Friday, December 14, 2007

 

情熱は総ての苦難を乗り越えるか?

情熱は総ての苦難を乗り越えるか?


昨年の風にやられたダメージを直し終わろうとしたところ船体に少しねじれがあることがわかる。これは風に倒された時未だ完全に出来上がっていない状態にもかかわらず「ついでに」と型から船体を外してしまったのが原因であると思われる。

がっちりとした型を作り工場の中でカタマランを造ればこんな事にはならないと思うが、経済的理由により出来なかった。それは仕方ないとしてこのゆがみを直そうと考えているとデザインのミスを見つける。
船内のベッドルームに行く階段を降りたところのヘッドクリアランスが足らない事を発見する。このままではかがんだままベッドルームに入らねばならない。

カタマランの様に居住性のある船でベッドルームにかがんで入るなんて、これは間違っている。せっかく良い天気が続いていて仕事が進むと喜んでいたのに、ここで又熱帯崩れの雨降りでしばらく仕事が出来ない上にデザインの変更のため少し仕事が増えた。
水前寺清子の歌を思い出す。「三歩進んで、二歩下がる」古すぎるかな~。

メゲナイ、メゲナイ。

毎日カタマラン造りをしていると適度に仕事があり充実感があって幸せです。
少しずつだが毎日毎日前に進んでカタマランができてゆくという事がうれしい。言葉を替えると自分がヨットを試行錯誤でありながらも造り出していることに満足である。
去年の今頃を思い出すと毎日強風のため小屋を潰され、船体を倒され、それをやり直しては又嵐に倒される。

気分的には昨年の方がカタマラン造りに燃えてはいたが毎日の強風に気分はめげてばかりだった。それでもカタマランを造ってやるぞと半ば強引にやっていたように思う。
年老いてきてリタイヤと決め何か新しい生活を始めたいと考えた時やはり「旅行がいい」と思ったし今でも思っている。

しかし何処に行きたいか?と考えてみると私の場合「美しい自然があり魚が釣れるところで、簡単に旅行者が行けないようなところが良い」と考える。
子どもを持たない夫婦で有るが為、子育ての代わりに世界中を遊びまわっていた付けが今やって来て、年老いて旅行に行くにも何処に行けば良いのか?何処に行っても感激しなくなっている。

居心地の良い家の中などで旅行を考える時「あそこにも行きたい、ココにも行きたい」と考えるものだが、イザ行こうとすると「ドウモかったるいな~」と成ってしまうし何処に行っても同じ様な観光地にめぐり合い、同じ様な人達がそこにいる。
これでは感激などしない。

そこで昔、ヨットで大洋を渡ることにしたのだが、それもセキスタントを用い昔のような航海に挑戦したのです。
でも今回はヨット自体から造り、これに乗って旅行してみたいと思っているのです。だからカタマラン造りをしている今、もう私の旅行は始まっています。
20年以上前からカタマランを造ってみたいとヨット仲間達に言いふらしてはいたが、誰も信じてはくれなく、私自信でさえも確信はもてなかったが食うにも困らず、住むところもあり、人並みに暮らせ、時間まで余裕が出来て、「今カタマラン造りをやらないと一生何も出来ないで終わってしまう」と思うし、現実に退屈でもあるので思い切って始めたわけである。

今年は良い天気に恵まれていると思う。「メイク マイ デイ」である。我々の野外工場にとって風が当たらないラニーニャパターンの天気なのです。
今年はかなり仕事が進むと思っています。

しかし、思いに反して雨が10日ほども続いたのでこの週末は晴れると天気を読み、朝5時起きで仕事に掛かったのだが、もう少しで今日の仕事が済むと言うところでにわか雨が降りだす。
おかげで材料のレジンやグラスが濡れ使い物にならなくなった。「ショック」。

メゲナイ、 メゲナイ、

やっと二つの船体を平行に並べ、冬の間造りためていたパーツを組み立て始めようとしていたところでデザインを少し修正しなければいけなくなってしまった。
仕事自体はそんなにたいした事は無いのだが、他の船と違った「線」を出したいばかりに曲線を取り入れたがこれが失敗で、居住性のためどの船も同じ様な「線」にしなければならなくなってしまったのが残念である。

とかく知らない人が見ると船など同じ様にに見えるので「そこを何とか個性を出したい」と思ったのだが出来なかったのがなんとなく残念である。
「自己主張の時代である」私がデザインした船であると自信を持って人に見せたいと思うのだがそうも簡単には行かないのが現実ですね~。

それどころか、「何だ~この船は」と言われそうです。でもメゲナイ、メゲナイ、もう一回メゲナイ。

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