのをブツブツ言っている。
こんな日には海に浮かびヨットを潮に流してお弁当など食べながら釣りをする。適当におかずの魚を釣ると今日はこれで帰ろうとなる。以前は、鯛のヒレを冷凍庫に一杯にしたほど釣りをしたものだが最近は健康を考えて余り食べないようにしているため適当に釣れると竿を収めるようになってきた。家にある大きな冷凍庫も電気を切り冷蔵庫も小さな物に買い替え過食をしないようにしているが以前のように天候が安定しないのでなかなか釣りに適した日がやってこないときがあり家に魚が無い日がある。基本的に肉は食わないようにしているので魚が無いと我が家の食卓には卵ぐらいしかなく、釣り師を自称しているくせに美味しい魚が食べたいな~と野菜と卵のテーブルを眺めうらやましく空を見上げる。
魚が無いと我が家の猫も文句を言う。キャットフードの缶詰では嫌だとごてる、仕方が無いのでひき肉を買って来てやると猫は機嫌を直して食べだす。
その点犬は助かる、何でも食べてくれるし猫の残り物をかたずけてくれる。犬には味覚など無いのか?と思うぐらい何でも食べるのでそんな我が家の犬を見て居ると余りに何でもガッガッ食べ何故か尊敬できなくなってくる。そこで犬には味覚が無いのかと実験してみる、犬の器にまずそうなものと旨そうな物を分けて色々置いてなにから食べるか観察する、犬も旨いものはわかるようである、旨いものから食べる。飼い主の私はこれで何故かほっとする。
幾ら犬といってもうちの犬がガツガツと何でもまずいものを食べると日ごろ旨い物を食べさしていないのか?と犬に謝りたくなる気持ちと軽蔑する気持ちが同時に自分の中に沸いてくる。犬と釣りにも一緒に行くのだがいたずらに釣り餌は食べるのに釣れた魚の生は食べない、火を通して料理してやると食べるのだが生は余り好まないらしい。犬も猫のように好き嫌いがあり何故か飼い主としてほっとする「うちの犬は豚ではなかった」そんな安心感を得る?。
  風のある日は海釣りには向かないのでモーターボートを引っ張って湖に向かう。家から100キロ弱でいくつかの湖がありその中で何時も好みのオカタイナ湖に向かう、この湖は一軒だけ人口的な建物があり周りは総て自然林に囲まれている。
この湖は55センチ以上の鱒しか殺し持ち帰ることが出来ないと決まりが有り、大物が釣れる可能性のある湖で有る、
その反面サイズ落ちが釣れてもリリースしなければいけないためつり人の数が少なく秘境のような味わいを得る湖である。(多くの釣り人は魚さえ釣れれば喜ぶタイプが多く釣れた魚を持ち帰れないことが嫌なのだ)。
この湖に住む大物の鱒を釣るため通っているのだが、釣れると大物だが大物というのはなかなか頭も良く生きる知恵を持っており馬鹿な鱒といえども釣るのが難しい。一度満月の夜にこの湖に釣りに行ったことがある。勿論回りには人影もつり人の姿も無く湖の水温と外気温の差でうっすらと靄が立ち込めている、満月といえどもこの靄あるため昼間のように明るくは無く、普段から神秘的な湖がぞくっとするほど神秘的であり湖の静かさを肌に感じさせる。もしこの湖に今まで見たことの無い大きな鱒が突然目の前に現れたら我々は鱒の餌になってしまうのではないか?と感じさせるような静かで靄が立ち込め、空には満月の月明かりがかすみを通しつつ我々を照らしている。その湖に碇を下ろしフライを投げる、フライが沈むのを待ち左の手で八の字を描くようにフライラインを手繰る、突然竿先とフライラインに何かあたりをググっと感じる「来た」当たりがあったのだ。
すかさず竿先を立てる、竿先は水面に向かってお辞儀をするかのようにしなり水中に浸かる、鱒が逃げるように走り出ししばらくして走りつかれたのか鱒は止まる、つり人が予想していない少し離れた水面上に鱒が跳ねる、今跳ねた鱒は自分の針に掛かった鱒なのか?其れとも横にでも居た鱒が驚き飛び跳ねたのか?と思うほどつり人が予想しないところで跳ねる。
鱒が走る時には糸を出してやり抵抗を少なくする、鱒が走るのを止めるとリールを撒き鱒を手繰り寄せる、これを繰り返す。次第に鱒の抵抗が少なくなってきたらボートに引き寄せ網を水面に入れ嫌がる鱒を掬い上げる。「釣れた!大物だ!」60センチはあるだろう、月の光で銀色に輝くよく太って脂の乗った鱒だ、夜釣りに来た甲斐があった。時計を見るともう12時である、一匹しか釣れなかったがそろそろ帰ろう、波一つ無い靄に煙る真夜中の湖をボートの船体で水を切りながら家路に着く。今日釣れた鱒を如何して食べようか?と考えながら桟橋に向かう。
  家の仕事で忙しく時間的に釣りには向かない天気の良い日には近くのテニスコートに行き汗を流すことにしている。以前はクラブに参加してテニスをやっていたのだがクラブに参加するとクラブの曜日に縛られてしまうので、釣りに良い日でもテニスをやっているということになり釣りにいけなくなってしまう、せっかく釣りが好きで釣り天国のニュージーランドに住んでいるのに世界中どこでも出来るテニスやゴルフをやっているなんて釣り師の私としては嫌なのである。我が愛妻は下手なテニスが好きでたまらないようだが二人しか身寄りのいない異国の地で、一人はテニス、一人は釣りと離れて遊ぶとは寂しいでは無いか?と長年やったテニスクラブをやめ釣りのほうに誘いそして釣り三昧の生活に引き込む。
  しばらくの間テニスからとうざかって居た為体力的に劣りやすくなってきたことにきずく、そのため時間を縛らずテニスができるようにクラブに入らず自分たちだけでコートで打つことにして又テニスを始めだす、時々テニスクラブの仲間に参加するが時間に縛られないようにして遊ぶ。テニスも他の玉遊びも同じだと思うが麻薬的なところがあり、あの丸いボールを何とかコントロールしてやろうと必死になってしまう所があるため玉遊び一本になり他のことが出来なくなってしまう。
  テニスをこの国でやっていて日本の人と違うところは、日本から来た人は失敗をしないように点を無くさないようにテニスをする。テニスをするとき点を取り、勝つことに全力を挙げ安全に相手のコートに玉を入れることを目標にする。
こちらの人は、プロではないのだから楽しむテニスを目標にしているし自分さえ楽しめばよいといった考え方になるようだ、
だからボールを思いっきり打つ、飛び出しても入らなくてもかまわないから思いっきり打つそして笑う楽しみのテニスをしているのだという考えである。日本人が来るとテニスクラブに参加しに行くのだが安全に失敗しないように打つ為クラブの人から嫌がられてしまう、練習ではバシッと打てるのだがイザ点数を数えると途端に「そこはとりあえず安全に」とポコット打つ。
相手は良い球が帰ってきてそれを打ち返すことに喜びを感じているところに日本人は勝つためにポコッと点を取るために打つ、それで相手はガクッと来るそれを嫌がる。どうせ遊びのテニスをやっているのだから思いっきり打つのを喜ぶ。ところが日本人の真面目さというか点取り虫、失敗を恐れる、このような性格が多くの人に見られるため直ぐに「そこは取り敢えず」となる。
我が愛妻もそんなテニスをしている、どうしても打つ瞬間に思い切れなくなってしまうそうだ、愛妻はその壁を自分で乗り越えようとがんばっている。以前はテニスを習いバシッと打っていたのだが、何時からか「この人は町で一番うまい人だ」とか聞くとその人に勝とうと意識するためか急に上手く打てなくなってしまう。私とラリーなどしている時は気分が楽なせいもあり綺麗に打ち返す、其れを横で見ていたクラブの人が我が愛妻にぜひあんたと打たしてくれと申し込みに来る。テニスコートで上手いテニスをすると人は見ていてお声が掛かる、見てなくてもテニスボールを打つ音で上手いか下手かわかるものである。
そこで上手い人から打たしてくれと声が掛かり打つのだが、他人と打つと急に人見知りしたように打てなくなる。打たしてくれと申し込んだ人はここで怒り出す「さっきまであんなに綺麗に打っていたのに私を馬鹿にしている様に酷い玉を打つ」と、そして怒ってどこかへ消えてゆく、この他人と思いっ切り打てるようになると言うプレッシャーの壁を乗り越えるのが目下の愛妻の課題である。
  とにかく最近は、毎日の天気予報を眺めながら天気に合ったスケジュールを考えている。今日は外は雨なのでこの文を書いている所である。
  ニュージーランドの季節を大きく分けると、我々の住んでいる北島の海沿いは冬と夏の二つに分けると良いと思われる。
冬でもこの辺は0度以下に下がる日は年間に2~3日あるぐらいで昼間は太陽が出ていれば10度以上になっている。しかし、この地方は地中海性気候のため冬に雨が多い天気である。雨が多いとこの国の特徴でもあるアウトドアーで楽しむ事が出来ないために、我々は冬の半分は内陸部にあるタウポ湖に注ぐトンガリロ川に釣りに行っている。この川の町ツランギのキャンプ場にキャラバンを冬の間置いておきそこをベースに釣りをしている。この町は釣りでも有名で有るがスキー場の町としても有名である。
内陸地方は毎朝マイナス以下に気温が下がりこの寒さの中夜明け前に起きライトを手に持ち釣りに出かける。どこの国も釣り人はキチガイと呼ばれるように少し明るくなってから行くと着いた頃にはすでに釣り場が無くなっている。その釣り場を確保する意味でも真っ暗な中を竿を片手に、もう片方にはライトを持ち道無き道を歩いて行く。釣り場に着くとまだ辺りは暗く夜が明けるのを待つ間準備体操をしながら夜明けを待つ。フライフィッシングというのは結構体を使い運動になり初めに準備運動をしてあとは整理体操をしないと夜には体中が痙攣して寝られないことがあるぐらい体を使う。
釣りをしている時は気が付かず一生懸命体を動かすのだが夜寝床に入ると痙攣の痛みが襲ってくる。冬はどうしても運動不足に成ってしまうのでフライフイッシングは運動にいい釣りである。冬の凍てつく寒さの中で川に入って釣りをする為ネオポリンの胸まである長靴を履き上は完全防水のつり用ジャケットを着こみ頭は帽子にフリースのスキー帽をかぶり釣りをする。
雨が降ろうと風が吹こうとこのぐらいの格好をすると寒くはない。それでも時々川にはまるため中にサーフィン用の薄手のウエットスーツを着込む、これで水に落ちて体の中に冬の川の水が入っても寒くはない、寒中水泳をやるぐらいの構えで釣りをする、私は過去三回川にはまる経験をする、我が愛妻は二回泳ぐ、冬の川の釣りは危険な釣りでもある。
釣りに夢中になって居ると川の中に知らず知らずの内に深みへ深みへと入ってしまう、釣りをしない人から見ると入水自殺でもするかのように川の中に入って行く。釣り人の心理として遠くに投げれば魚が釣れると思いがちになる、深みに入り遠くを狙うため足元をすくわれ転んでしまう。ネオポリンの長靴には空気が入り浮き袋のような役割をするため、ある一定の深さまで立ちこむと浮力が起こり足をすくわれる。川で一旦転ぶと長靴の空気で足を持ち上げられ起き上がれなくなってしまう、その結果長靴の中に水が入り川に流され帰らぬ人となってしまう。(こうならない為に長靴の方に水が入らないように腰にベルトをして硬く締めておく)川の中には最低限しか入らぬように心がけ釣りをすることが大事である。冬のこの川は素晴らしい鱒が産卵のために上ってくるため世界中の釣りキチが集まる。その素晴らしい鱒を釣ろうと川に少しでも深く入ろうとする、これが危ない、我々体の小さいものはここでも損をする、どうしてもでかい体をしている方が体重もあり川の勢いに流されにくい。我々はこの人たちよりも上手いキャスティングが要求される。
冬の川に落ち焚き火で体を温める人が多いと聞いている。焚き火で釣りたての鱒を開き軽く塩を降り焼いて食べる、これが雰囲気もありたまらなく旨い。二人と一匹でぺロット食べてしまう。うちの犬も大好きで冷めるまでマテといっても待ちきれずに食べ火傷をするぐらいである。これが冬の鱒釣りの楽しみの一つでもある。


