Tuesday, December 18, 2007

 

友達

友達

九州の八代にチョッと変った昔の友達がいます。青春の一時を一緒に過した仲間の一人です。
彼は背中まである長い髪をなびかせギターを弾き歌う坊さんです。最後に会ったのは確か京都です。その時彼は京都の大きなお寺の住職をしていました。
久し振りに京都を訪れた我々夫婦は他の友達と彼のお寺に夜中に訪れ、京都の町で朝まで飲み明かしたのが最後だったと思います。

今は実家のお寺に戻って地元のために地域起こしのようなことに力を注いでいます。
こんな彼の消息をインターネットで見つけ女房が「久し振り」とメールを出したのです。しばらく経って彼から重いメールが届きましたがワードがかかっており開きませんでした。「ザンネン」

彼は何故かいつの頃からか我々に口を閉ざしています。何故何も言わなくなったのか?青春の一時を良い事も悪い事も一緒にやり共に酒を飲み歌を歌った間柄なのに何故何も言わなくなったのだろう。「無作法で、口が悪く、自分勝手な」俺が嫌いになったなら、嫌いになったと言えばいいのにそうすれば嫌いと言う事について話が出来るのに。幾ら相手が俺の事を嫌いになったとしても俺達はお前の事が今でも好きなんだ。

何故自分の殻に閉じこもって何も語らないのだろう、多くの人に説教する立場の坊主が何故自分の世界に閉じこもり狭い考えで自分の殻に閉じこもっているのだろう。
こんなに世界がインターネットで結ばれて、時間や距離が関係なく瞬時に話し合える現代に狭い考えで自分の中に閉じこもっているなんて私は言いたい。
「もっと広い心で自分の考えを言えるようになってくれ」それとも「沈黙は美徳」とでも言うのか?

最後に会ったとき一緒に飲んだもう一人の親友はすでにこの世にいない。癌で死んだのだ。葬式にいけなかった我々は彼の遺灰を送ってもらいニュージーランドの海に散骨した、だから親友はいつでも身近にいる気がする。
酔っ払いのジョーコッカーがバックで、かすれた歌が聞こえるような我々の「愛と青春の旅立ち」はもう少しでフィナーレに近づこうとしているのに、何故今でも何も彼は言わないのだろう?。

誰かが言っていた、人間は100%死んでしまう。ほんとだと思う。イヤ人間だけではなく総ての生物はいつか確実に死んでしまうものだ。
だから俺は前を向いていつも生きてゆきたいのだ。前には希望がある。後ろには過去しかない。だからいつも前を向いて生きてゆきたいのだ。
それなのに何故お前は「いつまでも何も話さないのだ」心を開いてもっと自分に素直になって欲しい。

何でも話し合えることが友達の良いところではないのか?幾らお前が世間的に立場が良くなって高いところに立っていようと、俺から見たお前は若かった頃のお前なんだ。
「なんら以前と変らない昔の髪の毛の長いギターを奏でる変った坊主なんだ」。

Comments: Post a Comment



<< Home

This page is powered by Blogger. Isn't yours?