  *  ニュージーランド南島
  釣りの話しになると熱心に書いてしまうのだが、少し違う話しもしないといけないと思う。
昨年の春2ヶ月位南島に鮭釣り旅行に行ってきたのです。今度は又釣りの話しを書かずに釣り場の人間たちを書こうと思う。
車でキャラバンを引っ張り南島へ、我々の町から北島の端ウエリントンまで行きここから南島にフェリーで渡り,さらに南に南にへと走り続けランギタタ川まで約1000キロちょっと走り、ここのキャンプ場に二ヶ月近く釣りの基地として腰をすえたのです。はるばる南島の川に鮭釣りに来たのでまずはどんな川なのか、どんなつり人がいるのか見学がてらに覗きに行きました。
ここはランギタタ川の河口です。この川に野生の鮭が春から夏にかけて産卵のために上ってきます。鮭も鮭の王様キングサーモンです、日本ではマスノスケと呼ばれる鮭で、天然の鮭です養殖ではありません。
以前は良く釣れたのですがこの付近一帯が乳牛牧場に開拓され、本来牧場には向かない乾燥した土地に川の水をくみ出し、無理に牧場にするため川の水が不足して鮭が釣れなくなってきたのです。
以前から釣りに来ようと計画していたが鮭を釣るとなると長期の予定が必要となり下見ぐらいしか出来ずに、今回やっと来れたわけです。南島は北島より天候が目まぐりやすく変るため釣りに適した日を待つのにスケジュールが長く必要となるのです、今回は2ヶ月予定を取りとにかくやって来ました。
  河口には当たり前のようにつり人がおり釣りをしていました。まず行くと声をかけてくる人がいるのです、この人はこの近くで釣り道具屋を開いている人でした。どうも親切な人だと思った、釣りの情報をこの人から仕入れたのです。
後の釣り人は黙々と釣りをしたり固まって話しをしています。この河口に来るには堤防を30分ぐらい歩いてこなければならないので地元の釣り人は四輪バイクに乗ってきます、どのバイクにも釣竿が何本も目的の釣りに応じて立ててあり、直ぐに釣りが出来るように用意が出来ています。初日は私達も珍しく見学して一人のつり人が釣ったカハワイという魚を貰ってキャンプ場に戻ったのです。キャンプ場にもつり人が各自のキャラバンを持ち込み基地を作っております。しかしここにいる釣り人は何と無く白々しい雰囲気があり挨拶もしようとしないのです。一般につり人同士が出会うと釣りの話しに花が咲くのが普通なのだがどうも不自然な雰囲気がこの釣り場全体に感じます。鮭が釣れなくなったせいでもあり又余分なつり人がやってきたと思うのかもしれません、これ以来2ヶ月近く挨拶を交わすのは商売人とわずかの決まった人たちでした。
我々は釣り場でも時々よそ者らしいつり人が来ると挨拶をするのですが地元の人は「俺の魚を釣るな」といった雰囲気が漂っています。この川の鮭釣りは単純な釣りで毎日毎日釣りをするのだが釣れません、多くのつり人も同じです、口々に「釣れれば儲けもの」というぐらい釣れないのです。私は始めの内に一匹鮭を掛けました、[ラッキー」誰も釣らないのにビギナーズラックで針に掛けたのです、何時も鱒ばかり釣っているのでそのつもりで居たら最初のジャンプで姿を現しイルカのような鮭が私の針にかかっているのです、「又釣りの話をしている」鱒を釣る仕掛けでフライ竿で釣りをしているため大きな鮭ではイルカを釣っているように見えました、多分20ポンドぐらいの鮭だと思います。「よし釣るぞ」と思い心構えをしたとたん鮭は二回目のジャンプをして私の針をはずしてどこかへ消えて行きました。「残念」逃げたといっても初めてフライで大きな鮭を掛け満足です。周りの人の方が私以上に残念がっていました、宝くじに当たるようなもので簡単には釣れないのです。
それ以来毎日夢をもう一度と竿を振るのだが数え切れないほど竿を振っても鮭は釣れません、周りの人達と同じく釣れない鮭を夢に見ながら、毎日毎日宝くじの当たるのを夢に見て釣りをするのです。「いつかきっと釣れる」時々はシーラントラウトが釣れるのだが目的の鮭が釣れない。
潮と時間と天気と川の濁りが一致しないとなかなか釣れないのです。今日は良いぞと思うと山側で雨が降り河口は濁流になってしまい釣りにはなりません。仕方なくキャンプ場に帰ると釣れないためか皆挨拶もしない。
  今ニュージーランド南島は観光客で溢れ観光客が我が物顔で歩きまわるため、一般人の生活を脅かしています、観光客目当ての商売が多くはびこり元々そこに生活している人達に影響を与えています、まず物価が上がり一般人が暮らし辛くなる。
釣り場も同じです、今まで地元民の遊び場だった釣り場がよそ者に荒らされ地元民と摩擦が起こるのです。
今ニュージーランドで一番人種差別のひどいのはクライストチャーチです。この町は観光の町といっても良いくらいの町でありものすごい金が観光で落ちていますが誰の懐に入っているかは不明です。一般人には観光は関係なく我々外国人も南島を旅するとき触れ合うのは観光客目当ての商売人が主です。釣り旅行のように地元民中に入り観光客が動かない時間帯に行動する旅では本来の南島の人達と触れ合う事が出来るように思います。このたびの鮭釣りもそういった旅でしょう。
  人々の目が白々しいのです、皆が何故か避けるのです。何時も釣りをしに釣り場に行く私達は他のつり人と出会うと挨拶代わりの釣りの話しなどするのが普通ですがこの釣り場の人達のほとんどが白々しい。釣り道具屋の親父だけは別で、後何人かは声をかけてくれるのだがその他は知らん顔をしている、こんな釣り場は初めてである。
この釣り場で2ヶ月近く釣りをしていたのだが、夜明け前に起き河口へ向かって歩いていると後ろから4輪バイクで多くのつり人が追い越していく。釣り場に着いた頃はすでにつり人で一杯になっており、挨拶をして空いている所に入るのだが釣り人は知らん顔をしている。そして毎日毎日夜明けと夕暮れ時に釣りをする。何回も何回も投げては巻き取り、投げては巻き取る、何でこんな事をしているのか?と自己嫌悪になるぐらい単純な釣りで今にも投げ出しそうになる。河口の両サイドにあわせて合計100人近くつり人が集まっているのか?総てのつり人が投げては巻き取り、投げては巻き取っている。ゲーム性など無い、誰かがいつか宝くじに当たるのを待っているようなものである。よくもこんなに馬鹿が集まったものだと思いながらその中の一人の馬鹿である私も毎日毎日投げては巻き、投げては巻く。頭の中ではこんな馬鹿な釣りをしていても仕方が無いと思い一匹釣れたら他の釣りに行くと決め、投げては巻き、投げては巻く。これが腹が立つぐらい釣れない、鮭がいないのかというと目の前にいるのだ。イルカのように目の前でひれを見せ泳いでいる、時々ジャンプもする。その鮭にめがけてルアーを投げるのだが鮭は釣れない。
それでは鮭は釣れないか?というとたまに誰かが釣る。
誰かが釣るから腹が立ち「よし自分も釣ってやるぞ」となる。又投げては巻き取り、投げては巻く。「何て馬鹿な釣りだ」これでは釣り人は愛想良くならないわけである。
  結果からいうともう一匹鮭を掛けたのである。二匹目の鮭は岸まで寄せ釣り上げたのだが、その岸は30センチぐらいの高さの段になっており大きな鮭を30センチの高さに引き上げる事が出来ない、釣り糸が切れるかもしれない取り込む網もないしギャフも無い。そこで愛妻に岸に横たわる死んだような鮭を岸の上に手で投げ上げるように頼む、私は竿を操作しているので鮭には近寄れない。愛妻はもうすでに鮭が釣れたと喜び岸に横たわる鮭に走り寄り手づかみしようと川に急いで入ったため、今まで横たわっていた鮭はその物音に驚き突然ジャンプして針を外し、一瞬の間に川の真中まで泳ぎ去りそこで一回お礼のジャンプをして消えて行ったのだ、我々二人は気が抜けたようにボーッとその場で鮭の消えた方向をみ続けていた。「鮭も死んだ振りする、だまされてしまった、鮭の勝ちだ。」
  しかし怒れなかった、二ヶ月で二匹目の鮭を逃がしたのになんとなく満足であった。あの鮭のギンピカの大きな美しい魚体を目の当りに見て満足であった、あの魚を殺して食べるよりは元の川に逃げ帰った方が何と無くほっとした気持ちだった。ここまで単純な鮭釣りを毎日毎日続けられたのはあの鮭の美しさのせいではないだろうか。鮭は海で満ち潮を待ち河口から川に入ってくる、河口で個体差は有るが海水から真水に体を慣らし川の流れを道しるべにして上流へと産卵遡上する、少し上っては流れのゆるい場所で休み又、上流へ上流へと上って行く。
たまに鮭は道を誤り浅瀬に出会う時その浅瀬を体の総てを水上に出し飛沫を上げ必死に川を上る。その美しさは言い表せ無いほど美しく、太陽光線に照らしだされダンス場のミラクルボールが激しくギラギラと輝くように、鮭が浅瀬を上る美しい姿は、生命の躍動美を感じさせる」、釣りの嫌いな人でもあの美しさにきっと魅かれると思う。その鮭が遡上する様を見に行くだけでも価値があるように思う。
  このような美しい天然の鮭を釣りたいがために、つり人の冷たい視線と単純な釣りに二ヶ月近くも耐えられたのだと思う。
おかげで体重も少し減ったみたいだ、毎日一緒に行動した犬もスマートになった。殺伐とした川原を二ヶ月近く夜明けと夕暮れ、時には昼間、川原に咲き乱れる黄色いルピンの間を何時間も歩き回り釣れない釣りをする。川は乳牛牧場の公害で汚れ天候は激しく変化する厳しい自然、まるで刑務所で釣りをしているみたいなところであった。「又、行くか?」と聞かれたらしばらく考えてからでないと返事が出来ないところであった。
  釣り場のキャンプ場で聞いたラジオの話し。ニュージーランド南島の少学校のクラスの生徒全員にオーストラリアについて作文を書かした時、多くの生徒がオーストラリア人は嫌いだと書いてあったらしい。イギリス人がフランス人を嫌いな様にこの国も何故かオーストラリア人が嫌いな人が多い。よくオーストラリア人の話をすると左手の手首を出し右手の指二本で手首を叩く真似をする。「俺はこれではない」といい流民では無いぞとジェスチャーを示す。
少学校の生徒たちもそれとなく偏見を持っているのだ。この小学生に先生がオーストラリアに行った事のある人は手を挙げなさいと言うと、子供たちのほとんどはオーストラリアに行ったことが無いことが判明した。偏見というのはこういうもので行った事も無いオーストラリアの人を多くの子供が嫌いだと思い込んでいる。国民の少ないニュージーランドの南島の又田舎では、ほとんど人に触れ合う事無く暮らしているため、どこからか噂話が真しとやかに流れて行き其れが偏見に変る。
多分我々の行った釣り場もこのような偏見で白い目で見られたのだと思う。
  


  *  猫のイチゴ
  釣りやセーリングに出かける我々は、犬とは一緒に出かけるのだが猫のイチゴは家に留守番で置いていく。
彼女は子猫の時から夜は外で寝る事にしてあり、夜行性の猫は昼間は家の中や庭のどこかに寝ており天候の良い日を見計らい夜はハンティングに出かける。我が家は広さ2エーカー近くの土地の丘の中腹に建っており庭の手入れを最小限にするため花畑にしてある。したがって春訪れる来客には美しい花畑が見られるのだが、夏に訪れると「草原の我が家」となってしまう。この庭にはウサギやキジ、ネズミや小鳥、虫、などイッパイいるので、猫のイチゴのハンティング場所となっている。
  美味しい魚が獲れたときは喜んで食べるが古い魚やまずい缶詰はいらないとゴロッと寝転び、ボディーランゲージで態度を表し食べない時には一週間も餌を食べない時がある、それでは餌は食べないか?というと、雨が降りそうなときにはガツガツと餌を食べもっとくれと要求する。このときは良く食べるのだそしてゴロット寝てしまう。だから猫のイチゴは普段は自分でハンティングして何かを食べているのだ。子供の頃から夜外に出しているのが猫にとって良いのだと思う。夜猫を外に出すと言うと何故か冷たいように聞こえるが、これは知り合いのドイツ人が自分の猫を夜外に出していたので我々も真似をしている。
猫は本来夜行性であるため夜外に出て行動する事が普通である。雨の日も外に出、猫の雨宿りするところは一杯あるので心配なく外jに出す。時には家の中で寝ていたい時もある様なのでそのまま寝かしておくと夜中には自分からベットルームに来て我々を起こし外に出してくれと言う。朝には必ずドアーの外で餌をくれと待っている、餌をやるとたいして食べない時もあるが飼い猫であることをみずから主張するようだ。
  こんな猫なのでセーリングや釣り旅行の時は乾燥フードを一杯洗面器に入れ置いておく。1ヶ月2ヶ月ぐらいになるとさすがの我々も心配するのだが家に帰ると猫のイチゴは丸々と太っている。家の食事より外食の方が旨い物を食べているようだ。食い物には不自由しないのだが愛情に餓えて居るみたい、よく餌をねだり少し食べては外に出かけ又直ぐに家に入りたがり、餌をねだる。これを繰り返す、けして多くは食べず飼い主が餌をくれることを要求するみたいだ。
  雨の日ガツガツ多くエサを食べる様子から見ると猫はかなりの量を食べているように見受けられる。夏の夜は虫を取ったり蝉も食べる、犬も蝉は自分で捕まえて食べることがある。猫の大好物はウサギの子供である。ウサギは敷地の入り口付近に住んでおり時々見かける春にはそのウサギの子供が生まれるので猫のイチゴはウサギの隠れ家で化身の術を使うが如くじっとウサギが顔を出すのを待ち受けている。獲物を獲ると直ぐには食べずになぶり殺しにしてしばらくそこらに置いておく。
その後改めて食事の時間として食べる。時々、家の窓に鳥がぶつかることが有るのだがその時走って猫は見に行くけど、窓にぶつかりバタバタしている鳥には余り興味を示さない。ハンティングして自分で獲るのが好きなようだ。
月夜の夜など昼間は家出グウグウ寝ていて、夜になると必ず少し餌を食べハンティングに行く、このときは腹一杯食べずに少しだけ食べるのがイチゴの癖である。猫の習性なのか時々獲物を獲っては飼い主に見せに来る。わざと目の付くところに獲物を置いておく。この間何時だったか?キジのメスが丸ごと置いてあった、そのキジは獲ったばかりのまだ生暖かい旨そうな丸々太った鳥で愛妻と二人で相談して「これを料理して食べようではないか」と毛をめくり腹を出し冷蔵庫に一晩置いてローストにして食べてしまった。猫の獲物を横取りしてしまったのだ。猫のイチゴもケロッとしたものでイチゴのキジを食べても何も怒る事もしないで少しローストの残りを猫にやると食べたくないと知らん顔をしている。猫は獲物のキジを食べないのかと思った。それからしばらくして又キジを獲ってガレージの前においてあった、今度は我々もイチゴの獲物を盗らずにそのまま置いておいた所次の日ガレージの前を羽だらけにしてそのキジを食い散らかしてあった、食い散らかしたキジの羽が風に煽られ飛び散り後片付けが大変であった。
  このキジが卵を草むらに産みつける。4個ぐらい草むらに巣の形を造り産み付ける、これを猫のイチゴはよく知っており卵が孵って雛になりヨチヨチ歩けるようになるとキジの巣より盗りに行く。キジの親が雛を引きつれ隠れ家を変えるように逃げ回っている。このシーズンになると毎日キジの親子を見かけるが四匹ヒヨコを連れていたと思うと次の日には三匹になり又次の日には二匹になっているイチゴが食べたのだ。最後には親鳥だけが逃げ回っていてこの親鳥もいつかはイチゴの餌になってしまうのだろう。
イチゴに前回はメスのキジだったので余り旨くはなく、今度はオスのキジを取ってくるように頼んで有る、オスのキジはシッポの羽で擬似針を作るのに使えるし肉も多分メスより味があるのではないかと思う。キジの肉は柔らかすぎて余り旨くは無いがきっとオスの肉はもっと旨いと思う、猫がオスのキジを捕まえるのは素早くて難しいのか?いまだに獲ってこない。
  与えた餌を食べようと自分で獲ろうと飼い猫には変わりなく、昼間は膝の上に座ってきて寝込んだり自分の椅子にタオルが敷いてあり猫の寝るところと知っておりそこで寝ている。テレビを掛けると椅子に寝ていてもテレビのそばに来て膝の上で寝る。私が食事をして居ると横で食べ終わるのを待ち膝の上に座る、良く分かるものだと感心する。
テレビを消すともう主人たちは寝るということを知っておりすぐさま外に出されると感じとり椅子のしたに隠れる。時々家の中にいたい時にはス~ッとどこかに隠れるそのまま忘れていると夜中にべットルームのドアーをカリカリとこすり、我々を起こす、外に出してくれという合図である。うちにはキャットドアーが無いので猫が外に出たい時はドアーの前に猫が行き正座する、それを合図にドアーを開けてやり雨が降っていたりすると嫌だ~とばかりゴロンと寝転び出て行かない。猫は寒がりで犬と一緒に寝れば良いと思い同時に飼ったのだが、一緒に寝ず犬は犬小屋に入らずガレージが気に入っており猫は膝枕で寝ている。
時々猫と犬は挨拶をするが余り仲良くなくやきもちを犬の方が焼き猫をいじめる。喧嘩をすると猫の方が強いが、犬も猫も歳を取りおとなしくなってきた、いつか別れる時が来ると思うと悲しくなってくる。犬は面倒が猫より掛かるため別れが悲しくてもう二度と犬を飼えないとよく人から聞く、早めに犬をもう一匹飼う人もいるが我々はこれが最後の犬にしようと思っている。犬と別れたら今まで犬が入れなかった釣り場を釣り歩きたいと今は思っている。


  *  我が愛妻
  身寄りのいない外国の地で二人だけで生きていると、お互いに頼れるのは「あんたしかいない」となるのだが,夫婦喧嘩などするともう知らない日本へ帰れとなってしまう。釣りなど一緒に行って居るとよくうらやましがられるのだが、実際は、女性は釣りなど基本的に合わないないらしく釣りたい一心で魚を釣る(得る)事だけを望む、魚釣りというのは魚も釣るが漁師でも無いので楽しむという事を意識しなければ行けないのだが、女性はこれだけ旅費が掛かったので獲らなければければ損だと思ってしまい結果的に釣りたい釣りたいとなる。おまけにうちの愛妻は私より釣るのだと張り合ってくる。張り合うのはいいが自分が釣れないとブウブウ言い出す,挙句の果ては釣り場で夫婦喧嘩である。
テニスも同じなのである私に勝たないと機嫌が悪い男と女の違いが有るのに何時も負けるのは嫌だとごて始める、それではクラブの人達と打とうと参加すると今度は旨く打てなくなりこちらに八つ当たりが来る、そこで又喧嘩。
二人しかいないので何でも二人で解決して行かなければ行けない。ストレスの発散も同じであり直ぐに口げんかが始まる。
時々それが原因で大喧嘩に繋がる、最後には別れよう日本へ帰れとなってしまう。二人ともいまさら日本に帰っても居場所が無い人達であり、ニュージーランドの気楽な生活が身についた今では日本の厳しい生活の中に又入るという事を考えるだけでここに居た方が言いと思い直す。愛妻は日本語で意味も無いつまらない話をお菓子でも食べながらダベリたいが相手が居ないことにストレスを感じている。日本語を話す人と会っても初めは良いのだが直ぐに価値観が違い話が食い違って来てしまう。英語人種でも同じ事が起こる。旅に出るかスポーツクラブにいくのが良いと思う。そこにはお互いに共通の趣味や目新しさがある。そして少ししたら自分の家に帰り自分の世界が確保できる。それでも夫婦喧嘩になった時には、「日本に帰れ」である。日本が嫌でこの国で生活しているのだから、帰る所はもう無いのに日本に帰れと喧嘩をしてしまう。きっと心の中に故郷があるのだろう。我々も何度か別かれようと思ったことが実際にある。今は幸せな生活をしていて時間を持て余しているのでつまらない事で夫婦喧嘩が始まるが、昔を思い出すと何度も死ぬ思いをした夫婦である事を思い出す。
  若かった頃は子宮の卵巣と睾丸の精巣が呼び求め合い一緒に暮らすようになったが、思い返すと世界を夫婦で貧乏旅行して何べんも怖い思い大変な生活をした思い出もある。日本に帰ってからも生活のため寝る時間を割いて商売をした思い出もある。商売をやめ未知の海の世界へと挑戦した日々こんな時は二人とも一生懸命がんばったからできたのだと思い出す。家も二人で建てたじゃないか。我々夫婦は自分たちで道を切り開きここまで来たのを、今では幸せに暮らしているので忘れてしまっている。あんなに求めていた幸せな生活を手に入れたのに幸せすぎて退屈をしている。夫婦喧嘩をするたびに思うことだがこのまま二人が別れてどんな新しい生活が出来るか?。「きっと」同じような人と一緒になって又大変な生活をすることになるだろう。昔から「割れ鍋に閉じ蓋」という通り自分を鏡で見てみるとわかると思うが、お互いに年を取り大器晩成と待ち望んできたが今でも大器は開きそうにないそして少し先が見えてきたように思う歳になり、今から星の王子様やお姫様がやってくるわけが無いでは無いか。
若い頃は夫婦と呼ぶのも良いがこちらではよく奥さんのことをパートナーと表現する。「共に人生を生きる相手」こんな表現もいい呼び方ではないかと思う。お互いに歳をとり本能的な行為で結ばれなくなってきて肩書きだけの夫婦と呼ぶより人生を一緒に生きるパートナーという呼び名に引かれる。今日本では旦那が退職したと同時に離婚する夫婦が多いと聞く。結婚して子供を育て退職金を手にしたときこれから新しく人生をやり直すために羽ばたきたいと思うのだろうが、もう羽ばたきたくても羽が動かない年になってきてどうして飛べるのだろう?。たぶん地上に墜落して激突するのが落ちだろうそしてハンバーガーのようにひき肉になりペチャンコになってしまう。
退職金を貰うまで羽ばたけないような鳥は退職金を貰っても飛べず自分で飛べる鳥はすでに飛んで居るとおもう。
多分こういう人は庭の片隅で餌を貰う鶏のようなものであろう。
  我々夫婦も男と女という性は変らないがパートナーと呼ぶような人間同士の共に生きる間柄になった今共にボケるまで協力して生きて行きたいものだ。外国の地で、片方がトーストを食べたいといえば、「ハイ、ハイ」と答え、片方がスパゲティーを持ってきて、御礼を言ったおじいさんが、私は確かアイスクリームをおばあさんに頼んだはずだがね~。こんな関係になるまで人生を生きれるかな~と考える。
  この国は、子供が一人前になると独立して老人夫妻は自分たちの人生を生きる。クリスマスや誕生日だけ一緒に食事をする習慣である。独立した子供が何か困って親と一時的に住んでいる事は有るが、成人した親子は別々に暮らすのが一般的である。年寄りたちも気楽に自分の人生を生きる方が良いと自立して生きている。
そのせいか、年寄りが元気な事、自分たちで総てをこなすため甘える事が出来ないためか?元気である。
生き生きとしている、日本のように老人といった雰囲気が無いといっても良い、老人ではなく年老いた人といった感じである。
同じように聞こえるかもしれないが私が言う老人というのは「年寄りだからかばってくれ」と言った甘えが日本にはあるような気がする。こちらの年寄は「歳をとったがまだ若いものには負けないぞ」と言った甘えの無い気迫がある、たとえ甘えたところで誰もかばってはくれない。これがこちらの年寄りだ。80歳になっても車を自分で運転してスーパーに買い物に行く婆さんもいる。これには驚く、多くの年寄りは65歳ぐらいになって年金が入ると今まであった金を一度に使い、世界旅行に行ったり国中を旅行したりしばらく過し今度は小さなリタイヤホームを買いそこに年金で質素に暮らす。こちらもたいがい男は早く死に婆さんばかりが目に付く。今の婆さんは金持ちが多いのか皺だらけの顔に化粧をして赤い口紅をつけぴかぴかの新車を乗り回しスーパーに買い物に行く。旦那がいた頃は退職したら世界旅行を二人でしようと約束したのに、退職したとたん旦那はコロッと逝ってしまい、そんな婆さんばかりが派手なスコート着てテニスをやっている。年寄りのテニスクラブに参加して我々も横目でこんな老人になって行くのだと先輩を見ている。これからの世の中は世界中婆さんばかりの世の中になると思うと想像するだけで「ぞ~っ」と寒気がする。「私は適当に死んでいこうかな。」
  我が愛妻のことだが、彼女はニュージーランドに住んで一番大変そうなのは毎年春になるヘイヒーバーである。自然が多く牧場が多いせいか毎年春になると花粉症で鼻をかんでばかりいる。私は鈍感なせいか花粉症にはかからず助かるが春になると鼻紙の山が彼女の周りに咲く。そのくせ庭には花を一面に咲かせマスクをして花壇の手入れをしている。
愛妻の自分の体験から発見した意見では,蜂に刺されると花粉症が和らぐ事である。花粉症が激しくなると口癖のように「蜂に刺されたら治るのに」と言っている、蜂にはけして刺されたくはないのに刺されたら花粉症が治ると思っている。
この間洗濯物を片付けている時洗濯ものに蜂が止まっており、知らずに蜂を掴んでしまい突然「痛い」と大声を張りあげる。愛妻は蜂に刺されたのだ私は「大丈夫か?」と言う代わりに、「おめでとう」と声をかける。念願の蜂に刺されたのだこれで今シーズンは花粉症で苦しむ事はなくなった。愛妻は蜂に刺された手を見せ盛んに痛いと見せるが半分は喜んでいる「変態みたいなものだ、サゾマゾのようなものだ」。これで花粉症は治ったか?と言うと蜂に刺されるのがすくなかったのか翌日も鼻をかんでいる。「もう少し蜂毒が必要だね」私が横からからかう。春には蜂が飛び回っているので刺されるチャンスはあるのだが蜂もやたらには刺さない、間違って掴んでしまうとか蜂の巣を知らずに近寄ったり触れたりすると蜂が怒り飛び出してくる。それ以外は蜂が体に止まっても又飛んで行きやたら刺すものでは無い。この土地に住み始めたときにはもっと蜂に刺されたものだが、田舎育ちのくせに愛妻は蜂の痛さを知らないらしく子供の頃も刺された経験がないと蜂を怖がらない。私が蜂に刺されると痛いのだと教えてもわからないらしく平気で草むらに入る。あるとき蜂に刺され刺された箇所が腫れ上がり熱がでる。
これを機会に蜂に刺されると大変痛いことを知りおまけに花粉症が治ることを偶然に発見する「怪我の功名」であった。


  


   *  移住について
  ニュージーランドに住んで見たいと考えている人のために、移住するため参考となることを書いて見ます。
まず一番大事な事は永住権をとることと思われる。これについては、日本のニュージーランド大使館に行き案内所を貰うことから始めて下さい。ニュージーランドの現地に来て永住権を取ろうとする人が居ますが、日本国内で申請取得する方が簡単で確実だと思います。現地に来て申請する人の話を良く聞きますがなかなか取れないのが現実です。
ニュージーランドの現地には、自称弁護士と言う詐欺師まがいのシャークや追いはぎが獲物が現れるのを大勢待っています。
弁護士と語っていますがほとんどは法律の学校を出ただけの人であり本物の弁護士は少ないと思われます。
この国では大学の法科を卒業すると弁護士と名乗ります。
何もわからない人にニュージーランドに住む権利を取ってあげると言う甘い言葉で多額の金を巻き上げています。
大使館で自分で申請すると数万円の(若い国ですので、条件がころころと変り、申請金額も変ります)手数料で済みます。
こちらの自称弁護士を使いますと100万円から2~300万円ぐらいは取られます。現地でも日本からも同じ条件で申請できます。ニュージーランド国内で申請すると結果が出るまではこの国に滞在できる事になっています。自称弁護士は自分の力でさも長期滞在が出来るかのように見せその間金を請求し続けます。
  ニュージーランド政府は公平に審査をしますから自称弁護士を使っても同じ事でしよう。許可は点数制になっており、それを満たした時点で毎年高い点順に何人か?取れると思われます。このとき一番点数を取れるのは、言葉(英語が話せるか)、年齢(45歳までは良い点数)、学歴、技術、職歴(事業の種類)などが重要なポイントだと思います。これにあてはまる人ならば誰でも永住権を取ることが出来るようです。自称弁護士を使っても同じです。引き延ばす事は出来ても永住権は取れません。永住権を取ってやるといわれ多額の金を取られ永住権がとれずに多くの人が自称弁護士と揉めています。
自称弁護士に金を払っても先に書いたポイントを取れないため、語学学校に通う許可ぐらいしか取ることが出来ません。
  では如何したら永住権が取れるのか。
まず簡単なのはこの国の人と結婚する事です。ニュージーランドにいる人ではなくニュージーランド国民と結婚する事です。
これは独身ならば誰でも出来る事です、もし結婚している人であれば離婚してこちらの人と結婚するこれも一つのテクニックかも知れません。これは男性でも女性でも可能です。この国は今人気があり結婚して移住したい人が多くこのような人を対象に結婚詐欺師が待ち受けているのも事実です気をつけてください。
  この国で子供を生むと自動的に子供は国民となる権利があります。それを目当てに日本から子供を産みにわざわざやってくる人もいます。この国に来る旅行者は国内での医療はタダですのでそれを利用して子供を産みに来るのです。
日本で生むと出産費用が高いためか旅行がてら子供を産みに来ます、自分の子供を他国民の税金で運営する病院で子供を産むことが国内で問題になっています。他国民の税金を盗みに来ると国民が怒っています。
  この国でリタイヤの永住を考えている人には永住権を取る事は勧めません。45歳以上で言葉が不自由な人では申請しても3億ぐらい?の現金を持ってこないと永住権は取れません。そこで、日本人は3ヶ月の滞在ビザは必要ありませんので、
永住権など取らずに三ヶ月に一回日本に里帰りをすることを考えた方が安上がりで何かと日本の物が必要となり買い物にも行く事が出来ます。この国は今銀行金利が7%ぐらいですので、銀行貯金をしておくと利子で日本へ里帰りする飛行機代が出ます。金額にも寄りますが生活費も出るでしょう。3億もの金を持ってこの国の永住権を取る必要はないと思います。二年間に一年間この国に居る事が出来ます。この意味は6ヶ月間は毎年居る事が出来るのです。(時々条件が変りますので調べる事が重要となります)
このようなアメリカ人やイギリス人が大勢移住してきています。これからもっと増えるでしょう。リタイヤしてノンビリ暮らそうと思う人達が増えています。リタイヤした人達が永住権を取る事は難しくこの国は若い人が欲しいので年寄りはお金でも持ってきて暮らすしか手が無いと思います。
  この国は、65歳になると年金がもらえるシステムになっています(将来変るかもしれない)
そして45歳までの人が永住権をとることが有利になっています。病院がタダですので若い国民に税金を払って欲しいのです。リタイヤした人達を多く入れると医療費が多くかかり税金が取れずに国が困るため自分で自分の面倒を見れる人、すなわち多くのお金を持ってこれる人以外は永住権を与えない事になっている。
  次は、この国が欲しがっている技術者(この国でその時代に不足している、英語が話せる、55歳までの技術者)
最近は又技術者がたらないと各方面の技術者が移住の対象となっている。この人達は決して本国より給料が高いわけではなく、かえって安いぐらいなのにこの国のノンビリ豊かな生活や空間を求め移住してくる人が多い。
この国は人気が高く申請しても6ヶ月ぐらいは待たされるそうです。
  もう一つは、ビジネス移民。この国で新しくビジネスを開く人のために永住権を与えています。資本を持ち込みこの国に定住する。ビジネスをするための資本となる金額2億位(これはビジネスによる)生活に必要な家などを買う資金を持ってくるのを条件に永住権が取れます。このとき、総てに金の出所を調べられますので日本国内で税金を納め正当に稼いだ金である納税証明書が必要です。それに移住者は犯罪暦が無いことが条件です。
  したがって今この国に住んでいる我々は、昔税金を日本に納め犯罪暦が無い人間であるという事です。
先ほども言いましたが自称弁護士にスケベ心を起こして頼んでもらってもけして永住権は取れません。金を取られるだけです。自称弁護士はお客から金を貰うのが目的でありお客のビザを取るのが目的ではありません。この国では修理が出来なくても修理屋に頼んだらお金を請求されます頼んだ人が悪いのです。ニュージーランド政府は、資格ポイントが取れた人だけに永住権を与えてくれますからどうしても取りたい人は日本国内のニュージーランド大使館に行き申請することを勧めます。日本語も通じますので簡単に手続きする事が出来るでしょう。

 *  狩猟民族の子孫
  ニュージーランドで生活をしていて感じる事は、「我々農耕民族の血を引く日本人とは違う」と言う当たり前の感覚を知らされる。この国は白人の国と言っても良いくらい、10%のマオリ人とアイランダー、わずかなアジア人、その他少々を除いて総て白人である。
地主はマオリ人であり政府に土地を貸している形をとっている。現実の国を動かす力は白人がコントロールしている為総てに対して白人の狩猟民族としての血が流れているように思われる。
獲物を見つけるとそっと忍び寄り、「ドン」と撃ち獲物を獲る。この様な考え方が総ての行動の中にこの血が流れているように思う。良い言葉で表現すると自分の幸せ、自分のメリットを真っ先に考える。悪く言うと自分勝手、利己主義とでも言うべきか?、
それだけ純粋と言えばいいのか?先ず先に自分の利益を考える。当たり前の自分が徳に成る事以外は「知らない」と成ってしまう。自分にとって徳だと思うとそっと忍び寄り猫なで声で自分の獲物を狙う。もし逃がしてしまってもあっさりしたもので又「次の獲物を探す」的考えで「逃げた者は仕方がない」といった考えになりあっさりした者である。
人間誰でも自分の幸せ、徳になることのために努力したり考えたりするのが当たり前の事であり、日本の様にその考えを前面に押し出さずに回りくどく最終的に自分が徳することに努力するといった考えでは無く、もっと直接的にあからさまに表す。
農耕民族の子孫として生まれ育ってきた我々がこの考えを受け入れるのは頭の中で相手を「このような人達なんだ」と思い込ませ納得させなければ理解できない。非常にシンプルに自分の幸せ、徳になることを考えているだけなのだが我々の回りくどく自分の幸せや徳になることをオブラートに包みながら「そこを上手くやって行く」的回りくどい自分の幸せや徳を望むのではなく、直接徳に成るならやるといった考えを表に現す。
例えば、相手が金を持っていると思えば急に優しくなったり、その金が自分におこぼれとして回ってこないと解るとコロッと態度が変り今まで優しかった人が「貴方は誰だ」ぐらいに変ってしまうのが日常的である。
ましてこの国は白人社会の貧乏人たちが(我々も含めて)幸せな豊かな生活を求め本国から移民してきた子孫で有るが為、
自分がこの国で成功する為、幸せな生活をする為、人のことなどかまっている余裕など無い人が多く、いかに自分が誰よりも豊かになれるか位の考えをベースに生きてきているように思う。だから率直であり単純に自分の徳を求めるようだ。
日本のように長い歴史があり、すでに勢力図が出来上がっており、無事にこの自分のポジションを守り続けて居れば安泰と言う国や国民ではなく、
如何すれば自分が成功してゆくか?と考える人々であり「人のことなどかまっているわけには行かない」と言う考え方がベースにあると思われる。
この考え方を一旦理解してしまうと(なかなか出来ないのだが)純粋に自分のことだけ考えていれば良く、他人に迷惑を掛けなければ本当に自由に生きてゆくことの出来る国と思う。日本の様にモラルに縛られる事がなく、みんなと上手くまとまって上手く生きてゆく的考えを持たずに済み、自由に勝手にやってくれといったような世界である。
これが又日本人の慣れていない世界であり縛られるのが嫌な癖に縛られて干渉されていないと如何して良いのか解らない。
適当に制限され、甘やかされている生活に慣れ親しんでいる我々日本人は「自由に勝手にやってくれ」と言われても何をどうやってよいのか?解らないのが現実である。そこで直ぐに他人に聞いてしまう為、聞かれた人は自分の得になるように教えるので甘えの構造がある日本人は直ぐに「騙された」と思ってしまう。
如何に自分が農耕民族の血を引き、群れて生き、甘えて生き、人を頼って生きているか?と言うことを思い知らされる。
こちらの人のように、自分で獲物を見つけそっと獲物に近寄りその獲物を倒す、こんな生き方の中にいると、集団となって一つの獲物を追い求めれば各自の獲物の配分が少なく、自然と独立して獲物を求めさ迷い歩くといった生活様式とならざるを得ないことが理解できてくる。
我々も自分の甘さをつくづくと改めなければこの国で生きて行けないことを実感する。そう決心すると親切な例外的な人達が身近に現れ、我々は又その親切に甘えてしまい先程の決心が揺らぐ。何とか強く生きなければいけないと思う。
これが今の我々の課題である。

Saturday, November 12, 2005

 

リタイヤ後のヨットライフ、自然と共に過す



          ハーモニー ウイズ ネーチャー  構想
我々夫婦の歩いてきた人生の足跡・・・・・・
  1970年頃,二人はなぜか知り合い世界を見て見たい、と、意気投合して結婚する。金も無かった若い頃に世界を見て回る方法はタダ一つ、背中に荷物を担ぎ、安宿に泊まり、道端の露天で食事をする。こんな旅行をするしかなく今で言うバックパッカーである。今のバックパッカーの方がよほど豊かなのだが、今から考えると波乱万丈の旅だったと思う。若さで出来たな~と思い出す。この世界放浪を4年とちょっと続け日本に帰り着く。一度日本社会を飛び出した我々夫婦は、並みの事では社会復帰が出来るものではなく、放浪生活で覚えた飲食業と我々の形だけの仲人をやっていただいたご夫婦の助けで、飲食店を開業する。お店は初めの一年は苦しく、一般のお客様との考えの違いから経営の方は今いちであったが、以前の世界放浪が役に立ち若いお客の心を掴む。やがてお店は繁盛してゆとりが出来るが仕事に追われ働くだけの毎日となる。以前のように、アノ手コノ手でお客を獲得する面白さが無くなってしまう。一旦繁盛した店はよい評判だけが一人歩きをして、金は儲かるが、今まであったお客との心のつながり見たいなものが薄れてくる。我々の体も労働だけで疲れきりフィーリング的にもうそろそろ止めようかという気持ちになってくる。お店を始める時の計画として漠然と10年稼いでやめる、と考えていた。人生を生きていくための資金が溜まったらその金を道具として自分の希望する人生を歩こう。こんな格好のよいことをノタマイやめる決心であった。その時期が近づき、イザやめて如何するのかと自分に問いかける。バックパッカーで世界を見て歩いた事はあるので又同じことをするのも考え物であり、今度は自分にとって未知の世界でもある大洋をヨットで渡るという行為に挑戦して見ることにする。お店をお客の一人に売り渡し引継ぎ、取り合えずいつかは住みたい国ニュージーランドに来たのです。この国へはバックパッカーの時も来たしお店をやっているときも釣りに来ている。世界中を回った経験からいつか出来れば住みたいと思う憧れの国であった。この国でヨットを買い求め、1年間セーリングの勉強をして慣れ経験を積み、ニュージーランドからタヒチに向かったのです。ヨットのセーリングは観光地で見るイメージとは違い、一旦海に出ると頼るものは自分達しか無く周りは青い空と濃紺の海、今まで自分の人生で知り、経験し、訓練してきた事を利用して考え自然に立ち向かって行くしかなく、結果的に言うと生きる知恵や生きて行く力を学ぶ世界だった。もう一つ教わった事は、人間は自然の一員として自然と共に逆らわず、闘わず協調して生きて行くものだと教わったような気がする。この頃はまだGPSなど無い時代で、天体を仰ぎ、読み取り、26日間かけてタヒチにたどり着く。このセーリングでは天候が荒れたので船を壊さないように大洋の真中でうろうろセーリングをしていた、結果的には今では考えられないほど時間が掛かったセーリングだった。ヨット仲間の一人に言われた、「誰もいない大洋で2週間以上過すと考え方が変ってくる」この言葉を確認したような気がしたセーリングであった。陸地での生活から起こる雑多な感覚が切り離れ「自然と調和して生きる」を、感じ取った気がする。合計7ヶ月の南太平洋を回るセーリングを終え、無事ニュージーランドに戻り着き陸地を見たとき、タヒチの南の島に初ランドホールした時も感激したが、この時ばかりは感激と感傷で見張り番をしながら涙が流れ落ちるのを味わった。一つの目的をやり遂げたのだ、という気持ちだった。このまま世界を回ろうか?と言う気持ちもあったが、自分にとって最大の課題をやり遂げたことでもあり、この憧れのニュージーランドに永住することに挑戦する。一番の問題点はやはりビザだった。幸いにも我々は、日本で飲食店経営の経験があり、ニュージーランドに住むための資金を持ち込んだので時間は掛かったが無事永住権を獲得する事が出来る。  永住権獲得の条件で今のロッジを営業することに成り、牧場の片隅を買い取りロッジを建てる。このロッジは日本人の小さなグループを対象とした宿で、団体旅行はもうこりごりだと言う少し旅慣れた人達を対象として、金儲けを中心として考えずにもし自分が日本で働いていて疲れ、休みを取って旅行に行きたいと思ったとき、こんな宿が有ったらな~と言う発想で作って見たのです。こんな宿ですので利益など上がるわけが無く、昔日本で働き貯めた資金をやりくりして赤字を埋める次第です。我々は、今の生活を以前日本で働いた金で、今の心豊かな生活を買ったと考えています。15年間ここに住み生活して来た感想としてはこの国に住み着いてよかったと思っています。金儲けは日本の方が良いのだけれど、日本の生活では自分の生活が無かったような気がします。このままこの生活を続けたい気持ちもあるのですが、私も今年で58歳になります,ここで又何か新しい事に挑戦したいとムズムズしてきたのです。そして今、その資金作りのためにこのロッジを売りに出しています。www.prosale.bizインターネットがある時代ですので世界中の人々の中から変った(タッタ一人)の次の経営者を見つけ出すゲームをしているのです。これが我々の現在です。  インターネットで宣伝していて色々な人達と知り合い、考えて行くうちに、このロッジを売らなくても良いのではと考え出して来ました。この話は後で述べるとして、

長年我々も自分の老後を如何にして過そうか?と考えて来ました。今本格的にリタイヤを目標として、このロッジを老後資金として売りに出している現在、売ってしまったら如何して暮らすのだという差し迫った状況に今自分が置かれている事にあせりを感じます、その反面マンネリした今の状態から逃れられる喜びもあり複雑な心境です。我々の計画は、このロッジを売り、又ヨットの世界に戻ろうかと計画しています。新しくカタマランというヨットを造りゆったりと天気に合わせ世界を見て回るのも良いな~と考えているのです。今は昔と違い航海計器も発達しており、天候さえ読んで行けば安全な航海が出来、カタマランはモノハルのヨットに比べ揺れが少なく、速く、現地に着くと居住性の良い、浮かぶ家となり、行く先々で新居として楽しむことが出来る。これが良いと考えついたのですが、人間と言うのは欲望の動物で、直ぐにあれもこれも欲しいと考えてしまうのです。そこで、多くの先輩年寄りを見て考えたのですが、一生働いてきて、リタイヤするとその先は健康に生きるために粗食と運動が大事だと言うことが分かって来ました。と言う事は、リタイヤしても旨いものは食べられないし(旨いものは油、脂、を多く使うのでカロリー、コレステロールが高い)、のんびり休もうと思っても体を動かし続けなければ行けない。生活の場でも若い人に政権を奪われ居場所はなくなるし、邪魔物扱いにされ、金でも使わない限り相手にされない。これが老人の本当の姿ではないでしょうか?。ニュージーランドの老人を見て居ても、ぴかぴかの車に買い替え、外国旅行に行くのが一般的です。私もこのようになるのでは?昔は経済的に高い車も買えなかったからと買い、世界で一番と言ってもよいぐらい美しい国から安上がりで汚い国へ旅行に行き、逃げるように帰ってくる、こんな老人の姿はこっけいに思えるのです。歳を取ると新しい服を着ても似合わないし健康のために始めた運動もやりすぎると年老いた体にはきつすぎ結果として体を壊す羽目となってしまう。「まったく如何して生きればよいのだ」と考えてしまいます。  そこでヨットの生活を考えて見ますと、まず、時間が必要となってきます。リタイヤの方にぴったりです。何かとメンテナンスの仕事があり時間が過せる。セーリング中は頭と体力も使う。ある程度ゆとりのある生活に見える事、セーリングをして世界中を見て回れる、着いた国で浮かぶ家と早代わりする。値段的に計算すると飛行機が一番安いように思われるが、車代や宿代を加えると初めの資金は必要でも将来そのヨットを売却すれば安上がりになると思われる。荷物を持ち歩かなくてもよく、旅をしながらそこに自分の住みかが有って安らげる、疲れた時には観光や運動を休みノンビリと過せる場所がある。我々も若い頃には汚く不衛生な国でも平気で暮らせたが、今ではそんな体の抵抗力がなく、せめて小奇麗なところで寝泊りや健康のため質素な食事を自分で作って食べたいと思うのです。昔は、食べるために働き物を買い求め、豊かになったと感じたものですが、これからは、必要なものだけを買い求め、如何に粗食で生きるかということが要求される時代になってきたと思います。もう一つは、生きて行くために必要な綺麗な水、空気、空間、ストレスの無い静かな環境、安全、このようなことが我々老後に一番必要な豊かさとして要求されるものではないでしょうか。今、陸上では色々な危険が起きています。まだ海の世界はニュースに成るぐらいの数しか問題は起こっていないと言う点、「ノアの箱舟」のように最後に生き残ったのも海に逃げた人達です。この間の津波の時も沖に浮かぶ船は安全でした。何時も問題が起こるのは陸上なのです。

我々の今考えているヨットは、カタマランと呼ぶ双胴艇です。ヨットは大きく2つに分かれて単体艇と双胴艇があります。簡単に言いますと二艘を繋げた船と一艘だけの船なのです。もう一つ大きな違いは、キールと呼ばれる錘が船底についていないのがカタマランです。キールが付いていないので船体が軽く、水中抵抗が少なく速く走ることが出来ます。二つの船体の間をサルーンでつなぎ大きなゆったりしたスペースがあるのが特徴です。二つの船体が足を広げたように踏ん張り揺れを防ぎ乗り心地をよくしています。これがカタマランの特徴です、欠点は二艘分の船を繋いだ形ですので、値段が高く成る事です。しかし長期のセーリングと浮かぶ家と考えるとこのゆったりしたスペースは最高のものとなるでしょう。ヨットで世界を回ることを仮定しますと、実際の海を渡る日にちと言うのは意外と短いものです。目的国に着き泊まって過す時間がほとんどと言ってもよいのです。移動可能な浮かぶ家と考えた方がよいと思います。今も昔も、多くのヨットが単体艇を占めますが、情報がなかった頃の恐れから頑丈な単体艇が多く造られてきたのだと思います。ほかにも理由は有りますが値段も大きく関係します。もしこのカタマランを造る費用が出せるなら、居心地のよい安全なクルージングに適したヨットを造ることが出来るのです。この船には6人から8人寝泊り出来ます。浮かぶホテルといってもよいでしょう。もしこのロッジが売れたらこの船を造る予定で居ます。
しかしまだ陸の生活も捨て切れません。春には一面花が咲き乱れ果物の木にはレモンがたわわに実りアボガドも食べきれないほど取れます。畑には春の菜っ葉が育ち、蕗の若い茎を取り食べます。何と豊かな生活でしょうか?ワラビもたくさん採れます。野生のイチゴは一杯あります。鶏や羊も以前は飼っていましたが、我々二人では面倒を見るのも食べるのも多くて困るので止めています。私の趣味は釣りですが「狂の字」が付きますので食べる魚は海や川から獲ります。散歩の途中ではきのこや山菜も採ることが出来るので畑では余り多くは作っていません。米や小麦粉など穀物はスーパーで買い求め、健康のための運動として余暇をテニスで過しています。最近は飼い犬のセーラーも歳を取り激しい運動が出来ないので約2エーカーある敷地内に散歩道を造り犬の散歩をします、散歩道と言っても一見山道のようで犬もかくれんぼを楽しみながら運動をしているのです。天気の良い日には海に釣りに行き鯛など採って新鮮な魚を楽しんでいます。新鮮な海や川魚を多く獲ってくるので内の猫イチゴは魚の味にうるさく、まずい魚を釣ってきて食べさすと餌の前にチョコンと座りウンともスンともいわず飼い主の顔を見てこの魚を猫の私に食べろと言うの、そんな顔をして食べようともしないのです。そんな日頃のイチゴも今年の冬には恒例の鱒釣りに出かけなかったので、魚に餓えており、缶詰のキャットフードに人間用イワシのカンズメを少し混ぜ与えるとガツガツ食べます。イチゴの好物です。
こんな生活も続けたいし、新しい生活もやって見たいと欲深いのですが、可能なら総てを取りたいし世界中の国を訪れても見たい。ニュージーランド中を釣り竿を担ぎ旅をしたい。ご存知のようにニュージーランドは釣り天国なのです。世界中の釣りキチが一度は釣りに来たいという国です。安全で手軽に釣り場に行け魚が釣れます。日本でも我々はよく釣りに出掛けました、山の中まで歩き釣りをしても魚がいません、魚より釣り人が多く総て釣られてしまったかのようです。お店をやっているときにはアラスカまで釣りに行きました。さすがにアラスカです魚が一杯いました。でも釣り場に行くには飛行機で行き、軽飛行機に乗り換え、ガイドの船で釣り場にたどり着き、ガイドがライフルを持ち熊を見張りながら釣りをするのです。これでは気軽に釣りをするなど出来ませんし大金もかかります。ニュージーランドでは車で簡単に行けますし、魚も多くいます。釣りの腕は必要ですが初心者でも釣れます。

ニュージーランド国内の釣りはこの車でキャラバンを引いて行きます。キャンプ場を釣りの基地として使いキヤラバンで寝泊りするのです。渓流にはこのキャラバンを基地としてリュックを担ぎ山に入りテントで何拍かして釣りをします。ニュージーランドの渓流はまだまだ釣り人が少なく日本では想像もつかない大物の鱒が釣れるので釣りキチにはたまらない魅力でしょう。もう一つニュージーランドの良いところは危険な動物や蛇などいないことです。したがって平気で薮の中に入って行くことができるのです。キャンプも何処でテントを張っても大丈夫、山小屋も安く泊まれすいています。

こんな生活もやって見たいと思いませんか、我々もなくしたく無いと思うのです。 町に行くと我々は朝の犬の散歩に芝生の競技場を歩いたり走ったりします。その後犬を車に寝かし、テニス場でリタイヤした老人たちとテニスを昼頃までします。みんな健康の為にやっているのですが、こちらの人は子供の頃からやっているのでうまいが、大きくて力があるのでとてもかないません。スーパーなどでテニス仲間と出会うとこんなにこの人は年寄りだったのかと驚くような老人だったりします。テニスコート場では若若しく見えるのに場所が変れば見方も変るものだと驚きです。無論テニス、ゴルフ、水泳などはタダみたいな値段で参加できるし、もう一つ老後に大事な、公共の病院は待ち時間は長いが無料なのです一般に、ホームドクターを持ち日ごろの健康管理を相談します。血液検査などして、もし悪いところが発見された時には、ホームドクターが病院に連絡して治療や入院となりますが費用はすべてタダ、ホームドクターは一回のコンサルタント代としてNZ$50+薬代、また最近では保険を掛け、民間の病院を利用する人も増えていますが、日本に比べると費用は高くないと思います。ついでに書きますとヨットでセーリングをしますとヨット乗りにはドクターが多いので助かります。

** 老後生活を考える **
我々自身の老後を考えて見ます。まず最初に問題となるのが健康です。58年間も生きてきましたのでこの体も使い古している事でしょう、どこかガタが来ていると思うのです。古い車を例にとって見ますと消耗品としてのパーツは定期的に取り替えていかなければいけません。外見は古いままですがメンテナンスだけしていれば、何年でも新車のように使えるものです。人間の体も車と同じだと思います。タダ違うところはパーツを総て取り替える訳には行きません。車のエンジンを形成する一部としてのフィ-ルターなど腎臓と同じ役割です。肺は吸気系のフィールターですね、血液は多分エンジンオイルでしょう、燃料となる食事はガソリンです、心臓は内燃機関、筋肉は駆動系統、頭はコンピューターでしよう、血管はブレーキパイプや燃料パイプです、タイヤは足でしょう。このように考えて見ますと、年老いた人間は中古車です。中にはクラシックカーとして価値のある車も有りますが、たいがいはまだ乗れるがもうそろそろ新車にしようかな~と言ったぐらいの中古車だと思うのです。中古車を乗り続けるためにはまず車を適度に動かし続け、止めないことが大事となってきます。日本では車を何十年も乗る人はいないと思いますが、ニュージーランドでは20年もんぐらいは一般的にまだ現役として走っています。
我々も中古車なのです。コンディションを良く保つには適度に体を動かす事で体内の潤滑油の膜を切らさない事です。何時も動かし続け錆ないようにする事です。
燃料は適切な燃料を正しく使うことです。我々日本人は西洋人と比べ粗食に合う体をしています。染色体が長い歴史を経て日本人が食べてきた食事を覚え込みその食事を効率よく体に吸収すべき方法をコンピューターのメモリーと同じく記憶しているのだと思います。日本人(他のアジア人も同じ)はここ数十年急激に豊かになり、西洋人の食べ物を取り入れ食べてきました。これが原因で今流行の生活習慣病となっているのです。車で言うとスーパーチャージャーのように、大量の燃料を体に送り込み排気ガスとして尻から出しているようなものだと思う。そして体が消化し切れずに溜まりパイプを詰まらせ総ての機構に混乱を起こしているのです。
ここで考えなければいけない事として、我々中古車は、フィールターに目詰まりを起こしていることです。車の場合は簡単に取り替えることが出来るが、人間の体の場合は供給不足も手伝い簡単には取り変えられない(私自身もこの問題と取り組んでいますが)出来る事は食事療法でフィールターをかばいつつ長く使用して行くことだけなのでしょう。と言う事は、粗食に耐え、酒、タバコを止め適度な運動をして自分の体を管理することが必要となって来ます。
もう一つ大事な事は命令形となるコンピューターですが、やはり適度に使うことが大事だと思うのです。人間のコンピューターとしての脳ですが、適度に刺激を与え少しのストレスや考える仕事をさせなければいけない。と言う事は、リタイヤしたからと言ってコンピューターを休ませてはいけないと言う事でしょう。リタイヤ後いくら豊かになったとしても、粗食に耐え、運動を欠かさず筋力を落とさないようにして、脳に酸素を送り、そして少しの危険なストレスも加えることが大事となってくるのです。
もう一つ年老いた体に良い食べ物を考える時,私は現代の自然採集の生活に憧れるのです。我々も畑で作物を少し作っていますが、美味しそうな食べ頃になるとみんな虫や鳥に食われてしまうのが現実です。無農薬野菜など嘘の世界ではないかと疑っていますし、ましてその野菜を売るなんて出来る訳はないと思うのです。ファッションとして豊かさをひけらかすために無農薬野菜を買っているように個人的な意見ですが思うのです。おまけに減農薬野菜など売るための言葉の遊びとしか思えない。余程の大きな土地で野菜を作り、食べられそうな野菜だけ採って売らない限り不可能ではないかと考えています。(確かに手の掛からない野菜も有りますが、販売すると考えた時バラエティーガ必要となってくる)。そこで我々はニュージーランドの広い土地を利用して、手の掛からない野菜を作り、自然の中から食べられそうな若芽や山菜、キノコなどを採集し、海や川からは楽しみとして魚を釣り食料とする。基本的に肉は食べないようにして、最低限の物を買い求め質素に心豊かに老後を暮らして行きたいと考えているのです。
これらの考えをベースとして私の老後を考えて見ますと海の生活が良いと思うのです。大きな話ですが、海の水が太陽熱で蒸発して雨となり陸に落ちる。その雨は陸を潤し、陸上の汚れを洗い流して川となり海へ帰る。海はそれを浄化する。このような対流が自然界には起きていてこのバランスが崩れた時、災害となって陸上に被害を与える。海の生活は、まず「揺れ」と言う適度な運動が自然に嫌でも付きまとう。船と言う限られたスペースですから食料を持ち込むのに限界があるし、多少の冒険的刺激を脳に与え、海からは自然の浄化の産物としての魚、海草、雨と成った蒸留水が得られる。多分人間の体も海水に浸かることにより浄化してくれると思う。リタイヤ後の生活にぴったりだと思うのです。船で旅行は出来るし、多くの面白そうな考え方をした人達にめぐり合える。停泊中は家と早代わりしてそこをベースに運動をしたり、観光を楽しんだり、山歩きをしたり、地元のクラブに参加して多くの人達と友達になれる。  しかし、四六時中船の生活ではマンネリ化や疲れが出てくると思うのです。少しは陸の生活もしたい。そこで我々の持っているロッジを陸の拠点とし、そこをベースにセーリング、時にはそのベースから車で陸地を旅行する、時にはロッジの畑で土いじりや果物をもいで食べる生活、時にはペットなど動物と過す時間も持っていたい。
このように欲望は限りなく増えてしまうのですが、これを自分たち夫婦でこなすには不可能に近い、家の面倒も見なければいけないし、動物の面倒、畑の草取りもしなければいけない、船のメンテナンスも必要だ、金銭的にも問題がある。これを可能にするには、目的を同じくする仲間と縛りあわずに、生活、労働、喜び、資金を分かち合う事が必要となってくる。皆で、今まで生きて来た人生の経験と技術、資金を持ち寄り、質素で心豊かな老後を過しませんか?。
  我々は趣味と運動を兼ねテニスなどしているのですが、ニュージーランドの老人の中に混じって運動しながら老人たちの生活を見せてもらい感じる事は、宣伝の効果か?アディダスやナイキなどと大きく書いた服を着てかっこよくテニスをやっているが、人から見ると、動く姿も容姿も老人であり若い人みたいに躍動美などない間違いなく老人である。一見金回りが良いように見せても長年の貧乏性は抜け切らず、顔や動作の節々に現れ溜め込んだ金は無くすのが惜しくて使えず、安上がりなテニスなどをやり時間をつぶし、一年に一回外国旅行などへ出かける。これが一般的な老人の姿と思う。多分我々も将来このような老人になることを考えるとどうせ一度は死ななければいけないのに、後少しの人生を何か出来ないのか?と焦りを覚えるのです。思いっきり自分の好きな事をして死んでゆこうと考えた時頭に浮かぶのは、アノ雑用をしなければ行けないとかこの仕事も残っていたと言った日常の事が希望や大志を足元から桁繰り床に転がしてしまう。何とか素晴らしい老後が過ごせないものかと考える毎日です

Saturday, November 05, 2005

 

イチゴの入院


 開いた口がふさがらない
カタマランのことをヨット仲間ではキャットと呼ぶ、ヨットではないが我が家のキャットは猫のイチゴである。

うちの家には飼い猫のイチゴと呼ぶトラ猫のメスがいるのです。SPCA(動物愛護協会)から貰ってきてもう11年一緒に暮らしています。
猫は本来夜行性動物なので、昼間は家の中で寝ていたり草むらで日向ぼっこしてうとうとと過し、エサの時間になると何処からともなく現れてエサをねだる。猫はエサの選り好みが激しく気に入らないとなかなか食べてくれない、猫用の缶詰を与えるのだが直ぐ食べ飽きて味付けに魚とか肉などを入れてくれとストライキしてエサの前に座り、色をつけないと食べない。食べろと猫の顔をエサに近づけても食べる振りをしてスーッと離れて「私は出てゆく」と入り口に向かう、ドアーを開けてやり「食べないなら自分で獲れ」と猫に言って追い出す。猫はすごすごと少し離れた所へ移動して身繕いを始めるが、しばらくすると何事もなかったように媚を売りに来てエサをくれとねだる。その媚売りの鋭さに根負けして又エサを少しやってしまう。
やっぱり自分の好きなエサじゃないと食べない、又外へ追い出す。何度同じことをやっても懲りずに又エサをねだる。
飼い主の方が根負けしてチーズか何かをキャットフードにかけてやる。これで話し合いが成立したと言わんばかりに食べ出す。まったく食いもんにうるさい。飼い主も甘やかすので余計にエサの選り好みをする。
  こんなイチゴであってもエサをガツガツ突然食べだす時があり、その上もっとくれとお替わりを要求してこれも食べ干す。
凄く食べるものだと感心していると「ああ~食った」と腹を膨らめ、丁寧に身繕いをして自分のベッドで丸くなって寝てしまう。
こんな時には必ず雨が降り出す。 猫の気圧計は感心するほど正しいことが判る、外はまだ晴れているにも拘らず猫がエサを腹一杯食べ寝てしまうと天気が崩れる。今日の天気が心配な時には猫の様子を窺い、今日一日天気が崩れずに持つのか崩れるかを予想する。まず100%当たる事は長年の観察から疑い知れない。
  猫というのは寝ているようでも周りを観察していて耳をピクピクと動かしながら寝ているのだ。熟睡していると思ってもイチゴと言う名前を出すと耳がぴくりと動いたり、デッキで寝ていると思うと突然走り出し草陰に身を伏せる。どうしたんだろうと猫を覗き見ると鳥が近くの小枝に止まっておりそれを身を伏せながら狙っている。時にはキジの成鳥を獲ってきてガレージの前にまだ温かいその鳥をぽんと捨てるように置いてある。飼い主の我々の方がこれは美味そうだと思わず毛をむしりとり腹を出し今晩のおかずと冷蔵庫にしまい込み夜の夕食にとローストにして食べてしまった。イチゴに悪いと少しお裾分けをしたが猫は自分の獲物を横取りした飼い主に愛想を尽かし知らん顔をしていた。
  こんなイチゴがある朝エサの時間に現れない。窓から「イチゴー」と大きな声で呼ぶと「ニャ~ン」と縁の下辺りから泣き声が聞こえイチゴが現れた。今日のイチゴはどこかおかしい、良く見ると口を大きく開いたままよだれをダラダラと流している。
「どうしたのイチゴ」といっても小さな声で鳴くだけで何時もの元気が無い。何故口を大きく開けているのか判らない「何か変なものでも食べたのか」と言ってもイチゴが答えられるわけがない。首や耳の辺りに何かに噛まれた跡も見える。早速インターネットでこんな猫の様子について調べたが、口を開けっぱなしの猫なんて例が無い、何かちょっとしたことでどうにかしたのだろう、そのうち直るだろうと其のままにしておいた。しかし、夕方になってもまだイチゴは口を大きく開いたままでよだれを流している。さすがに鈍感な我々も気が付き始めた。
「ひょっとしたらあごが外れたんではないか?」と、猫のあごが外れたなんて見たことも聞いた事もなく想像もつかない。「開いた口が締まらない」とはこのことだ。
とにかく動物病院へ連れて行くことにする。何時も用心深いイチゴがどうしたんだろうと思いながら獣医へ連れて行くが
獣医もあごが外れた猫なんて見たこともない様子、多分あごが外れたんだろうハメテ見ると言う。「猫が痛がると可哀想なので」と麻酔を打たれイチゴはそのまま入院する事になる。獣医に「又明日迎えに来てくれ」と告げられ、不安な気持ちで家路につく。
  翌日、イチゴの開いた口が締まるようになったかと心配しながら獣医に行き待合室でしばらく座って待つと、
獣医の事務員と言うか看護婦と言うか?に抱かれてイチゴは現れる。親子の対面のように感激の再会、イチゴの口元を見るとあの開いたままの口が締まっている。*よかった直った!*とイチゴを抱きかかえる。
柔らかいエサをやってくれと注意され、治療費を払って家に連れて帰る。不安からイチゴは移動用に使う籠の中で小さな声で鳴いていたが家に戻り庭に放してやると、少し自分の縄張りを調べてみてから何時ものような行動をする。心なしか元気が足りないが又元のイチゴに戻ったようだ。獣医では何も食べなかったと聞かされていた。イチゴは家に帰り着くと獣医から貰ってきた日ごろ食べたことの無いペットフードを喜んで食べる。猫は用心深く何時もと違うペットフードは食べないのに美味そうに全部食べ干す、また元のイチゴに戻ったとホットする。エサを食べ終わり入り口にうずくまりじっとしているイチゴを眺め、まだ本調子ではないな~と思っていると何となく様子がおかしいので覗き込んでイチゴを見ると、以前よりましだが又口を開いたままよだれを流しているのだ。
腹が減ってガツガツ餌を食べたところ又あごが外れたのだ。慌てて獣医に電話を入れる。「連れて来てくれ」又トンボ返りで獣医にイチゴを連れてゆく。「もう一度あごをはめて見るがもし直らないようでは安楽死させるより仕方が無い」と獣医より告げられる。
妻(つや子)はそれを聞かされた途端涙をぽろぽろ流し泣きだした。獣医も困った顔をしているが、自分が直せないとは言えないし「何とかやってみる3日ぐらい入院させてくれ」と言う事だった。
やっと家に戻ってきたイチゴをまた獣医に預けメソメソしている妻と家に帰る。翌日、朝起きて何時ものようにイチゴのエサを作ろうとしている自分に気が付く 「そうだ、イチゴはいないのだ」 毎朝イチゴとエサを食べろ、食べないのか?好き嫌いをするなと駆け引きの知恵比べをしながら猫にエサをやるのに今日は猫がいない、何と無く空白の時間が流れ寂しさが漂う。
  三日後獣医に顔を出しイチゴの様子を見てみる。看護婦に抱かれてやってきたイチゴは、顔にラッパの開いたものみたいなプラスチックを巻きつけられ、のどに管を通されている。「この管から流動食を流し込んでいる」と説明され、開いていた口は締じており意外と落ち着いて看護婦さんに抱かれている。他人に抱かれた事が無いイチゴが目を大きく開いておとなしく泣きもせず抱かれている姿は、飼い主が見ると不思議な光景である。タッタ3日しか経って無いのに飼い主を忘れたのかと思うほどおとなしく抱かれているのだ。猫も治療してもらっているのを知っているのか?、あんなに人見知りをするイチゴがおとなしく抱かれている様は印象的だった。しかし獣医の第一声は完全に直るか3週間見て安楽死させるかどうか決めると言われる。妻は又涙を流し泣き顔になる。しかし今日は何故か少し明るい気持ちになっていた。あのイチゴの何となく安心顔を見てきっと直るよと言う自信のような物を感じたせいでもある。記念写真を撮ってやらなければと言いつつ獣医を後にする。
二日後イチゴの見舞いに獣医に立ち寄る。イチゴは相変らず首の周りをプラスチックで固められよく顔を見てみると細い管を鼻の穴に入れられグルッと顔から管をクビのところまで回されそこから流動食がのどに流される仕組みになっている。
今からエサをやるから見てゆけと言われる。一人がイチゴを動かないように押さえ、注射器の針をはずした物を二本使い、先ず最初の一本は、流動食が流れやすくする為にサラダオイルのような物を潤滑油として流し込むのに使い、後の一本は水でスープ状に溶かした流動食を流し込む。油や餌が流れる度プクッとお腹が膨らむ。経験にやってみたがかなりの力で押し込まないと細い管から猫の鼻の穴を通りのどまでエサを流し込むのは意外と難しい、こわごわやってみたが餌が入って行かず看護婦さんに代ってもらう、どのぐらい力を入れ押せば良いのかわからなかった。
イチゴは予想通り運動不足のため太り始め顔が少し変ってきたように思う。このまま入院をつづければ今抱かれている看護婦さんのように丸く太って糖尿病の猫になってしまうのではないか?と心配する。
今日も雨の中をイチゴのお見舞いに行く。もう入院してから10日も経つ、ケージに入れられたイチゴは見違えるほど元気になっており食欲もあると言われる。家に連れて帰っても良いと言う獣医の言葉であった。見舞いのつもりで行ったのに連れて帰れると言われイチゴを迎える用意が出来ておらず少し戸惑うが、又イチゴのあごが外れないか心配しながら家に連れて帰る。
10日間の入院ですっかりイチゴは獣医のケージに慣れておりケージに逃げ戻ろうとする。飼い主を忘れたのかと少し寂しい気持ちになる。家では絶対しばらくの間猫を野外で飼わないようにと注意され、一週間後にイチゴのあごに縫われた糸を抜くから連れてきてくれと猫の口を開け説明される。せっかくイチゴの口が締まったのに又何か硬い物を噛んで口が開いたままになったらどうしょうと恐れ慄く。
  家に帰りついたイチゴは食欲がありエサをねだる。獣医の話では、体力を回復させるまでエサを多く食べさせてくれと言われ高いペットフードを買わされる。嫌とは言えず量的にも10倍の値段のするエサを20缶も買わされ、心の中ではスーパーで買えば安いのにと思いながらも買い求める。これもイチゴのためだと買ったペットフードのエサをねだるイチゴにやるがイチゴは獣医でこの餌ばかりを食べてきたので、いらないと食べない。飼い主は「高いエサを買ったのに食べてよ」とイチゴに頼む。それでもイチゴはシラン顔をして外を眺め外に出してくれと動作で示す。こればかりは獣医で止められているので可哀想でも外に出してやる事が出来ない。
獣医が言っていた「手が掛かり面倒を見られないときは又連れて来てくれ」と言われたのを思い出す。でも何とか自分たちでイチゴの面倒を見てやりたい、庭にキャラバンがあるのでイチゴに夜はキャラバンに寝泊りしてもらう事にする。夜に何か失敗され
又あごが外れると今度は仕方なくイチゴを安楽死させなければならない、少々イチゴが泣いても心を鬼にして怪我の回復に努力しなければいけないと心に誓う。
  無事抜糸が終わり心なしかイチゴの顔がゆがんでいる様にも見えるが元の元気なイチゴに戻る。毎日閉じ込められた生活から開放され外に出たがるが100%外に出すわけには行かず、一緒に敷地の中を散歩して歩く。イチゴは嬉しそうに後をチョコチョコと付いて歩き少し離れては走って来る。飼い主はそんなイチゴの姿を眺め元気になったと喜び、このまま全快してくれと願う。入院生活のためか抱かれる事を嫌がるイチゴが抱かれ癖が付きやたらべたべたする猫になってしまったように思う。
しかし相変らずエサの好みがうるさくどうしてもカンズメを食べない、又エサを食べろ、食べないなら出てゆけ、お願いだから食べてよ、こんな毎日が戻ってきた。

Friday, November 04, 2005

 

つよしの狩猟採集メニュー

   新芽のサラダ
春になると花や木の芽が自己を我先にと堅持するように咲き誇ります。朝の散歩を兼ねこの美味しそうな新芽を茶摘のように籠に摘み取って歩くのです、「摘み取った新芽を籠に入れ」と言いたいところですがそんな気の聞いた籠など持ち合わせておらずバケツに入れて歩く。見た目に柔らかそうないかにも食べられそうな新芽を選び摘み取りバケツに入れるのですが、食べられるか?食べられないか?判らないときには少し摘み取って口に入れ噛んで見ます。もし口に刺激臭や苦味を感じたら食用には適さないので別の新芽を捜します。我々は果物の木の若芽やハーブを主に摘み取りサッと洗って皿に盛り、出来るだけ新芽の表側が見えるように盛り付けます。そこにくるみなどの木の実をふりかけ、生のニンニクをスライスして散らします。手元にある果物をボリュームを出すため加え、飾りにゆで卵、トマトなどを盛り付けレモンを絞りふりかけ最後にオリーブオイルをかけて出来上がりです。
このサラダと自家製のパンでお昼のメニューは出来上がります。新芽は優雅な香りを持ちハーブの香りと生のニンニクの香りとピリッとした刺激が春のハーモニーを醸し出し、オリーブオイルで口当たりを楽しみ、カロリーはランチメニューとして満足できる一品に仕上がります。
このサラダの盛り付けは出来るだけカラフルに盛り付け春を演出します。果物は何でも良く、量的には新芽を多く盛ります。
一度お試しください。

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